1
この世の全ての物には『妖精』が宿っている。
妖精は太古の昔よりその力で人々を助け、導いてきた。
妖精は我らの師であり、隣人であり、罪を裁く審判である。
この世界唯一の大陸、その西端に位置する小国――ラナン王国に生まれた子供は皆、物心ついたときにそんな話を聞かされる。
広い大陸の中には、妖精なんておとぎ話だ、なんていう人もいるみたいだけど、私のような生粋のラナン国民は、
「今日は風の妖精が騒がしいね」
「灯りが切れちゃったよ。光の妖精の機嫌が悪いのかもなぁ」
「悪い子には妖精王様から罰が下るよ」
なんて会話をごく当たり前に繰り広げている。
でも、私は妖精というものを本当に見たことは無かった。私だけじゃない。多くの国民がそうなのだ。
本や絵に描かれているから、『こういうもの』というイメージはある。が、それが真実の姿なのか確かめたことが無い。
いや、確かめることができないというのが正しいか。
妖精という存在は人間の目には映らない。気配を消し、陰からそっと私たちを見守る、恥ずかしがり屋な隣人なのだ。
そんな彼らが心を許しその姿を現すのは、ほんの一握りの人間――『妖精使い』の前でのみ。
妖精から特別な能力『ギフト』を借り受けることができる妖精使いは、この国の発展や暮らしに無くてはならない貴重な人材だ。
私――ノエル・ローゼンの友人、ユーリ・ネメシア伯爵令嬢も妖精使いである。
王国首都にある名門校・アスター学園の生徒会長。才色兼備の美女で、貴族の身分を鼻にかけない人格者。強力な能力を保持しており、妖精使いとしての実力も折り紙付きだ。
そして全ての妖精を統べる存在――『妖精王』からの覚えもめでたい、特別の中でも群を抜いて特別な妖精使い。
あまりにも完璧すぎるそのスペックから、妖精に愛された姫――『妖精姫』なんて二つ名まで付けられている。
運動以外特に取り得もない私とは雲泥の差だ。
幼い頃から付き人として傍にいるが、未だに一つとして彼女に勝てそうな部分は見つからない。
そんな彼女は、瑠璃色の目をすっと細めて、優雅にほほ笑んだ。
「ノエル。私って近寄りがたいかしら?」
ふんわり柔らかな陽光が西向きの窓から差し込む放課後。生徒会室でのことだった。
ティースプーンで慎重に茶葉をすくっていた私は、仕方なしにその手を止める。
「なんでそんなことを笑顔で聞いてくるの……」
生徒会長専用の革張りの椅子にゆったりと腰かけ、足を組む。
その姿からは無言の圧力のようなものを感じる。美女の微笑みはそれだけで十分なプレッシャーになるのだ。
「ノー以外の返事を許さない感じだよね、その顔は」
「その返事の仕方だと、私は近寄りがたいってことね」
笑顔が怖い……。思わず目を逸らす。
「もう、分かってるわよ……」
拗ねた風にユーリは頬を膨らませた。
「今日廊下で男子が話しているのを聞いちゃったのよ」
「『リーヴォ』……なんて?」
ティーポットが熱いお湯で満たされる。すぐに茶葉が開き、爽やかな香りが漂い始めた。
「とても声はかけられないー、とか、住む世界が違いすぎるー、とか」
心の中で男子生徒に激しく同意した。
私が男だったとしてもそう言うに違いない。街中でアンケートをとっても、100人中97人はそう答えるだろう。(残り3人は彼女と同スペックのレア男子だ)
「私もたまには恋とか愛とか楽しんでみたいのに。上手くいかないものね」
憂鬱そうなため息をセットにそんなことをつぶやく姿は、物語に出てくる囚われのお姫様のごとく悩ましい。
何とかしてあげたい! ――多くの人はそう心に抱くだろう。
だが、私は騙されない。その演技には騙されないぞ。
「ホントはその気もないくせに」
「あら、バレちゃった」
ウィンクを一つ飛ばして、ユーリはするりと手を伸ばす。そのまま私を引き寄せると、腰に腕を回した。
「私はノエルが傍にいれば十分だから」
耳元でささやく吐息がくすぐったい。からかいまじりの声音。……まーた始まった。
頭痛をこらえつつ彼女を引き剥がした。
「これ、他の人にやらないでよ。その顔でやられたら死人が出る」
「そんなことしないわよ!」
失礼ね、とそっぽを向いたユーリの傍にティーカップを置く。
よし、今日はいい感じに淹れられた。絶賛拗ねている最中のこの美女様も、きっと気に入ることだろう。
「冷める前に飲んでよ」
「……はぁい」
子供みたいな返事をしたユーリは、大人しくティーカップを持ち上げた。