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妖精姫は深夜に眠る  作者: 波久音子
4.Who are you?
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7

 今更、人の生は惜しくない。

 妖精になろうが何だろうが、この世に存在しているのだからそれでいい。


 何よりも恐ろしいのはあの子を失うことだ――。



 再び静寂に包まれた部屋の中。クローゼットのドアを開け、ミッドナイトブルーのコートを取り出した。


 十五歳の誕生日に両親に贈られたものの、結局一度も袖を通したことは無い。

 深夜に正装が必要になる機会なんて、そうそうない……当然だ。


 女の体に男物のコートは大きすぎる。

 不格好だが、あと数時間、数分の我慢だ。


 護身用の短剣もベルトに仕込み、自室のドアをそっと開く。

 廊下に生徒の姿は一つもなかった。みんな機関の指示を守って、大人しくしているみたいだ。

 これ幸い、と『空飛ぶ箱』に乗り込む。


「ダウン――三階へ」


 箱はカタカタと音を鳴らしながら、目的のフロアへと私を連れて行った。


 この階も静かなものだ。

 廊下の突き当りまでまっすぐ進むと、ドアの前に人影が立ちはだかっているのが見えた。

 白いローブ――トールが呼び寄せた機関の職員だ。


 相手もこちらに気づいたようだ。

 明灯球をこちらに向けて私の格好を上から下まで眺めたのち、


「……ネメシア伯爵令嬢ですか。どのようなご用件で」


 訝し気に問う。……さすがに顔はバレてたか。

 答える代わりに、私は素早く彼との距離を詰めた。


 再び口を開かれるよりも早く、懐疑の視線を向ける瞳を覗き込み――


「リライト」


 力を放つ。


「あなたは何も見ていない。聞いていない。今晩、ここには誰も来なかった……いいわね?」


 こくん、と彼は一つうなずいた。その目は虚空を見つめていて、明らかに正気ではない。

 

 人の記憶をリライト――書き換える。

 できるとは知っていたけど、実際にやるのは初めてだ。


 とりあえず上手くいったのは良かったけど……そう何回もできそうにはない。

 人の精神に干渉するのは、モノを直すのとはワケが違う。

 先ほど授かった加護がなければ、今頃ぶっ倒れていただろう。


「……感謝します、妖精王」


 小さく祈りを捧げ、息を吐く。


 職員の様子を横目で窺いつつ、ドアに手をかける。

 とがめられることは無い。まだギフトの影響で正気にもどっていないのだろう。


 今のうちに――



 部屋に入ると、彼女は窓際の椅子に腰かけていた。視線は窓の外の月へと向いている。


「ノエル」


 ゆっくりと彼女はこちらを振り返った。

 上から下まで私の姿を眺め、口を開く。


「……変わった格好だね」

「日付が変われば普通になるよ」


 わざと口調を変えて言うと、彼女は「日付……?」と首を傾げた。


 この反応――。

 ずっと彼女に抱いてきたちぐはぐな印象。

 予感は、確信に変わった。


「君は誰だ?」

「どうしたの? 突然」

「答えろ。君は、誰だ?」

「……私は、ノエル・ローゼン」

「違う」

「何を言っているの、どこからどう見ても――」


「君は……ノエルじゃない」


 言いながら、自分の体が『書き換わっていく』のが分かった。


 視線が高くなり、体の重さが変わる。

 余っていたコートの袖も、もてあましていたパンツの裾も、誂えられたようにぴったりになった。


 息を吐いて様子を窺えば、彼女は小さく目を見開いていた。


「本物のノエルなら、この状況でそんな顔はしない」


 低くなった声で告げる。

 少女は一瞬の後、


「っ……ふふっ……なるほど、なるほど。そういうカラクリなのね……妖精姫、いえ今は『妖精王子』かしら?」


 肩を震わせ笑い声をあげた。

 次いで、彼女の姿がぐらりと揺れる。


 月明かりに溶けるように輪郭が薄くなっていき――やがて、目の前には見知らぬ少女の姿があった。


 細い糸のような銀髪。水晶のように透き通った瞳。

 人間離れした、異様とも言える美しさ。


 ――妖精だ。それも、かなり高位の。


「幻の妖精・パーシアか」

「ご名答よ、呪いにかけられた妖精姫。よく分かったわね」

「……虚構を見せる、という点において、あなたは夢の妖精によく似ている。でも、ここは夢の中ではない。現実世界に精巧な幻を生み出すことができるのは、あなたの特性だ」


 答えると、パーシアはパチパチと手を鳴らすフリをした。


 パーシアの力は日常そう目にすることはない。


 彼女の力の主な役割は、「まもなく死を迎える人々に『幸せな幻』を見せる」ことだ。

 その幻は、生前の思い出だったり、大切な人間だったりする。


 死という未知の旅路に出る人々から少しでも恐怖を取り除き、穏やかな終わりへと誘うためだ。


 つまり、彼女たちが人間の前に現れるのは、死に直面している人間がいる瞬間のみ。

 なのに「ここ」にいる――。


「どうして……」


 と、口を開きかけて最悪の事態に気づいてしまう。


「誰も死んではいないわ」


 こちらを見透かしたかのように、パーシアが言った。

 ……よかった。


「私はここに呼ばれただけ。自分の意思とは関係なく、ね」

「……闇の妖精使いに、操られているんだな?」


 答える代わりに、彼女は自身の首元を指で示した。

 細い首をぐるりと一周するように、木炭で描いたような黒い鎖が連なっていた。


「この鬱陶しい鎖でね。まったく……油断したわ。ま、エリアルみたいに完全に意思までは奪わせなかったけど」


 これでも最上級の妖精なのよね、あたし。とパーシアは得意げに言うと、


「そこそこ楽しめたし、まあ満足だったわ」


 そうつぶやく。次の瞬間――鎖は跡形もなく消えていた。


「……闇の妖精使いは、何に付け込んだんだ」

「退屈、よ」


 思ったよりもあっさりとパーシアが答えた。


「死んでいく人に幻を見せて、見送って。また幻を見せて……毎日毎日、同じことの繰り返し。たまには別の形で人間と関わってみたいって、思っちゃったのよね」


「……あなたの仕事は立派だ」


「ええ、当然。言っておくけど、私は誇りを捨てたわけじゃない。ただ……あるでしょ? 美味しい物を食べ続けていると、だんだん麻痺して、飽きてくるみたいなこと」


「いや、分かりますけど……そんな軽いノリでこんな大騒動引き起こされても困ります」


「だーかーら、こんなことさせたのは私じゃなくてあの妖精使い! ……とはいえ、妖精姫の想い人を巻き込んだのは悪かったわ」


 想い人、って……僕、何も言ってないんだけど。まあいいや……。


「お詫びに、あなたに道を示してあげる。聞きたいことはあるかしら?」

「……なぜ、闇の妖精使いはこんな回りくどいことをしたんだ」


 一連の事件が始まってから、ずっと疑問に思っていた。


 価値あるものを手に入れたい。そう思う者が現れること自体は何ら不思議なことではない。

 それが妖精王の至宝であるなら、なおのことだろう。


 でも、『それだけ』のことに、今の状況を生み出すだろうか。


「盃を盗み出すだけであれば、ノエルを騙る理由がない」

「ええ、そうね。あの子に罪を着せるだけなら、ここまでしなかった」


 成り代わって盃を盗み出した後、本物のノエルがその場に居たとしたら、だ。


 彼女は絶対に「身に覚えがない」と主張する。

 それは都合が悪い。だから、本物をどこかへ失踪させた。


 ……これはまだ、理解できる。


「そのまま盃と共に失踪させておくのが自然なはずなんだ。アリバイもロクにないのに、わざわざ現場に残る犯人は普通、いない」


 これじゃまるで、わざと捕まることを狙っていたみたいに――


「っ!」


 ようやくパズルの全体像が見えた。

 単純なことだった。


「時間稼ぎか……機関の捜索範囲を広げさせないための!」


 犯人がその場にいるのに、犯人の捜索に人を裂く必要はない。


 本物の盃も闇雲に捜索する必要はなくなる……犯人が情報を吐けば、それに基づいて調べれば良いのだから。――仮に、犯人が偽の情報を吐いたとしても、気づく術はない。


 パーシアが正解を示すように、手を叩いた。


「さすがは妖精王のお気に入り。では最後にもう一つ――あの子は聖堂にいるわ。早く行かないと、全部持って行かれちゃうわよ」


 そして、月明かりに溶けるように少女の姿は消えていった。


「全部、持って行かれる……?」


 何に? 最後の彼女の言葉を頭の中で反芻する。


 きっとこれこそが、こんな回りくどい窃盗劇を企てた闇の妖精使いの、真の動機につながるのだろう。


 今朝から今までのことを片っ端から振り返り――気づいた。


 反射的に部屋を飛び出す。ちょうど停まっていた『箱』に飛び乗り、下へと向かう。


 夜の学園を駆けだし、向かうは聖堂。


 このままでは、ノエルの身が――!

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