アーレン家で働く人たちの様子がおかしい 前編
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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ノクター夫人が襲われそうになった事件から一か月。
伯爵から「落ち着いたら招待するので屋敷に来てね」といった内容の手紙が届いた。その手紙によればどうやら捕まった甥は投獄され、裁判にはまだなっていないが、死罪になるか、ならなくても一生外には出ることは叶わないらしい。
あの目はカウンセリングや通院、獄中生活で更生出来るものではなく末期のものだと素人でも分かる状態だった。これで夫人の身の安全は保障される。さらに、私の行動についても「娘さんの偶然の行動が妻の命を……」と伯爵は考えており、事件の日私に対して不思議そうな顔をしていたけれど、時間が経つにつれ「やっぱり偶然かもしれない」と思い直したらしかった。危ないところだったと思う。
当初私は夫人を救うことしか頭になかった。夫人の死を回避した今改めて考えると、夫人の命を救うことはノクター家との縁を深めることになり、親同士で婚約という縛りが強固になっていた危険性があった。
ノクター家が私を恩人と解釈することは、投獄の道からは一見遠ざかって見える。しかし大きすぎる信頼は、裏切られた時の憎悪も大きい。好きの反対は無関心というが間違いなく嫌いだ。無関心のほうがいいに決まっている。
でも偶然となれば、助けようという意思があった行動よりも、感謝の濃度は薄くなるはずだ。こちらも安心だ。
ノクター家にこのまま出向かなければいいだろう。
「あともう少しで淹れおわりますので」
朝食を終え、父経由で「ミスティアについても書いてあるからね」と渡されたノクター家からの手紙を便箋にしまい机に置くと、メロがティーポットのふたを押さえながらこちらを見た。
その洗練された所作と凛とした佇まいは、この世のものとは思えないほど美しい。同じ人間であることが疑わしいくらいだ。天使、大天使メロ。ゲームのミスティアにこんな可愛いメイドっていたとは全然知らなかった。
しかし、知らなくて当然かもしれない。そもそもミスティアの関係者の立ち絵はゲームにはあまり出ていない。ミスティアの命令によって主人公を暴行する使用人三名ほどで、父と母はミスティアの「お父様に頼むわ」「お母様にお願いするわ」という台詞のみの登場、立ち絵は存在していなかった。しかし伯爵家の令嬢であるならば侍女は当然いるはず。端折られていたのだろう。こんな天使を端折るとか正気かと思うけれど、まぁ今はそんなことどうでもいい。
「本日の紅茶は、フォルテ孤児院で育てた茶葉になります」
「懐かしいねぇ、メロとの出会いの御茶だ」
メロから紅茶の注がれたティーカップを受け取りながら、昔を思い返す。私とメロの出会いは私が四歳の頃だ。父が関わっているフォルテ孤児院に当時八歳だったメロが預けられ、その茶葉の収穫祭に参加した父が、娘の話し相手にとメロを、アーレン家に迎えたらしいのだ。私は当時よくフォルテ孤児院に遊びに行っていたけれど、大天使との遭遇はあまりに衝撃的な出会いだったのか、私はよく覚えていない。
聞いたときはいくら何でも突拍子もない話だなと考えていたけど、今思えばそれが無かったらメロはここにいない。父の選択は感謝してもしきれない。懐かしい茶葉の香りを感じながらメロの淹れてくれた紅茶を飲んでいると、メロは「お嬢様」とこちらに向かって呼びかけた。
「本日のご予定ですがいかがなさいますか? 門番の演奏でもお聴きしますか? それとも侍医の下で絵画を?」
「あの、そのことなんだけどさ、ちょっとお出かけしない?」
「何かご入用なら、すぐお持ちいたしますが」
私の返答に、メロは眉間にしわを寄せる。「ちょっと、外に出たほうがいいと思うんだ」と伝えると、彼女は視線を落とした。
実のところ、私は事件以降、屋敷から出ていない。
一か月、籠りっぱなし。元々インドア派だということもあり外に出ることは父や母に茶会に連れられる時か、孤児院、アーレン家が出資している施設に向かう時だけだ。自主的に外に遊びに行ったり買い物に行きたいと考えることはない。しかし、最近は少し事情が異なる。外に出ようとするとメロやほかの使用人の皆が止めに掛かるのだ。
甥はもう捕まり、牢に入れられている。しかし使用人の皆は屋敷の令嬢が事件に遭ったという衝撃が未だ駆け巡ってしまっているのか、全力で止めてくる。
そして私の就寝時にも部屋にまで入ってきて巡回をしてくれているらしい。夜中目が覚めると必ず使用人の誰かベッドのそばに立ち、私の顔を覗き込んでいるのだ。
屋敷の皆は、私を心配してくれている。けれどそれだけならまだしも、皆私に合わせてか休日であっても外に出ない。使用人の皆は休みの日が定期的に設けられているにも関わらず、私の手前外出し辛いのか非番であるのに屋敷の中で見かける。本当にみんな外に出ない。
籠る令嬢、そんな令嬢に合わせ、外に出られない使用人。そんな環境は良くない、良いはずがないのだ。だからここは当事者であり原因の私が外に出ることで、外出しやすい環境を作りたい。しかし、その為には護衛を勤めてくれているメロの説得が必要不可欠だ。普通にメロと出かけたいし。
「ねーメローお出かけしない?」
「しません。これも御嬢様の身の安全の為ですから、どうぞご理解を」
「でもさー、たまには外に出て太陽光に当たらないと、体内に必要な栄養素が不足しちゃいそうじゃない? それに運動しないと太っちゃうし」
「どれだけ肥え太り、歩けなくなっても私が居ます。しかし……御嬢様がどうしてもとおっしゃるなら、屋敷の中を歩くのはいかがです?」
メロは真顔で言う。気持ちは嬉しいけど歩けなくなってもって。
「メロは出掛けるの嫌?」
「私は、御嬢様が外に出て危険に晒されることが嫌なのです」
「じゃあ私と外に出ることは嫌じゃない?」
「当然です」
よし、言質とった!
「じゃあ行こうよ」
「それとこれとは話が別です」
「じゃあメロにぴったりくっついてるから、それで手も繋ごう」
メロは私の言葉に、じっと考え込んでいる。多分これはいけるパターンだ。
「約束破ったら、ずっと出なくてもいいよ」
「…………そこまでおっしゃるなら、では」
メロは「約束ですからね」と念を押すようにして、クローゼットから私の外出着を選ぼうとする。そんなメロを慌てて制止した。
「時間勿体ないから、私は自分で支度するよ! 待ち合わせしよ! 庭の噴水のところで!」
「庭……ですか?」
「うん庭! 庭で待ち合わせ」
「庭……」
メロは渋る。「お願いお願い」と頼み続けると、やがてメロは頷き部屋から出て行った。お出かけだ。久方ぶりのお外で。そしてデートだ。私が勝手に思っているだけだけど。
クローゼットから、今日外に着ていく服を選びささっと着替える。鏡を見ながらおかしいところがないか確認をして、鞄にお小遣いを入れたお財布を入れ中身を点検し、出発をしようと扉を開くと目の前に大きな影が差した。そして視界に入るのは、逞しい鍛え抜かれた腕と、磨き抜かれた出刃包丁。顔を上げると料理長のライアスさんが、その雀茶色の瞳を胡乱げに揺らしながら、「お嬢様……? 何故外出を……なさるのですか……?」と、包丁を握りしめ立っていた。
もしかして、メロが嬉しくなってついうっかり話してしまったのだろうか。楽しみすぎて……? 可愛い。しかし早速見つかってしまうとは中々幸先が良くない。ライアスさんはまくしたてるように「どうして!」と大きな声を出した。
「俺の料理が不満ですか!? だから外に出るんですか? 他の人間が作った料理を食べに行くんですか!? そうなんですか? そうなんですよね! 俺のいないところで! 俺が作っていないものを食べるなんて! そんな! そんな! 俺を、俺を捨てるんですか? 俺の料理に飽きたんですか?」
まるで話がかみ合っている気がしない。ライアスさんは怒りが爆発寸前といった様子だ。心なしか瞳の色より明るい短髪も逆立って見える。包丁を握っているのは料理をしている途中に急いで持って来てしまったのだろうが中々危ない。ライアスさんは、基本的にいつも私が外で料理を食べる話になると取り乱す。理由はおそらくだけど、自分が作ったものより外で食べたものが美味しかったら自分がクビにされるのだろうと思っているのだ。ライアスさんが働き始めたとき、料理人が辞める時期がたまたま重なった。以前は普通に料理長、料理人複数名、パン焼き係、パティシエがいたけど辞めに辞めて今は料理長のライアスさんしかいない。
でも、いつもは食べてから取り乱す。食べる前には取り乱さない。これも私が襲われた、仕える主の娘が襲われたストレスだろうか。
「料理長の料理は、これから先もずっと食べていたいと思う味です。他の料理人によそ見をしたり、心奪われたりなんて絶対しませんよ」
だから、クビになるなんて怯えないでほしいと説明すると、ライアスさんは目を見開いた。そして右手に持った包丁を滑り落とす。危ないと思い包丁を拾おうとしゃがむと、がっしりと肩を掴まれた。
「ライアスさん」
「俺……、俺……ずっと、ずっとこれから先も一生作り続けますから……俺の料理で御嬢様の身体を作っていきますから……俺が……俺が御嬢様の細胞一つひとつ……全部俺が作ります……! 異物が入り込んでも、俺の料理で上書きして、蹴散らしてやりますから!」
いや臓器の中で戦いは困る。というかライアスさんの顔が赤い。心なしか息も荒く汗も滲んでいる。掴んできた腕に触れると、燃えるように熱い。
「もしや熱があるんですか?」
「いえっ! 趣味で走ってただけで、その熱です! これからも走ります!」
そう言ってライアスさんは「では!」と勢いよく踵を返し、そのまま全速力で走り去っていった。足が速い。ライアスさんに、お土産買っていこうかな。というか屋敷の皆全員。とりあえずライアスさんには疲れを取れるものをあげよう。走ったりして、疲れそうだし、毎日料理を作ることは大変だし。
でも、何が疲れを取るんだろう。どういったものがいいんだ。
考えながら歩きつつ、最短距離で移動するために北棟の廊下へと向かっていくと、何かが輪になって私を囲む。呆然としているといつの間にか私は掃除婦の皆に囲まれていった。
「お嬢様、どちらへ、どちらへ向かわれるのですか? 外ですか? 危険です! それともまさかここから三階に!? 駄目です落ちてしまいます!」
掃除婦のトップ、掃除婦長ことリザーさんがその葡萄染色の髪を振り乱すように声をかけてくる。何だろう、また誤解を受けているような。周りの掃除婦たちも口々に危険だと私を止めにかかった。
「いやたまには外に出ないとなって、運動に、健康のために」
「屋敷の中でも運動は出来ます! いくら汚しても構いません! 私たちが全て綺麗に掃除します! ですからずっと! 屋敷の中に!」
「いつも綺麗にしていただいて、ありがとうございます、でも今日は出かけると決めていて……」
そう言って、何とか外に出さないようにと私を押さえようとする手に触れる。するとリザーさんだけではなく、掃除婦たちの手が皆、あかぎれの様にところどころ切れてしまっていることに気付いた。
一人の手を取りよく観察すると、乾燥によるものと分かる。他の掃除婦の手を取り一通り見てみると、やはり乾燥している。
仕事柄のものだろうか。これは料理長の「疲れがとれそうな何か」以外にも、掃除婦達の手を守る何かを買わねば。そう決めて顔を上げると、掃除婦達の様子がなんだかおかしい。わなわなと震え、ある者は顔を覆い、ある者は跳ねている。
「ごめんなさい、馴れ馴れしくて……完全に気が付かなくて……あの、手洗ってきていいですよ……」
「そんなことございません! 一生手洗いま……でも掃除は出来ない……うう……手を切り落として新しく付け替えて落とした手は保存すれば……!」
リザーさんの意見に、掃除婦の全員がそれはいい考えと口々に同調している。その光景に唖然としつつ、実行しかねない勢いに急いで気持ちを切り替えた。
「いや落とさないで、血は流さないでください。握手位いつでもしましょう。私の手ならいつでもお貸ししますよ。嫌じゃなければですけど……えっと、じゃあお土産、期待しててください」
頭を下げつつ、何故か喜びムードの皆のもとから離れていく。このままだとまずい。メロがもう待っているかもしれない。私は庭園へと急いで足を動かしたのだった。
屋敷を駆け抜けるようにして外に出る。あれからもちょこちょこ使用人の皆に止められ説得をするということが繰り返された。はやく、早くメロのもとに向かわねば。急いでいると、視界隅に木々の選定をしている庭師、フォレストが入った。フォレストはこちらを振り返ると、枝を切る大ぶりな鋏をそのまま地面に滑り落とした。高い金属製の音が響き渡る。何で皆刃物をそう簡単に落としてしまうんだ。フォレストは落ちた枝切狭をそのままに、ゆらめくようにこちらに近づいてきた。
「お嬢様……、お嬢様、間違いだったらすみません。お嬢様はこれからどちらへ向かわれるのですか? まさか、まさかとは思いますが、屋敷の外に出られるなんてことはありませんよね……?」
「あの、今日はメロと街に買い物に行こうと」
「ああああああああ!」
私の返答に、フォレストは俯いて唸りだした。私と同じ真っ黒な髪を握るようにして頭を掴んだ後、そのまま這い上がるように私の腕に縋り付いてくる。
「俺の手入れした庭が気に入らなかったからですか? 雑草に唆されたんですか? 何で危険な外に行こうとするんですか? あの執事がいけないんですか? あいつ、あいつ自分だけ他の奴らと違うみたいな顔をして、お嬢様に馴れ慣れしいんですよ。結局自分だけ抜け駆けをしようとしているんだ。それとも御者ですか? あいつは信用してはいけませんよ、話の仕方だってお嬢様……、あああもしかして俺以外の全員からですか?」
フォレストの言っている意味は、分からないけれどとにかく肺活量がすごい。早口なのに滑舌もいい。ただ雑草は話さないし、執事については私と接していることが多い執事……おそらくルークについて言っているんだろうけど、ルークとは今朝朝食の時に顔を合わせて以降会ってないし。
「買い物に行くだけですし、メロが一緒だから安全ですよ」
「うっ、あなたはいつも、いつもそうだ! 人の心に寄り添う言葉をかけて! きちんと俺を見てくれるのに! 俺だけを見てくれない! 困った人間の元へ向かってそのまま拾って帰ってきて! いつか絶対お嬢様は攫われる! だから外に出してはいけないのに! あああお嬢様が無理矢理他の誰かのものにされてしまうならいっそここで……」
「いや落ち着いてくださいって、私この庭大好きですし、それに私のことそんな人の心に寄り添えるなんて思うの、フォレストくらいですよ」
「うっ」
フォレストは胸を押さえ突然しゃがみこんだ、心臓発作を疑い慌てて駆け寄ると、そんな私をフォレストは手で制した。
「どうしたんですか?」
「申し訳ございません、行ってらっしゃいませ、御嬢様。どうぞ、俺の事は気にせず。そうしないと、あとその声やめてください。俺の心にきます」
フォレストは俯いたまま、一向に顔を上げようとしない。
「え、あの……、声を小さくってことですか? 心臓が痛いとかですか? 立ち上がれそうですか?」
「いえ、病気じゃないです。心の問題なので本当に気にしないでください。あと声小さいのも心がやられるのでとにかく、行ってらっしゃいませ。お出かけの際は侍女のそばを離れないようにしてくださいね」
「でも」
「行ってらっしゃいませ!」
絶叫するような勢いに押され、心配だがそのまま立ち去りメロとの待ち合わせ場所に足を進める。
もしや屋敷で働く人たち、みんな体調が良くないのではないだろうか。というか、心身ともに不調をきたしている。このままだと引きこもり屋敷ではなく、体調不良屋敷になってしまう。
今日は屋敷で働く人たちにいろいろ買っていこう。もちろんメロにもプレゼントする。
そう心に決めつつ、噴水に向かうと天使がいた。天使兼我が専属メイドである天使メロ。その佇まいはやはり名画に等しい。しかし天才画家ですら、彼女の美しさの全てを描くことは出来ないだろう。
メロは私に気づくと「ミスティア様」と嬉しそうに駆け寄ってきた。可愛さに思わず笑みを浮かべていると、メロはどことなく緊張した面持ちで私に手を差し出してくる。
「では行きましょう、ミスティア様」
「うん」
差し出された手を、ぎゅっと握る。そして私はメロとともに門の外に留めてある馬車へと向かっていった。
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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◆攻略対象異常公式アカウント◆https://twitter.com/ijou_sugiru?s=20/




