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6話 旦那様はウブなのか大胆なのか

嘔吐表現注意。

「ご、ご挨拶が遅れまして申し訳ありません、ローゼフェルト公爵夫人。エルランド伯爵家長女セルヴィア・エルランドですわ」

慌てて立ち上がり淑女の礼をとる。そんなセルヴィアを伯爵夫人は全身睨めつけるように値踏みしながら見つめる。

「ふむ。こんな庶民と変わらない席に公爵家嫡男の婚約者が座っているとは。貴族としての品位は期待できそうにないな?やはり伯爵家と言ったところか」

初めから期待していなかったのか、その口調に失望の色はなかったが、冷めた視線と恐ろしいまでの無表情さはセルヴィアの顔をより一層青ざめさせた。


「来なさい、私と共に奥の席を使わせる」


奥の席とは、賓客を優待するための特別室の事だ。他の席とは明らかに違う、煌びやかで品のある一室にある豪華なソファに腰掛ける。向かいには当然公爵夫人が堂々と座っている。メニュー表も開かずに店のオーナーに何事かを指示すれば、美しいティーポットに入った紅茶と共に軽食、と呼ぶには豪華すぎるアフタヌーンティーのセットが運ばれてくる。

メイドが公爵夫人、セルヴィアと順に各々のカップに紅茶を注いでいく。色鮮やかな紅茶はどうやらフレーバーティーだったようだ。注いだ瞬間、甘く芳醇な果物の香りが漂ってきた。公爵夫人が一口飲んだのを見計らい、セルヴィアも恐る恐る紅茶を口にする。夫人はその様子を卑しい子鼠でも見るような目つきで眺めると、億劫そうに口を開いた。


「お前達の結婚式まであと三ヶ月しかない。王命によりずいぶんと急がされて準備もままならぬ。式の中身は私が取り仕切る故良いが、問題は花嫁だ。格下の伯爵家から嫁を取るということは、公爵家より礼儀も未熟で教養も品も劣る娘を次期公爵夫人にしなければいけないということだ。アレと違って幼い頃から高等教育を受けていないお前では、あと三ヶ月という準備期間は短すぎるな。結婚してから教育するとしても、親族に顔見せするにも値しない出来だ。こうして顔を合わせると、予想以上に悪いのがよく分かるな」


その言葉に冷や水を浴びたかのようにセルヴィアの背筋が伸びる。女傑が如き貫禄と、視線の鋭さを持った夫人が睨めつけ、値踏みしてくるのだ。震え上がらない方が無理というものだ。それでも行儀良くいなくてはと、背筋や手足に力を込める。そのまま永遠とも思われる沈黙が下り、蛇に睨まれた蛙が如くセルヴィアは動けずにいた。目をそらすことも許されないとばかりの厳しい視線に段々と胃が痛み吐き気をもよおしてきた。


「顔色が悪いな。せめて健康な体ではないと跡継ぎどころではないだろうに。食べろ」

そこに部屋の隅で様子を伺っていたハンナが二人に近づき割って入る。

「いえ、お嬢様は具合が悪いようですのでここでお暇を」

「一介のメイド風情が公爵夫人である私に物申すか。よいか、食べろと言ったのだ。二度も言わせるな」

その口ぶりに伯爵夫人より年上であるハンナでさえ、びくりと体を震わせ反射的に頭を下げた。それでも夫人の前から下がらないのは、セルヴィアを守りたい一心からだろう。伯爵夫人がイライラとした様子で扇子でソファを叩いた。ピシャリとした音が部屋中に響き渡る。

「はい、食べますわ」

その音にハッとしたセルヴィアは慌てて返事をすると、心配するハンナを手で制し無理やりに目の前のキッシュを口に運ぶ。しかし、吐き気をもよおしたままのためうまく飲み込めない。前にもこんな事があったとセルヴィアは思い出す。嫁いできてしばらく経ってからの義母との夕食会の日、ストレスのせいか具合が悪くその日は朝から吐き気がした。その時も義母の視線を気にして無理やり食べたのだ。しかし、結局嘔吐してしまった。義母は侮蔑と嫌悪の目を向け、叱りながら扇でテーブルを力強く叩き、そのままセルヴィアに向かって投げつけてきた。背に当たり床に落ちる扇。必死に謝るセルヴィア。その様子を義父と夫は黙って見ていた。そして三人とも退室してしまった。床に膝をつくセルヴィアを一人残して。吐瀉物にまみれた床やドレスを片付ける使用人達に申し訳がたたず何度も謝るセルヴィアに対し、執事だけが哀れんだ目を向けていた。それ以来義母の前では食事がまともにとれなくなった。

今日もまた吐いてしまうのだろうか。それはまずいと、セルヴィアの顔いっぱいに冷や汗が浮かぶ。なんとか飲み込まなくては。


「お嬢様!しっかり!聞こえていますか!?」


傍にいるはずのハンナの声がなぜか遠く聞こえる。代わりに公爵夫人のため息が大きく聞こえてきた。


「なんだこの娘は。ひどすぎる」


「母上。何をしているのですか」


わずかに顔を上げると、そこには騎士服のローレンスが立っていた。


「お前こそなぜここにいる?」

「任務から帰る途中に母上の馬車とセルヴィア嬢の馬車を見かけまして。店の前にいた使用人にここいると聞きました」

「ほぅ。しかし、なぜお前がこの娘をわざわざ気にかけるのかが意味が分からぬな。出来の悪い婚約者に情でも湧いたか?」

「母上こそ王命の意味が分からぬ訳ではないでしょうに。今から嫁いびりとはずいぶんと気が早い」

「私は何もしておらぬ。そこの娘が勝手に怯えているだけだ」

「大の男でも卒倒する程鋭い母上の視線と圧を前にして、並の令嬢が耐えられるでしょうか。私は王から賜った義務を無事果たしたいのです。母上には邪魔しないで頂きたい」

「ふん、若造が生意気な口をきく。もう当主気取りか?」

「ええ、三ヶ月後には当主です。その時無事屋敷で過ごしていたいのならば、あなたはもう少し大人しくした方がいい。それか、隠居先を今から考えるのも一興でしょう」

流暢に交じわされる二人の言い争いを、セルヴィアは力なく聞いていた。公爵夫人は相変わらず恐ろしいが、無表情で淡々と返すローレンスが怯む様子はない。翠色の目と銀髪と、色味だけはよく似た二人がお互いに睨み合う。

しばらくして、公爵夫人は手で扇をピシャリと打つと、ドレスをひるがえしメイドが慌てて開けた扉に向かって足早に歩いていく。しかし退出する直前に夫人は大きなため息をつきローレンスを振り返って睨めつけた。

「女に惑わされたか。お前にはもう少し公爵家としての誇りがあると思っていたのだが。期待しすぎたようだな」

その言葉を最後に夫人は出ていった。


「大丈夫ですか?」

ローレンスが振り返りセルヴィアに平坦な口調で声をかける。

「ローレンス様、大変ありがたいのですがお嬢様と一緒に少し席を外させて頂きます。どうかそこでお待ち頂けないでしょうか」

ハンナがセルヴィアを庇うように再度割って入る。

「ああ、いいだろう」

ハンナに背を優しく撫でられながら、もう片方の手で支えられなんとか立ち上がるとゆっくりと部屋を後にする。

店のスタッフに声をかけ借りた別室で、口の中にいつまでもあったキッシュを吐き出し、口をすすぐ。部屋についていた大きな鏡で自分の姿を見たが、ひどいものだった。そのままハンナに泣きつきたい衝動を抑え、高鳴る心臓をどうにか鎮めて、ローレンスが待つ部屋へ急ぐ。

ハンナがノックすれば、「ああ」という短い返事が聞こえた。入室すれば、新しい紅茶を飲んでいたローレンスがさして気にした様子もなく出迎える。向かい側のソファに腰を下ろす。どう謝ろうか逡巡していると、ローレンスが先に口を開いた。


「母上が悪かった」


それを聞いて罪悪感と情けなさにセルヴィアは一気に襲われた。

「いえ!申し訳ありません!実のお母様に対し、私のせいでローレンス様にあんな事を言わせてしまいました。それに大変な結婚の準備をして下さっている公爵夫人に対し私は大変な無礼を」

「私達親子はもとからあんな関係だ。仲が良かった事はなく、お互い貴族としての義務感だけで動いている。貴方が気にすることはない」

無表情に淡々と話す様子はいつも通りだ。そこに労りや同情の影はなく、事実を述べているだけのようだった。しかし、それでもセルヴィアを義母から庇うのは今回が初めてだ。今まで夫は沈黙を貫いてきた。


「では、なぜ今更。あの時は助けてくださらなかったのに」


思わずこぼれた本音と共に涙が滲んでくる。


「何の話だ?」

驚いたように、顔をあげたローレンスが真意を探るようにまじまじとセルヴィアを見つめる。

「いえ、何でもありません。ローレンス様には深く謝罪と感謝の意を示します。公爵夫人には後日無礼をお詫びする手紙を書きます」

俯きながら誤魔化すように早口で話す。


「セルヴィア嬢、落ち込むだけムダだ。今回の事は忘れてまた能天気に微笑んでいればいい。私は気にしない」

「いえ、義母となられる公爵夫人に嫌われて、もうお終いですわ。これから嫁ぐ身で屋敷の女主人に疎まれているとあっては、親族も使用人も私に辛くあたるでしょう。どうすれば」

過去の事を思い出して、思わず余計な事を言った。セルヴィアがまた慌てて失言を撤回しようと顔を上げると、ローレンスは意外な事を言った。


「ふむ、ならば私から君に求愛しよう」


「は?」

「国が認めた婚姻を義母が覆すことはできない。しかしそれでも不安だと言うのならば、私が君を望んでいる事にすればいい。それならば公爵家の者達も君に冷たくはできない。いや、させない」

「それは、ローレンス様が私を愛するフリをなさると言うことですか?」

「いや、事実そうします。形だけのものでは意味がない」

「でもローレンス様は私がお好きではないでしょう?」

「嫌いではありません。好きかどうかは、与えられたものに個人的趣向を入れて判断した事がないから分かりませんが、客観的に見ても結婚相手としての君の価値は高い。だから婚約者として君に求愛するのも必要な事でしょう」

「意味が分かりませんわ」

ローレンスという人が本気で分からなくなる。夫であったはずの人の言動が、真意が理解できない。


「分からずともいい。明日から、いや今日からがいいだろう。行動として示す」

ローレンスはいきなり立ち上がると、セルヴィアが座るソファの横に膝まづいた。そして革手袋のまま手の平を差し出す。


「貴方を愛しく思います、セルヴィア。私と結婚しなさい」


「なっ、先程好きじゃないと仰られたではありませんか!?」

突然のローレンスの奇行にセルヴィアは飛び上がるように立ち上がりその手を見つめた。

「求愛の定石かと思いまして。愛しいの意味はこれから知る努力をします。それに、少なくとも私は貴方に与えられたもの以上の興味と価値を見出している。これは初めての事です」

いつもは冷たく見える翠色の瞳が今は真摯にセルヴィアを見つめている。真剣な面持ちに、言葉に、セルヴィアは心打たれた。


「ローレンス……」


未来の夫の名を呼び、その手を取るのではなくおもいっきり抱きつけば、びくりとローレンスの体が跳ね上がった。


「な、いきなり抱きつかないでください!近すぎます!」

「まぁ。今しがた私に求愛した身で、この程度の触れ合いも禁じるのですか?」

「この程度!?」

「今更ですわ。ならば私からも言わせて頂きます」

「何を…… 」

「愛していますローレンス。今度は私から離れないで下さいね」

「なっ!?」

「私の事を愛しく思えるように、私も協力しますから」

「ああもう、本当に貴方は破廉恥で危険だ!」

「先程の言葉、後悔なさっています?」

「いえ、私に二言はありません。一度決めた事は最期まで実行するのが私の主義です」

ローレンスが恐る恐るといった風にセルヴィアの体に手を回し抱き返す。少し硬い胸板はやはり騎士なのだろう、未来で見た彼の筋肉質な体を思い出す。温もりが心地いい。

「やはり私は幸せです」

セルヴィアはそう言って微笑んだ。



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