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「――!」
とくとく、と心臓が脈打つ音が聞こえた。
ゆっくりと目を開く。目に入ったのは見慣れた自室の天井……ではなく。
「いや、狭い! というか近い!」
寝巻のガウンの襟元。そこから覗く骨ばった首筋。
それを確認した瞬間、私は勢いよく体を……起こせず、ベッドに沈み込む。
ものすごい力で体を抱きすくめられていた。
視線をずらして、時計を見ると日付が変わっていた。
どうやらこの男、私を抱き枕か何かと勘違いしているらしい。
って、それより……!
「ユーリ! ちゃんと戻ってきてるよね!?」
あの時、伸ばした手は届かなかった。
目の前の胸板を拳で叩く。
数拍ののち、のろのろと瑠璃色の瞳が開いた。
「……戻ってきてるよ、ノエル。あとちょっと痛い」
「よ、よかった……」
「そんなに僕のことを心配してくれるなんて、嬉しいな」
「当たり前でしょ! ユーリがこのまま目覚めなかったら……」
言いながら、知らずのうちに大きく息を吐いていた。
もし最悪の事態になっていたら……そう考えるとぞっとする。
「ノエル」
「うぐ」
私の体をすっぽりと包み込んだ腕に、また力が込められた。
ちょ、ちょっと苦しい。あと近い!
「僕は絶対に、ノエルを独りにしないよ」
耳朶をくすぐるかすれ気味の声に、胸の奥がどくんと跳ねた。
「だからノエルも、僕を独りにしないで……」
腕がわずかに震えていた。まるで縋ってくる子供のようだった。
「ユーリ……?」
そろそろと様子をうかがう。
穏やかな寝息が聞こえてきた。
「いや、このまま寝ないで!」
せめて私を解放してほしい!
渾身の力で胸板を叩くと、うめき声と共に腕の力が緩んだ。
◇
「というわけで、胸板を強打されたせいで、ものすごく体が痛いんです。あの子、自分が力強いこと自覚してないのかしら……」
『それを自業自得と、人間の言葉では言うのだろう』
目の前の妖精王の声音が心なしか呆れているように聞こえる。
ネロと対峙してから一日が経った。
カレンは無事に目を覚まし、少し体力は落ちていたものの、日常生活を問題なくおくっていると、エトルカから連絡をもらった。
規則違反の罰則はまだ残っているけど、一旦大事にはならずに済んで一安心。
今は放課後。
ノエルは先生に呼び出され、職員室に出頭中だ。
よって、生徒会室には私ひとりきり。
静かで少し物足りないけど、妖精王に話したいこともあったからちょうどいい。
「さて……今回のネロの件ですが、不可解なことがいくつか」
私はあの夢の中で最後にネロとした会話と、その後の調査で入手した情報を思い出した。
「まず、事件の発端となった妖精道具――キャンドルですが、金の林檎で取り扱っている商品ではないようです」
日中、ネメシア家の者に頼んで、実際に店に見に行ってもらった。
結果、あの店で扱っているキャンドルは全て林檎の形――私たちがソニアからもらったものと同じだ――をしていて、円柱形のものは取り扱っていない、という返答を得た。
『なるほど、何者かが故意に店に紛れ込ませたというのか』
「おそらく。そしてその人物こそが、妖精の性質を歪め、操る力の持ち主と考えます」
そう話しながら、心の中では別のことを考えていた。
妖精王は、こんなこととっくにお見通しなんじゃないか。もしかしたら、真相さえも……。
『闇の妖精使いという者たちがいる』
突如投げかけられた未知の単語に、邪推を阻まれた。
聞いたことのない単語だ。
「普通の妖精使いとは違うのですか?」
『違う。その者たちは、妖精の暗の側面を加速させる』
妖精はそもそも二面性を持っている。
人を助けるために振るわれる明の側面、人を裁くために振るわれる暗の側面。
小さい頃から聞かされるおとぎ話の中にも出てくる、この国の常識だ。
妖精は人間の良き隣人であり、罪を裁く審判である。
その言葉の通り、人間が良き隣人である間は、妖精たちは自らの力を人間の益となる方向に貸し与えてくれる。
しかし、人間が罪を犯せば、その力はたちまち刃となり、人間に襲い来る。水害や地震といった災害がその筆頭だ。
『闇の妖精使いは特殊な術を扱う。妖精たちの悲しみや怒り、そういった負の感情を昂らせることができる術だ』
負の感情が爆発した妖精たちは、自分たちの力の暗の側面を過剰なまでに引きだしてしまう。
「それがエリアルやネロが暴走した経緯だと」
『ああ。あの二人は人間の生活に密着している故、一際人間に対する情も深い。些細な事につけこまれてしまったのだろう』
妖精王は言葉を切ると、珍しく深く息を吐いた。
『このまま闇の妖精使いが台頭すれば、人間と妖精の間に培われた関係性は崩れ、この国は成り立たなくなる』
妖精の力に圧倒された人間は、生活が成り立たなくなり、妖精を憎む。
人間の信仰を失った妖精は力を失い、やがて滅びを迎える。
つまりそれは、この国の滅び――絶対に避けねばならない。
『ユーリ。我の力を分け与えし者よ』
「はい」
『指針は定まった。闇の妖精使いを捕えよ』
それはますますこの身を危険にさらすということと同義だ。
でも、迷う余地はない。
「……かしこまりました」
妖精王が私に力を与える限り、私は大切なものを守ることができる。
そのためなら、自分の身の危険ぐらい安い物だ。
幼いころから叩き込まれた、貴族としての礼を取る。
妖精王は張りつめた気配をほんのわずかに和らげ、
『あの娘に真実を話さないのか?』
唐突にそんなことを尋ねてきた。
「真実……さて、どれのことでしょう?」
ノエルに隠していることなんて、たくさんありすぎる。
「私があなたと契約を結んでいること? あなたの契約の一環でこんな調査をしていること? それとも――私たちの呪いのこと?」
『全てだ。いつまでも隠し通せるものでもないぞ。あの娘はカンが鋭い』
そのセリフは私のことを心配しているようにも聞こえた。
けど、声音は面白がっている。完全に。
「分かってますよ。……でも、言いませんよ絶対に」
『なぜ?』
「……むしろなんて話せばいいんですか。『あなたは一度死んだのよ』なんて、言えるわけないでしょう」
ましてや、どうやってこの世に存在しているかなんて――。
「言ったら彼女は絶対に気に病んでしまう」
吐き捨てるように言った私をとがめる様子もなく、妖精王はくく、と笑った。
『お前は妖精よりも慈悲深いな、妖精姫。余程あの娘が大切と見える』
「皮肉ですか」
『いや、本心だ。……ではな、引き続き励め。妖精姫』
一方的に言うだけ言って、ふっと気配が消える。
深くソファに腰かける。自然と息がこぼれ出た。
闇の妖精使い、自分に与えられた使命。
呪いに、ノエルのことに……考えることはたくさんあって、進む先は霧の中のように霞んでみえる。
でも、私は私の決断を後悔しない。
コツコツと革靴の足音が近づいてくる。
一度ぱしん、と頬を軽くたたくと、私はソファに座りなおした。




