前編 「晩酌は、せんべろよりも安く!?」
1枚目の挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
2枚目の挿絵の画像を作成する際には、「Ainova AI」を使用させて頂きました。
4限の終わりを告げるチャイムを聞いた私は、首筋の凝りを軽くほぐしながら講義の片付けに取り掛かったの。
音色は同じはずなのに、その日最後の講義の終業のチャイムと1コマ目の始業のチャイムとでは、前者の方が圧倒的に好ましく聴こえるんだから、本当に不思議だよね。
「ふぅ…今日の講義も、これで終りか。」
大教室の壁に掛けられた時計の針は、午後4時半を指している。
今から街に繰り出せば、アフターファイブを存分に満喫出来るよ。
私こと蒲生希望が在籍する堺県立大学中百舌鳥キャンパスは、地下鉄御堂筋線からも南海高野線からも程近いから、難波や梅田みたいな大阪の盛り場にも簡単にアクセス出来るのが有り難いんだよね。
とはいえ、全ては先立つ物があればの話だけど…
「どうかな、蒲生さん?この後予定が無いなら、晩御飯も兼ねて軽く1杯?」
隣席に掛けていたゼミ友の子も、講義明けのアフターファイブを待ち望んでいたみたい。
色白の美貌に満面の笑みを浮かべて、御猪口を傾けるジェスチャーまでしちゃって。
これじゃ女子大生というよりオジさんサラリーマンみたいだよ。
まあ、この子はお酒が大好きな呑兵衛女子だから、それも仕方ないんだけど。
「それも良いね、美竜さん!だけど私、最近は金欠気味でね…あんまり高いお店は勘弁してよ。」
私は軽く肩を竦めながら、台湾人留学生のゼミ友に応じたんだ。
この所は旅行やゼミの飲み会で、何かと出費が嵩んじゃったんだよね。
その上、頼みの綱であるバイト代が振り込まれるのは来週だもの。
実家暮らしだから衣食住の心配は無いけれど、それでも財布の紐を引き締めなければいけないね。
そんな私の反応を見た美竜さんは、エキゾチックな美貌に得意気な微笑を浮かべたんだ。
「任せて、蒲生さん!この王美竜、ウワバミの仇名は伊達じゃないよ。美味しく経済的に晩酌を嗜むテクニックは、それなりに心得ているんだ。」
随分と大きく出たね、美竜さんも。
だけど、朗らかに笑いながら胸を張る辺り、かなりの自信があるみたいだね。
そこまで言うなら、お手並み拝見と行こうじゃないの。
そうして私が美竜さんの3歩後ろに付き従ってやって来たのは、堺県立大学から歩いて10分程度の距離にある、中百舌鳥駅周辺の飲食店街だったの。
この辺りは学生街だから、飲食店や居酒屋もリーズナブルな所が多くて助かるんだよね。
「ああ、成程ね。この辺りでチョイ飲みするんでしょ、美竜さん?」
店頭のホワイトボードやデジタルサイネージを眺めながら、私は独り合点で頷いたの。
1000円札を1枚出したら、安価なオツマミでお酒が数杯呑めてベロベロに酔える。
そんな安上がりな居酒屋を指す俗称だった「せんべろ」が、お酒とオツマミのセットメニュー名として使われるようになってから、もうどれだけの月日が経ったんだろう。
少なくとも、私みたいな女子大生が知る程に一般化しているって事だけは確かだね。
「最近流行ってるもんね、せんべろ。確かに、予算1000円なら充分に許容範囲…」
「せんべろセットも確かに良いよ、蒲生さん。だけどリーズナブルな晩酌テクニックと呼ぶには、ちょっとメジャーになりすぎちゃっているよね?」
私の言葉を遮った台湾訛りの快活な声には、自信と優越感が入り混じっていたんだ。
せんべろセットは、どうやら私の早合点だったみたい。
「じゃあ、ハイボール1杯とオツマミ1品だけで、500円呑みでもやるの?」
タコわさや梅水晶みたいなスピードメニューのオツマミなら、そういう呑み方も有りかも知れないね。
だけど美竜さんが想定する晩酌の予算は、私の予想を遥かに下回る物だったんだ。
「まだまだ!私にかかれば、実質150円で晩酌出来るよ!うまくやれば、もっと安く出来るかも。」
随分と強気な予算だよね。
それっぽっちじゃ、発泡酒のアルミ缶を1つ買っておしまいじゃないの。
「えっ、それだけ?まさかと思うけど、コンビニでストロング系のチューハイ買って一気飲みしようってんじゃないよね?」
「大丈夫だよ、蒲生さん!ちゃんと居酒屋に座って呑めるし、オツマミもあるんだから!」
ここまで自信満々に言い張るには何らかの策はあるんだろうけど、本当に大丈夫なんだろうね?
実質予算150円のチョイ呑み。
この無謀極まる宴の会場として美竜さんが案内してくれたのは、中百舌鳥駅の真向かいで営業している焼き鳥がメインの居酒屋チェーンだったの。
赤地に白文字で屋号が大書きされた看板は、大手居酒屋チェーンの様式美だね。
「確かに鳥々民は安いけど…ここってチョイ呑みセットなんてやってないよ、美竜さん。中ジョッキだって、普通に200円はするし…」
店頭に掲示されているメニューを指差しながら、私は美竜さんに訴えたの。
焼き鳥は一本100円からで、ビールやハイボールは200円から。
充分に安価な価格帯だけど、美竜さんの指定した予算だと思いっ切り赤字だね。
だけど台湾生まれのウワバミ女子大学生は、私の指摘なんて何処吹く風。
エキゾチックな美貌に勝ち誇ったような微笑を浮かべながら、気取るように人差し指を振ったんだ。
「焦っちゃ駄目だよ、蒲生さん。大切なのはここからなんだ!お店に入ったら私と同じようにやってみてね。」
そうして財布から数枚の紙片を取り出し、同じ物を私にも手渡したの。
「『同じようにやってみて』って…落語だと失敗フラグだよ、美竜さん。」
「そうそう…1人で来店したのに2人もいるような物言いをして饂飩屋さんに気味悪がられたり、お年寄りを褒める要領で赤ちゃんを褒めちゃったり…いやいや!それだと私と蒲生さんが、喜六と清八になっちゃうじゃない!」
ノリツッコミも上手くなったね、美竜さん。
上方落語も漫才も、関西の誇る伝統文化だよ。
「とにかく…先に私が入店するから、蒲生さんは後から来てね。私の隣のカウンターに座って大丈夫だけど、蒲生さんと私は別会計だよ。」
妙な事を言い残して、美竜さんは鳥々民なかもず店に入って行ってしまったの。
だけど後から考えると、台湾人女子留学生が編み出したリーズナブルな晩酌テクニックは、この時既に発動していたんだ。