8
◆
ボーン、ボーン、ボーン……柱時計の鐘の音が私の意識を覚醒させた。
ぼんやりとした頭でわかったのは、冷たく硬い感触。
目を開けると薄暗がりの中、わずかに景色が目にうつる。
どうやら私は石の床の上に座っているようだった。
鐘は十二――夜中の十二時か。
とりあえず立ち上がろうと手を動かすが――動かない。
柱に腕が繋がれているようだ。ぎしぎし、と縄のきしむ音がむなしく響いていた。
ずきずきと痛む頭は……何か衝撃を受けたから。
そして気を抜くと拡散しかける思考。意識の覚醒を阻むかのような気だるい感じ――これは睡眠薬の症状。
……誘拐された、のかな。私。
最後の記憶は学園のダンスパーティーの最中。
喧嘩の仲裁をして、ソニアと別れて……それで……あー、そこかぁ……。
あれは九時くらいの話だから、軽く三時間は寝てたことになる。とんだタイムロスだ。
それにしても、だ。
「なんで私よ」
誘拐という事件は、私にとってさほど珍しくもない。
貴族令嬢(令息?)の付き人なんてものを長い事やっていれば、数年に一度は遭遇する。
ただ、それはもちろんユーリが攫われるって話。
付き人Aがターゲットになったのはさすがに初めてだ。
「お金目当てじゃないってことだよね……」
多少お給金ももらってるし、両親の遺してくれた分もあるけど、たかが知れている。
となると、私個人に目的があるという線が濃厚だ。……けど、なおさら解せない。
自分で言うのも変な話だが、これでも品行方正に生きてきたつもり。余計な恨みは買っていない……と思いたい。
それに、ユーリと違って私自身には特別な力もない。
「まさか、ユーリ本人と勘違いしてるとか……!?」
「いや、それは違いますけど」
「そんな即否定しなくても――って、え?」
非情な言葉に思わず反応してしまったが……誰?
声の方を向くと、明灯球のわずかな光と、真っ黒な影がドアの近くに見えた。
背丈、体格から見て、女。私とそう年は変わらないくらいだろう。
そして彼女が腕に抱えているものは、古びた盃。
ほんのわずかに妖精の気配が漂うそれには、見覚えがあった。
当然だ。ダンスパーティーの準備中、散々見てきたんだ。
「光芒の盃……なんで――いや、盗んだんだね」
たぶん、私を利用して。
視線で問うと、彼女は小さくうなずいた。
目深にかぶったローブのせいで表情はうかがい知れない。
だが、殺気のようなものは感じられない。即、襲われるということは無さそうだ。
「……私をここに捕えたのは、口封じのため?」
「……それもある。けど、それだけじゃない」
「じゃあ何が目的――っ!?」
問いかける言葉は喉の奥に消えていった。
彼女がローブの内側から取り出したナイフが鈍く光るのが見えたから。
「え、もう対話終了!?」
「本当は眠っているうちに終わらせたかったのに……っ……儀式は、深夜じゃないといけない、から……」
「ぎ、儀式!?」
光芒の盃。それに儀式という言葉。
とっさに、あの伝説が頭を過ぎった。
「まさか『乙女の生き血を』ってやつ……?」
答える代わりに、彼女はナイフを振り下ろした。
狭い可動範囲の中で身をよじり、寸でのところで避ける。
「ごめんなさい、っ……殺すつもりは無いです。けど、危ない状態にはなるかも……!」
「謝られても……ぉっ!?」
また鈍く光る刃が軌道を描いた。
幸い、彼女は素人だった。振り下ろす動きは遅く、攻撃も単調。
見切ってしまえば、なんとか避けられた。
「ちょっと落ち着いてよ……っ! あの話は、ただの伝説じゃないの……!」
『光芒の盃に、乙女の生き血を満たして妖精王に捧げれば、妖精王が願いを聞き届けてくれる』
ユーリも言っていた。本当かどうかわからないって。
「まさか本気で……信じているの……?」
つい口に出してから、自分の悪手に気づいた。
「っ……!」
ナイフを握る手に一層の力が込められた。
研ぎ澄まされた刃のような鋭い視線が、ローブの下から私を貫いていた。
まずい。彼女の中の何かを、私は呼び起こしてしまったようだ。
「信じてるわけ……ないでしょう!」
上ずった声で叫ぶ彼女は、痛々しく……悲しい。
頬のすぐ横に刃が突き立てられる。
何度も、何度も……攻撃の精度が上がってきている。
「馬鹿だって思ってるんでしょう! 自分でもわかってますよ……っ!」
右頬にぴり、と痛みが走った。生温かいものがどろりと、肌を撫でていく。
私も、そろそろ避けるのは限界だ。
「でも縋るしかないんです! これしか、もう……!」
また、刃が迫りくる。
私はそれが振り下ろされる瞬間を見極め――……
「ストップ!」
突然の大声に彼女がひるんだ。
その隙を逃さず、唯一拘束がされていない足を、腹筋の力を駆使して振り……上げるっ!
「!?」
拍子にひねったのか、鈍い痛みが足首に広がった。
しかし、ナイフは狙い通り後方へと弾き飛ばされた。カラン、と乾いた音が反響する。
急に飛び出してきた足を避けようと、彼女はたたらを踏んで後ろへ下がった。
その反動だろう。目深にかぶっていたローブが外れた。
見覚えのある顔だ。
学園で出会ったときに見せてくれる笑顔。
ユーリに見惚れてるときのぼんやり顔。私たちの後輩――普通の女の子の顔。
「ソニア……!?」
「先輩……」
困惑したように瞳が揺れる。刃のような鋭さはすっかり鳴りを潜めていた。




