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建物を再び書き換え元通りにし、エリアルが荒らした場所をある程度片付け終えた頃には、日付が変わっていた。
今夜は月の見えない晩だった。
エリアルとの追いかけっこに後片付け。
疲れ切った体に鞭を打って、私は学園の中庭を駆けていた。
背中にはずっしりとした重みがある。
書き換えた壁を戻したあとにぶっ倒れた彼女――いや、彼のものだ。
時折、寝息が首元をくすぐっていった。
まったく、こっちの気もしらないで……!
荒い呼吸音と、できるだけ忍ばせた足音。すっかり灯りが消えた校舎の間に響くのはそれだけだ。
ようやくの思いで寮にたどり着くと、さらに足音を忍ばせ廊下を進む。
玄関ホールを抜けた先には『空飛ぶ箱』という妖精道具がある。
五階建ての寮の建物の最上階まで、一気にモノや人を運んでくれる優れモノだ。
普段は私も階段を使うのだが、今日ばかりはスピード重視でこちらを選択した。……足が限界なのもある。
「『コール』」
囁くと、目の前のドアの中からカタカタと小さな音が鳴った。
ちょうど上階に行っていた「箱」がこちらに下りてきている音なのだが……。
あああっ、響く! いつもなら気にならないんだけど、この状況だとちょっとうるさい!
誰もこないで! 気づかないで!
必死に祈る。が、……そんな願いもむなしく。
「『イルミア』!」
鋭い声と共に、まばゆい光が容赦なく私たちを照らし出す。
「そこで何をしている!」
靴音を鳴らし姿を現したのは、寮長先生だ。中年の男性教師で、手には鋭く光を放つランタン――明灯球を持っている。
ああ、今一番会いたくなかった人だ……!
「ご、ごきげんよう。寮長先生……ちょっとまぶしいので、『明灯球』を下げてもらえると……」
笑みが引きつらないように最大限の注意を払って挨拶をすると、彼は、
「お前は……ノエル・ローゼンだったか」
私の名前を思い出したようだった。
『デルミア』の合言葉とともに、手元に携えたランタンの灯りが弱まる。
うん。ようやくまともに目を開けられる……って、そうじゃなくて!
一刻も早くこの場を立ち去らなければ。
焦る気持ちとは裏腹に、箱は未だにカタカタと音を鳴らしている。下りてくるにはもう少しかかりそうだ……。
背中をつう、と汗が伝う。
「このような時間に何を……ん、その背中のは……?」
先生の視線は私の背後――正確には背中に負ぶわれている人物を真っすぐ見ていた。
あああっ、やっぱ気づきますよね!
「ええっと、ユ……じゃなくて、彼はそのー……ちょっと生徒会の手伝いを頼んだんですが! 頑張りすぎて疲れちゃったみたいで……部屋まで送るところでした!」
頭をフル回転させた割には、しっちゃかめっちゃかな言い訳だった。
これで誤魔化されてください……。
「……ローゼン、見かけによらず力があるのだな」
今度の願いは無事聞き届けられたらしい。
「あ、はは……」
乾いた笑いで先生の指摘を受け流す。
こう見えて力持ちなのだ、私は。
ひょろっこい「男」の一人、背負って走るくらいワケない。
「だが、男子部屋に一人で行くのは感心せんな。私が代わろう」
ああ、ですよねっ!
一難去ってまた一難。
先生の申し出は至極当然で、普通の生徒であれば素直にお願いしていたことだろう。
だが、私たちは普通じゃない。
……ていうか、私は普通のつもりなんだけど、背中のヤツが普通じゃない。
「い、いえ、先生のお手を煩わせるわけには!」
なんとか断らねば、とまた頭をフル回転させる。
と……そこでタイミングよくベルの音と共に扉が開いた。
「箱」がようやく下りてきたのだ。
すぐさま私は扉の中に滑り込んだ。
「で、では先生、おやすみなさい!」
引き留められる前にぴしゃりと扉を閉める。
「『レイズ』、最上階まで!」
合言葉を唱えれば、カタカタという音と、ふわりと足元から浮遊する感覚が体を包み込む。
体の奥底から、大きなため息が漏れ出た。
「せめてあんたが女ならなぁ……」
せんなき私のつぶやきは誰にも届かず、夜の闇に消えていく。
「……そんな無茶、言わないでよ」
――なんと返事があった。
「うわあああっ!?」
かすれ気味の低音が耳朶をくすぐる。思わず素っ頓狂な声をあげ、手を離してしまった。
「痛ったぁ!」
ガンっ、と鈍い音と共に背中が軽くなる。
「ご、ごめん、ユーリ! つい驚いて!」
「そろそろ慣れてよ……もう十年近くだよ?」
慌てて振り返ると、尻餅をついた格好になったユーリが上目遣いで睨む。
その口から紡ぎだされた男の人の声に眩暈がした。
声だけじゃない。
腰まで伸びていた銀色の髪は肩に届かないくらいの長さに。
丸みを帯びていた体は、まっすぐな線へ。
細身だけど、腕についた筋肉に自分とは違うものを感じる。
それなのに服装はいつもの女子の制服姿で、それが異様に似合っていて。ちぐはぐな光景に頭が追いつかない。
「どうしたの? もしかして、『僕』に見惚れでもした?」
からかうように笑われて、私は何も言えなくなって黙り込んだ。
秘密主義のユーリ・ネメシア、その中でも最大の秘密が……これ。
彼は生まれながらの男性であること。
そして、日中は女性の体に、夜の間だけ男性の体に戻るという呪いにかけられていること。
当然、このことは私とユーリと、一部の人しか知らない。
無言で差し出した私の手を、硬くて骨ばった手がつかむ。
立ち上がったユーリは苦笑した。
「ギリギリセーフ、かな。ノエルのおかげで先生には気づかれなかったし」
「……起きてたの?」
「うっすらと。ちょっと休んだら、楽になった」
ベルの音が鳴り、「箱」が停止する。
外に出ると、私たちの部屋はもう目の前だった。
「あー、もう。汗だく……」
春先とはいえ、全力疾走を繰り返せばこうもなる。
制服のシャツが体に貼りついて気持ち悪い。
「シャワー先に使う? あ、それとも一緒に入る?」
「お先に頂きますっ!」
なにを言っているんだ、この男!
部屋に入り、速攻シャワールームのドアを閉める。
扉の向こうからはくすくすと笑い声が聞こえてきた。
またからかわれた……。
しばらくして彼が遠ざかる気配がして、ようやく私は人心地ついた気分になった。
制服を脱いで、適当に放り投げ、熱いシャワーを頭から被る。
汗と一緒に先ほどまでの混乱も流されたのか、いくらか冷静になれた。
「呪い、かぁ」
ユーリは七歳までは普通の男の子として暮らしていた。
呪いを受けたのは、首都で起きた大火事がきっかけだったらしい。
なにかの事故に巻き込まれたのか、誰かに意図的にかけられたのか、その辺りの事情は私も知らない。
ただ、この状態がずっと続くのは良くない。
それだけは分かる。
名門貴族・ネメシア家の後継者たるユーリだ。弱みとなる秘密は無いに越したことは無い。
こんなんじゃ結婚だってできないしね……。
そしてなにより、私が困るのだ。
それはもう……非常に。
昼の女子バージョンの距離感が抜けないのか、ヤツはあの姿で抱き着いたり、耳元で囁いたりしてくるのだ。
心臓に悪いことこの上ないし、ちっとも気が休まらない。
ユーリはユーリ。それは分かっているんだけど……。
「呪いを解く方法、早く見つかって……!」
ああ、神様。偉大なる妖精王様……。
どうしてあなたは、彼に、彼女にこんな呪いを与えたのでしょうか……!
熱いお湯と共に、私のぼやきは流れていく。




