変わらないこの時を ~後編
思い返せばそうだった。
恋人になった後、甘いものがあまり好きでない彼女の為に用意した甘さ控えめのクッキーを前にして、彼女は言ったのだ。
「ごめん、甘いものあんまり好きじゃないんだよね」
「ええ、もちろん知ってますよ。でもおやつは好きなんですよね?」
「うん」
「大丈夫です、これはあなた用にちゃんと甘さを控えてますから」
「………ポテトチップのが好き」
ボソリと、一言。
視線を逸らしながらそう言ったあなたに、思わず目を丸くした記憶は今も忘れられない。
それでもせっかくだからと1枚だけ食べてくれたクッキーは、予想以上に感動してもらえた。
「うわ!? ホントに甘くないよ!? これ、ホントにクッキー!?」
そりゃあ付き合えるようになるまでに、散々統子の味覚もチェックを入れていた僕ですから、彼女の味覚に合わせた甘味に仕上げる為にはどうしたらいいかなんて、そんなのは既に研究済みで。
だから当然統子が食べられるものには仕上がっているはずだけれど、それでも食べてもらえたのはその1枚だけだった。
後から教えてもらったことによれば、感動したのは本気だったけれど、クッキーを食べているというその状況に甘さを感じてしまっていたらしい。
頭の中にあるクッキーは甘いというイメージが、どうしても拭えなかったのだと言っていた。
それから二人でお茶をする時は、僕がお菓子を作る係りになってしまったのだけれど。
別に料理は嫌いではないし、むしろ趣味でもあるし、それを食べてくれるのが統子ならば全然 苦ではないから喜んで引き受けてはいるのだけど。
最初の頃はやはり甘いものを用意すると、渋い顔をされた。
「………ポテトチップのが好きなのにー」
「塩分と油分の取り過ぎは成人病の元ですよ?」
「でも黒江が作ってくれたものは、ホントに美味しいもんね」
「統子の口に合うように作ってますからね」
「なんか、私のこと全部バレてるみたい」
「統子のことを心の底から愛してますから」
「ぎゃあーっ! 砂糖吐くーっっ!!」
ジタバタと統子が暴れ始める。
それを、あはは、と笑いながら眺めている僕。
こうやってこんな風に二人で笑い合いながら過ごせることの幸せ。
そんな時間を、ずっと変わりなく共感していきたい、と強く思う。
きっと、彼女もそう思ってくれている。…と信じたい。
「地道な努力が実を結んだと言うべきでしょうか」
「私の?」
「いえ、僕の」
ケーキを口に運んだそのまま、フォークをもまだ銜えた状態で首を傾げる統子に、にっこり笑って答えてやる。
こうして少しずつ少しずつ、僕の色に染まってくれればいい。
そうして僕の作ったもの以外、口に出来なくなってしまえばいい。
そうすれば統子は僕以外とは生きていけなくなる。
なんて独占欲の塊。
まだまだしっとりとした甘い時間は過ごせなさそうですけど、これはこれで幸せな時間ですし、楽しい時間には変わりがない。
でも、統子が少しずつ少しずつ甘いものを食べてくれるようになったみたいに、これから少しずつ少しずつ甘い雰囲気にも慣れていってもらいましょうか。
たまには僕もしっとりと甘い雰囲気を噛み締めたいですからね。
「日々の努力は怠らないように頑張ってもらいましょう」
「いったい、何のっ!?」
「それは秘密です♪」
「頑張ってもらいましょうってことは、頑張るのは私か!? 私なのか!? もしかして!?」
「いえいえ、それは僕も、ですよ」
むー、と疑わしげに眉間に皺を寄せた統子に、にっこりと安心させるように微笑む。
「幸せは歩いてきませんからね。この手で掴み取らないと、ですよ」
「歩いてこないから、歩いていくんじゃないの?」
「歩いて近付くだけじゃ逃げられるかもしれないじゃないですか。だからしっかり捕まえないと、手にしたとは言えませんよ」
「それって実力行使って言わない?」
「それで僕達が幸せになれるなら、何とでも」
「うわ! 甘ぁーい! 甘いよーぅ!! 黒江さーん!!」
「あはははは」
だから、今はまだ。
いつもと変わりのないこの賑やかな時間を楽しみましょう。
いつか、しっとりとした甘い大人の時間を手にする、その時まで。