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妖精姫は深夜に眠る  作者: 波久音子
1.クラブハウスの侵入者
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13

 建物を再び書き換え元通りにし、エリアルが荒らした場所をある程度片付け終えた頃には、日付が変わっていた。


 今夜は月の見えない晩だった。


 エリアルとの追いかけっこに後片付け。

 疲れ切った体に鞭を打って、私は学園の中庭を駆けていた。


 背中にはずっしりとした重みがある。

 書き換えた壁を戻したあとにぶっ倒れた彼女――いや、彼のものだ。


 時折、寝息が首元をくすぐっていった。


 まったく、こっちの気もしらないで……!


 荒い呼吸音と、できるだけ忍ばせた足音。すっかり灯りが消えた校舎の間に響くのはそれだけだ。


 ようやくの思いで寮にたどり着くと、さらに足音を忍ばせ廊下を進む。


 玄関ホールを抜けた先には『空飛ぶ箱』という妖精道具がある。


 五階建ての寮の建物の最上階まで、一気にモノや人を運んでくれる優れモノだ。


 普段は私も階段を使うのだが、今日ばかりはスピード重視でこちらを選択した。……足が限界なのもある。


「『コール』」


 囁くと、目の前のドアの中からカタカタと小さな音が鳴った。

 ちょうど上階に行っていた「箱」がこちらに下りてきている音なのだが……。


 あああっ、響く! いつもなら気にならないんだけど、この状況だとちょっとうるさい!


 誰もこないで! 気づかないで!


 必死に祈る。が、……そんな願いもむなしく。


「『イルミア』!」


 鋭い声と共に、まばゆい光が容赦なく私たちを照らし出す。


「そこで何をしている!」


 靴音を鳴らし姿を現したのは、寮長先生だ。中年の男性教師で、手には鋭く光を放つランタン――明灯球を持っている。


 ああ、今一番会いたくなかった人だ……!


「ご、ごきげんよう。寮長先生……ちょっとまぶしいので、『明灯球』を下げてもらえると……」


 笑みが引きつらないように最大限の注意を払って挨拶をすると、彼は、


「お前は……ノエル・ローゼンだったか」


 私の名前を思い出したようだった。


 『デルミア』の合言葉とともに、手元に携えたランタンの灯りが弱まる。

 うん。ようやくまともに目を開けられる……って、そうじゃなくて!


 一刻も早くこの場を立ち去らなければ。

 焦る気持ちとは裏腹に、箱は未だにカタカタと音を鳴らしている。下りてくるにはもう少しかかりそうだ……。


 背中をつう、と汗が伝う。


「このような時間に何を……ん、その背中のは……?」


 先生の視線は私の背後――正確には背中に負ぶわれている人物を真っすぐ見ていた。


 あああっ、やっぱ気づきますよね!


「ええっと、ユ……じゃなくて、彼はそのー……ちょっと生徒会の手伝いを頼んだんですが! 頑張りすぎて疲れちゃったみたいで……部屋まで送るところでした!」


 頭をフル回転させた割には、しっちゃかめっちゃかな言い訳だった。

 これで誤魔化されてください……。


「……ローゼン、見かけによらず力があるのだな」


 今度の願いは無事聞き届けられたらしい。


「あ、はは……」


 乾いた笑いで先生の指摘を受け流す。


 こう見えて力持ちなのだ、私は。

 ひょろっこい「男」の一人、背負って走るくらいワケない。


「だが、男子部屋に一人で行くのは感心せんな。私が代わろう」


 ああ、ですよねっ!


 一難去ってまた一難。

 先生の申し出は至極当然で、普通の生徒であれば素直にお願いしていたことだろう。


 だが、私たちは普通じゃない。


 ……ていうか、私は普通のつもりなんだけど、背中のヤツが普通じゃない。


「い、いえ、先生のお手を煩わせるわけには!」


 なんとか断らねば、とまた頭をフル回転させる。


 と……そこでタイミングよくベルの音と共に扉が開いた。

 「箱」がようやく下りてきたのだ。


 すぐさま私は扉の中に滑り込んだ。


「で、では先生、おやすみなさい!」


 引き留められる前にぴしゃりと扉を閉める。


「『レイズ』、最上階まで!」


 合言葉を唱えれば、カタカタという音と、ふわりと足元から浮遊する感覚が体を包み込む。

 体の奥底から、大きなため息が漏れ出た。


「せめてあんたが女ならなぁ……」


 せんなき私のつぶやきは誰にも届かず、夜の闇に消えていく。


「……そんな無茶、言わないでよ」


 ――なんと返事があった。


「うわあああっ!?」


 かすれ気味の低音が耳朶をくすぐる。思わず素っ頓狂な声をあげ、手を離してしまった。


「痛ったぁ!」


 ガンっ、と鈍い音と共に背中が軽くなる。


「ご、ごめん、ユーリ! つい驚いて!」

「そろそろ慣れてよ……もう十年近くだよ?」


 慌てて振り返ると、尻餅をついた格好になったユーリが上目遣いで睨む。


 その口から紡ぎだされた男の人の声に眩暈がした。


 声だけじゃない。


 腰まで伸びていた銀色の髪は肩に届かないくらいの長さに。

 丸みを帯びていた体は、まっすぐな線へ。

 細身だけど、腕についた筋肉に自分とは違うものを感じる。


 それなのに服装はいつもの女子の制服姿で、それが異様に似合っていて。ちぐはぐな光景に頭が追いつかない。


「どうしたの? もしかして、『僕』に見惚れでもした?」


 からかうように笑われて、私は何も言えなくなって黙り込んだ。


 秘密主義のユーリ・ネメシア、その中でも最大の秘密が……これ。


 彼は生まれながらの男性であること。

 そして、日中は女性の体に、夜の間だけ男性の体に戻るという呪いにかけられていること。


 当然、このことは私とユーリと、一部の人しか知らない。


 無言で差し出した私の手を、硬くて骨ばった手がつかむ。

 立ち上がったユーリは苦笑した。


「ギリギリセーフ、かな。ノエルのおかげで先生には気づかれなかったし」

「……起きてたの?」

「うっすらと。ちょっと休んだら、楽になった」


 ベルの音が鳴り、「箱」が停止する。

 外に出ると、私たちの部屋はもう目の前だった。


「あー、もう。汗だく……」


 春先とはいえ、全力疾走を繰り返せばこうもなる。

 制服のシャツが体に貼りついて気持ち悪い。


「シャワー先に使う? あ、それとも一緒に入る?」

「お先に頂きますっ!」


 なにを言っているんだ、この男!


 部屋に入り、速攻シャワールームのドアを閉める。

 扉の向こうからはくすくすと笑い声が聞こえてきた。


 またからかわれた……。


 しばらくして彼が遠ざかる気配がして、ようやく私は人心地ついた気分になった。



 制服を脱いで、適当に放り投げ、熱いシャワーを頭から被る。

 汗と一緒に先ほどまでの混乱も流されたのか、いくらか冷静になれた。


「呪い、かぁ」


 ユーリは七歳までは普通の男の子として暮らしていた。


 呪いを受けたのは、首都で起きた大火事がきっかけだったらしい。


 なにかの事故に巻き込まれたのか、誰かに意図的にかけられたのか、その辺りの事情は私も知らない。


 ただ、この状態がずっと続くのは良くない。

 それだけは分かる。


 名門貴族・ネメシア家の後継者たるユーリだ。弱みとなる秘密は無いに越したことは無い。

 こんなんじゃ結婚だってできないしね……。


 そしてなにより、私が困るのだ。

 それはもう……非常に。


 昼の女子バージョンの距離感が抜けないのか、ヤツはあの姿で抱き着いたり、耳元で囁いたりしてくるのだ。


 心臓に悪いことこの上ないし、ちっとも気が休まらない。


 ユーリはユーリ。それは分かっているんだけど……。


「呪いを解く方法、早く見つかって……!」


 ああ、神様。偉大なる妖精王様……。


 どうしてあなたは、彼に、彼女にこんな呪いを与えたのでしょうか……!


 熱いお湯と共に、私のぼやきは流れていく。

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