月の見えない晩だった。
疲れ切った体に鞭を打って、私は学園の中庭を駆けていた。
背中には年頃の男性らしい、ずっしりとした重みがある。時折、寝息が首元をくすぐっていった。
まったく、こっちの気もしらないで……!
荒い呼吸音と、できるだけ忍ばせた足音。すっかり灯りが消えた校舎の間に響くのはそれだけだ。
ようやくの思いで寮にたどり着くと、さらに足音を忍ばせ廊下を進む。
「『コール』」
囁くと、目の前のドアの中からカタカタと小さな音が鳴った。
あああっ、響く! いつもなら気にならないんだけど、この状況だとちょっとうるさい!
誰もこないで! 気づかないで!
……そんな願いもむなしく。
「『イルミア』! そこで何をしている!」
鋭い声と共に、まばゆい光が容赦なく私たちを照らし出す。
「ご、ごきげんよう。寮長先生……ちょっとまぶしいので、『明灯球』を下げてもらえると……」
笑みが引きつらないように最大限の注意を払って挨拶をすると、中年の寮長先生は、
「お前は……ノエル・ローゼンだったか」
私の名前を思い出したようだった。
『デルミア』の合言葉とともに、手元に携えたランタンの灯りが弱まる。
ようやくまともに目を開けられる……。
「このような時間に何を……ん、その背中のは……?」
あああっ、やっぱ気づきますよね!
「ええっと、ユ……じゃなくて、彼はそのー……ちょっと生徒会の手伝いを頼んだんですが! 頑張りすぎて疲れちゃったみたいで……部屋まで送るところでした!」
「……ローゼン、見かけによらず力があるのだな」
「あ、はは……」
乾いた笑いで先生の指摘を受け流す。こう見えて力持ちなのだ、私は。
ひょろっこい男一人、背負って走るくらいワケない。
「だが、男子部屋に一人で行くのは感心せんな。私が代わろう」
一難去ってまた一難。先生の申し出は至極当然で、普通の生徒であれば素直にお願いしていたことだろう。
だが、私たちは普通じゃない。
「い、いえ、先生のお手を煩わせるわけには!」
と、タイミングよくベルの音と共にドアが開く。
すぐさま私は中に滑り込んだ。
「で、では先生、おやすみなさい!」
引き留められる前にドアを閉める。
「『レイズ』、最上階まで!」
カタカタという音と、ふわりと足元から浮遊する感覚が体を包み込む。
体の奥底から、大きなため息が漏れ出た。
「せめてあんたが女ならなぁ……」
せんなき私のつぶやきは誰にも届かず、夜の闇に消えていく。
ああ、神様。偉大なる妖精王様……。
どうしてあなたは、彼に、彼女にこんな呪いを与えたのでしょうか……!