台無しホラー
「――恐怖というものは、度を越すかそれを与えようとして失敗すれば笑いに変わると思うのですよ」
「…………はぁ」
男の言葉に、少女は数秒言葉の意味を考え、結局意味を理解する事なくただ相槌を返すだけにしたようだった。
相槌、というよりは「お前何言ってんだ?」というものの方が含まれているという事実に、恐らく少女は気づいていないだろうが。
さながら狂人を見るような目を向ける少女に、男は僅かに微笑み返す。
「都市伝説を知っていますか?」
「……口裂け女とか、人面犬とか……ですか?」
「えぇまぁ、他にも多々ありますが代表的な単語としてはそういう類のものです」
相槌だけではなく言葉が返ってきた事に、男は上機嫌かつ慣れた手つきで紅茶を空になったカップに注ぐ。
少女の分まで用意されたそれを受け取ると、少女は男の言葉の真意を探るべく彼を見上げた。
相変わらずにこやかに笑みを浮かべた表情からは、今の所機嫌がいい、という以外読み取れるものはない。
どれほど考えた所で、未だ成人さえしていない程度の人生経験しか積んでいない少女が、この男の考えている事を理解するというのはかなりの難易度なのだろう――そういう事にして少女は早々に考える事を放棄した。
それ以前にこの男は一体いつ、ティーポットとカップはともかく紅茶が置いてある場所まで把握したのだろうか。
少なくともここはこの男の家ではない。男がこの家にやって来たのは、片手で数える程度、それもわざわざこのように紅茶を淹れて出す、なんて事をして持て成した覚えは無い。
「…………で、その都市伝説と、恐怖と笑いとの関連は?」
見事なまでに自分好みの紅茶の濃さに内心舌打ちしたくなる衝動に駆られるが、極力それを表に出さないようにして話の続きを促す。
この男の目的が何なのかまではわからないが、とりあえず適当に相手して向こうも話終われば多分満足する事だろう。過去の経験からして。
「先程貴方が言った口裂け女や人面犬、今でこそそれは都市伝説、という扱いになっていますが当時は伝説というよりただの怪談話」
さ、どうぞと言いつつ出してきたクッキーを、とりあえずは素直に受け取る。これは恐らく男が自ら持参してきたものだろう。自分の家には無かったはずだ。
サクサクと音を立ててクッキーを頬張る少女に、変わらずにこやかな笑みを浮かべつつ男は続ける。
「当時であれば、その話も充分怖い話ですが今それを話されても正直怖くも何ともないわけですよ」
「まぁ、そうですね」
確かに今更だ。今更こんな話を聞かされて怖がるのは、この話を知らない小さな子供くらいのものだろう。それもある程度怖がりの。
「怖い話というものにも旬というのがあるわけですよ。要するにね」
「はぁ……」
何となく、男の言いたい事がぼんやりとだが理解できそうな気がしたものの、肝心な部分がやはりよくわからない。だからこそ、最初と同じような相槌になる。
その態度に別段男は気を悪くした様子もなく、「メリーさんを知っていますか?」と問いかける。
「メリーさんっていうと……私メリーさん、今どこそこにいるの、とか言いつつ徐々に自分のいる場所に近づいてくる世間先取りのストーカーですよね」
少女の身も蓋もない返答に、男は小さく吹き出した。確かに当時はストーカーなどという言葉が無かったが、今ならそれは立派にストーカーだろう。
「えぇと……何ですか? 今ストーカー被害にでも遭われてるんですか?」
だったらこんな所で暢気に茶飲み話に花咲かせてないでとっとと警察行け、とにべもなく告げる少女に何が面白かったのか、男は片手で腹をおさえてくっくと引きつった笑いをあげる。
「あぁいえ失礼。そこまで深刻な話でもないのですよ」
ある程度笑いが収まってから、男は一息つくべく紅茶を流し込む。
小さな音を立ててカップを置くと、先程とは多少違う種類の笑みが浮かんでいた。
「実はそのメリーさんから以前お電話を頂きまして」
「……ッ!?」
男の言葉に、口にしていた紅茶を吹き出しかけ、それを堪え今度は気管に入り咽そうになる。何とか根性でそれらを耐え切ったが、残念な事に男の表情は相変わらず笑みを浮かべたままで、冗談なのか本気なのかさっぱり判断がつかない。畜生、どうせなら顔面にぶちまけてやればよかった。
鼻の奥がツンと痛む。下手に堪えたが故の結果だから仕方の無い事なのだが、どうにも納得がいかない。
「以前、といってもほんの数日前の事です。携帯に覚えのない番号からかかってきまして。暇だったから何となく出たら――『私メリーさん、今駅前に着いたの』と何とも胡散臭い高音で」
「それ誰かの悪戯とかじゃなくて?」
現実的な突っ込みに、しかし男は微笑を返すだけで。むしろその話こそが男の悪戯じゃないのかとさえ思う。
「悪戯電話かなーと思ったので当然切りましたよ。そしたら数分たたないうちにまたかかってきまして。
『私メリーさん、今郵便局の前にいるの』『私メリーさん、今小学校の前にいるの』『私メリーさん、今コンビニの前にいるの』と、どうやら着々と自宅に向かって近づいてるんですよね。これが」
はははと爽やかに笑う男に、少女はえ、そこ笑うとこ? と乾いた声で突っ込んだ。
過去2~3度男の家に立ち寄った事があるが、確かに今の言葉を素直に信じるならば、駅前から男の家に向かってそのメリーさんとやらは確実に近づいていた。仮に作り話だとしても、やはり気味が悪い。
都市伝説にして使い古された怪談話、ではあるがやはりそれを実際に体験するとなれば怖くないはずがない。
少女は一先ず気持ちを落ち着かせようと、今度は咽ないよう慎重に紅茶を口に運ぶ。こくり、と嚥下して、
「それで……?」
恐る恐る先を促す。
「それでって言われましても。『私メリーさん、今マンションの前にいるの』『私メリーさん、今貴方の部屋の前にいるの』ってメリーさんらしくちゃんと家に来たようですよ?」
「……え、いやそこで何でそんなケロッとしてるんですか……?」
「言ったでしょう、携帯にかかってきたって。その日用事で別の場所にいましたし、別に家の前まで来たからどうだというのです?」
「メリーさん無駄足ですか……」
「帰宅するまで家の前で待つとか部屋の中に侵入してるとかいうオチがあれば充分怖かったんでしょうけどねえ」
「そこまで行くと既に警察沙汰だと思います……」
充分怖いけど拍子抜けしたのも事実だった。はぁ、と重々しいため息が出る。
「遭遇してないし、実際本当に家の前まで来たかも定かではないので怖いとかいう以前の問題ですよね」
「それでもそんな電話かかってきたら普通に怖いですよ……」
「それで先程も言いましたけど、怖い話にも旬があるって言いましたよね?」
「……えぇ、そうですね。言ってましたね」
「思ったのですが、メリーさんが怖いと思えるのって、携帯が普及する以前の――家の電話がダイヤル式だったり黒かったりするレトロ漂うあの頃がピークじゃないかと思うんですよね。個人的見解として」
「随分期間限定っぽいですね」
いつ飲み干したのかわからないが、男は自分のカップに再び紅茶を注いでいた。一連の作業を眺めつつ、少女は勧められるままクッキーに手を伸ばす。
「メリーさんに対して恐怖を抱く条件はいくつかあると思うのですが。確実なのは対象者が追い詰められていると感じるか否かですね。固定電話しかなかった頃なら電話に出る、というのは確実に家にいる時になるでしょうし。外から確実にメリーさんが近づいているとなれば、下手に外に出て鉢合わせるのも不味い。身動きがマトモにとれず対象者は家にこもるしかなくなる。そこに追い討ちをかけるようにかかってくる電話。普通の神経の持ち主ならここらで追い詰められていると感じる事でしょうね」
「……携帯でも居場所特定されたら怖いと思うんですけど」
「その場合、メリーさんも携帯持ちですか……お互い携帯片手に今どこー、今どこそこにいるわー、あーじゃあこれからそっち行くわーみたいなノリすぎやしませんかね?」
言われて、その光景を想像する。
……一気にノリが軽くなったような気がするのは気のせいではないだろう。
「逆に考えてみましょうか。当時より以前の時代。仮に……戦国時代あたりで」
「電話ないじゃないですか」
「『私芽理衣さん、今城下に着いたの』『私芽理衣さん、今二の丸に着いたの』『私芽理衣さん、今本丸に着いたの』って感じの矢文が」
「もうそれただの刺客じゃないですか。曲者ですよ普通に」
「でしょう。むしろ侵入予告してやってくるとか警戒して下さいといってるも同然ですよね。うっかり戦の準備だって終了して準備万端で待ち構えられそうですよね」
「まぁどこにいても常に矢文が届くってのはある意味凄腕スナイパーかよって感じもしますけど……正直そんな怖くないですね」
むしろそんな時代にメリーさんがいたらさぞかし酷い目に遭っている事だろう。メリーさんが。
「……いやでも、戦国時代のメリーさんはともかく、今のメリーさんはまだ怖いと思いますよ……?」
現に男の携帯にはメリーさんからかかってきているわけだし。男の作り話じゃなければ。
尚もにこやかに微笑みを浮かべたままの男が、すっと内ポケットから携帯を取り出してそれを少女によく見えるように突き出した。画面にあるのは着信履歴。同じ番号から一定の時間ごとにかかってきている。
「ちなみにこれがそのメリーさんからかかってきた番号なのですが」
さらりと告げられ、少女は僅かに目を瞠る。
「知り合いもそう多くないのでね。数日前の着信が残ってるんですよ」
知り合いが多くない、という部分は疑わしいが事実目の前には五日前の着信履歴がずらりと並んでいる。
「……あれ?」
ふと少女は首を傾げる。この番号に、どこか見覚えがあるような気がした。
「あぁそうそう。今日ここに来た用件を伝えていませんでしたね。先日は一体何の用だったのかを聞きそびれたままだったので、本日はメリーさんに会いに来ました」
いっそ見事と言わんばかりのアルカイックスマイルを浮かべる男の言葉に、少女は引きつった笑みをつられるように浮かべた。
同時に、見覚えがあると思ったその番号。
紛れもなく自分の兄の携帯番号ではないか。
「……何か、すいませんうちの兄がご迷惑を」
「いえいえ、いいんですよ。ただ以前にも似たような悪ふざけをかましてきましてね。その時にもう二度としないと言っていたのにねえ。まさかもう一つ新しい携帯購入してそういう事やるとかねぇ……貴方のお兄さんは本当に脳みそ入ってるんですかねははは」
「……そういや五日前って兄が新しい携帯買うんだーとか言ってた日ですね……携帯新しくして浮かれたんでしょうねきっと……」
ふと遠い目をした少女の耳に、ガチャンと鍵の開く音が聞こえてきた。幻聴などではないだろう。となると当然自分の目の前にいる男の耳にも届いているはずだ。
「そういうわけで貴方のお兄さん、少々お借りしますね」
「えぇはいどうぞ気の済むまで」
止めるつもりは微塵も無かった。というか、そんな義理も義務もない。
男はメリーさんからの電話は胡散臭い高音でかかってきたと言っていた。
となると兄はわざわざヘリウムガスを購入して使用したか、もしくは超頑張って裏声だったかのどちらかだ。
(……そこ頑張るならついでに非通知でかけるべきだったと思うんだ……)
非通知からの電話に出ない、という恐れがあったかもしれないが、その時は素直に諦めれば良かっただけの事。
すっと音もなく立ち上がった男は、これから開くであろうドアの前にスタンバイしている。こちらに背を向けているため表情は見えないが、見なくてもわかる。
カチャリと控えめな音をたてて、ドアが開いたと同時。
「おかえりなさい、メリーさん?」
男の出迎えの声と、「ひっ」と小さな悲鳴が上がったのはほぼ同時だったように思えた。
(玄関に靴あったはずだから、気づけよそこで……)
少女は自分の兄の間抜けさに思わず頭を抱えそうになったが、内心毒づくだけに留めておく。
顔を引きつらせたまま動きを完全に止めた兄に対して、少女が妹としてしてあげられる事は――
「…………」
そっと手を合わせて目を閉じる、それだけだった。
男の背後にいる妹の姿は、当然兄にも見えていた事だろう。そしてその動作を行うところさえも。
目を閉じて(安らかに眠れ……!!)などと少女が思った矢先、どうやら兄は逃亡を図ろうとしたらしい。
目を閉じているので見えないが、足音からして男もそれを追いかけていったのだろう。「逃がしませんよメリーさん?」などという言葉と「すいませんすいません出来心だったんですうわちょ、ま、ぎゃー!?」という悲鳴まじりの声と。
何が起こっているのかはわからないし知りたくもないが、精々近所迷惑にならない程度にしておいてくれ、と少女は切実に願う。
まだ何か色々な音は聞こえてきているが、それら全てをスルーして。
手を離して目を開けた少女は、何事もなかったかのように紅茶のカップ片手にクッキーに手を伸ばしたのだった。