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妖精姫は深夜に眠る  作者: 波久音子
2.眠り続ける少女
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8

 ひりひりと肌が焼け付く。

 息を吸い込むと流れ込む熱い空気。体の内側から焼き尽くされそう。


 ……とても覚えのある感覚だった。


 鼻に刺さる何かが焦げ付く臭い。

 瞼を閉じていても分かる、圧倒的な赤色。


 知っている。この臭いを、色を……私は知っている。


 喉の奥まで入り込んだ熱風にたまらず咽込んだ。

 煙が染みて涙の膜が張った瞳を、恐る恐ると開いた。


 ガラスの瞳のテディベアが私をじっと見つめていた。


 間違いない。


 これはあの日の記憶。


 十年前の大火事――『セント・リースの大火事』と名付けられた厄災の記憶。



 その日、私は両親と百貨店を訪れていた。

 八歳の誕生日プレゼントを買ってもらうために。


 使用人として働いていた両親はいつも忙しく、こうして三人で出かけることはほぼなかったから、とても嬉しかったことを覚えている。


 おもちゃ売り場で、私は父にテディベアが欲しいとねだった。

 透き通るガラスの瞳に一目ぼれしてしまったのだ。


 父は私の頭を撫で、


「どれがいいんだ?」


 と尋ねた。


「どの子も可愛いわね」


 と、顔をほころばせる母と一緒に飽きることなく棚を眺めた。

 父と母の笑顔を見たのは、それが最後だった。




 どうしてそうなったのかはよく覚えていない。


 火事だ、と誰かが叫んでいた。


 母親に手を引かれ、父親の背を追ってひたすら走った。


 しかし、私は手を放してしまった。


 たちまち両親と私の間には火の壁が立ちふさがった。


 母親の私を呼ぶ声がだんだんと小さくなっていき、私は一人炎の中に取り残された。

 


 あの時と同じように、炎が目の前に迫っていた。


 髪の焦げる臭いが鼻をつく。

 本能が警鐘を発している。

 無意識のうちに一歩後ずさっていた。……背中にも灼熱が触れているというに。

 体が震えだした。足も手も、動かない。


 逃げないと。逃げないと。逃げないと。どこに? どこ。おとうさん、おかあさん。どこどこどこ? 逃げないと逃げないと。どこ。どこ。どこに。火の無いところ。どこ。ない。そんなのない。おとうさんおかあさん。こわい、あつい。くるしい……!


 目の前がチカチカと光っていた。喉の奥がひゅう、と音を立てている。


 喉が渇いていた。あつくて、くるしくて、自分がもう、何をしているのかもわからない。

 後ろの髪が焦げて、嫌な臭いを放っていた。

 

 ああ、だれか、だれか、だれか……!


「助けて……っ!」




「――ノエルっ! 目を覚ましなさい!」


 凛とした声が私の名前を呼ぶ。

 千々に乱れていた思考が急速に整っていく。


「ユーリ……?」


 見慣れた少女の陰が、炎の向こうに揺らめいていた。


 なんで、ここに……? あの日私は一人で……。


「これは夢よ。今はあの大火事の日じゃない。目を覚まして」


「ゆめ……」


「ええ。あの日はもう終わったのよ。この炎も、あなたが消えろと願えば消える。すべて妖精の作り出した夢なのよ」


 そう、だ。


 私は今……生きているじゃないか。



 たしかにあの日、一人で炎の中にいた。

 ただ、独りぼっちにはならなかった。


 父と母を亡くしても、ユーリが傍にいてくれた。



 奇跡的に一命をとりとめた私は、両親の勤め先であったネメシア家に保護された。


 火傷とショックで三日三晩眠り続け――目覚めた時。

 一番最初に聞いた声はユーリの物だった。


『ノエル!』


 あの時の泣き出しそうな彼――いや、彼女の顔を私は今も忘れない。



「……また、ユーリに助けてもらっちゃったなぁ」


 気がつけば私たちを隔てていた炎の壁は、跡形もなく消え去っていた。


 彼女が差し伸べている手は、あの日の物より大きい。

 けど、握りしめた時の温もりは変わらない。


 「何度だって助けるわ。あなたを失うわけにはいかないもの」


 ユーリの顔は紙のように白かった。

 もしかしたら、ユーリ自身も悪い夢を見たのかもしれない。


 それなのに私のことを助けてくれた。


 小さい頃は私が守ってばかりだったのに……いつの間にこんなに頼もしくなったんだろう。


「……ありがとう」


 言いたいことはたくさんあった。けど上手くまとまらなくて、結局それだけ口にした。

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