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【漫画8巻4月1日発売】悪役令嬢ですが攻略対象の様子が異常すぎる  作者: 稲井田そう
不録 アーレン家御一行の夏 書籍未収録
340/364

刺すように助けてくれた人

2018年、以前活動報告に使用人とミスティアの過去を掲載していました。


本編に必須なものの、本編に入れられない(ページ数がかさむ/商業的に使用人の存在がアレ)という矛盾がある関係で、書籍の特典を通常1本4000字というところ、1本を4000字ほど書きおろし、追加で使用人視点を入れ込むというトリックを用いてノベルにおいても未読を防いでいたのですが、その後宣伝が増えてきた関係で活動報告に掲載していた原本を削除しており、ウェブで一定期間から読み始めた方は「何のこっちゃい」と、今に至っています。


そのため、原本の再掲載です。書籍版とは若干表現が異なります。お手元にある方は原本と書籍版と読み比べて頂き、活動報告版(改行と段落のない地獄の時代)を読んだことのある方は、改行と段落をつけているので、思い出していただき、初めての方は、そうだったんだなと思ってください。


三種の方が楽しめるよう、すべての話が繋がるよう、少し加筆してます。

 御嬢様を初めて見た時、無機質な人形が歩き機械音声で会話しているみたいと思っていた。


 人形はみな幼く小さい。粘土で作られた肌は白いし、瞳は硝子で出来ているから動かない。


 御嬢様も同じだった。小さくて肌が白く、赤い瞳はたいてい床に固定され動かない。


 職場の主人の子供。犬や猫を家族同然のように扱う貴族もいるから、もっと言えばとりあえず大切にしておけば主人の機嫌が良くなる便利な生き物。


 それ以上でもそれ以外でもない。


 いや、嘘だ。


 俺は御嬢様のことが嫌いだった。憎んですらいた。視界にすら入れたくなかった。


 嫌でも俺を過去へ引きずり戻す、最悪の象徴である黒髪を持っているから。




 この国は茶色か黒、鮮やかだったとしても赤、青、緑がかった色味の黒髪や茶髪など、花の色をそのまま模したような髪色は少ない。最も鮮やかな色は、金髪や銀髪くらいだろうか。


 しかし俺の生まれ育った国には、ネモフィラのような青髪や、カメリアのような赤、チューリップのように黄色い髪など、多様な髪色の人間が存在した。各々原色だけではなく淡色や濃色の髪を持つ人間もいたが、特にその髪色を持つだけで評価を受けていたのが金髪だ。


 理由は簡単で、国に語り継がれる過去の逸話に金髪の人間が国を救ったからとあるからだ。


 詳細はこうだ。世界には、人間だけが存在する世界だけではなく、人間以外の摩訶不思議な異形の生物が存在したり、おとぎ話に在るような魔法と呼ばれる不思議な異能力を持つ世界のほか、この世界に似ていながらも、時間や文化の発展が大きく異なる世界がある。


 数多の世界は独立しているように見えるが、ひとうの世界だけで存在することは不可能で、双方の欠落を補い合い繋がりあって存在している。しかし度々、それぞれの世界の危機により世界同士の繋がりが薄くなったり濃くなったりして、不思議な生き物が存在しない世界に、不思議な生き物が現れたりと変化が発生する。


 その変化は、異なる世界に住まう生き物同士の繋がりのきっかけとなることもある。例えば、異種族による結婚だ。どちらかの世界に留まることを選択し、一生を誓い合った結果、世界も種族も異なる血が混ざりあい、その血は繋がれていく。


 そして金の髪を持った子が、国を大混乱に陥れた黒き異形を倒し国を救ったらしい。魂の宿った銀の剣を以てして。


 ゆえに今なお語り継がれる救世主を彷彿とさせることで、金の髪を持つ者は尊いとされていた。


 そんな因習が蔓延する国で、代々揃えたように金の髪を持つ子が生まれる家があった。本来金の髪の血筋は、十人の子供がいれば、金の髪を持つのは一人ほど。後の九人は淡い茶色か銀髪というのが一般的だが、その家は誰一人欠けることなく皆、金の髪の子供しか生まれぬ家だった。


 かつての救世主を彷彿とさせる剣術の才も持ち、男児は代々国の騎士団の団長を担い、王からも民からも愛される家だった。


 周囲からの信頼に奢ることなく、家の者は皆品行方正で騎士道を持ち、誰にでも優しく奉仕の精神で接し、男児は頼もしく紳士的で女児は謙虚で聡明な血族は、完璧な一族と称するにふさわしい。


 表向きは。


 金は尊い色。救世主の色だから。


 反対に国を大混乱に陥れた異形を彷彿とさせる黒は、その国で忌むべき色だった。


 黒髪を持って生まれた人間は過去の業を背負って生まれ出た存在だ。親は黒髪の子が産まれたならばその業を洗うため、髪を染めてやるのが義務であり、罪の子を産んだ罰でもある。


 そして金の髪しか生まれないとされていたその一族は、十人のうち九人が金の髪を持つ子供として生まれるが、後の一人は必ず黒髪で生まれる家系でもあった。


 その国で、堕胎は死罪となる。同族で命を奪うことは民を想い異形に立ち向かった救世主への冒涜だからだ。ゆえに黒髪の子供は髪を染め虚弱として処理される。地毛が黒髪で在ることを知られないように。


 そしてその家で、俺は黒の髪を持ち生まれた。


 幼い頃から、髪の黒い色素を抜くために激痛を伴う染髪を繰り返し髪の色を変えながらも、家族からの態度はずっと変わらない。


「お前は生まれながらにして罪の子だ。無価値どころか不要な人間だ」


「忌まわしき黒の髪を持って生まれたのだ。それ以外の不足を許されると思うな、すべて完璧に仕上げろ、剣術も学びも何もかもだ」


「醜い。この生活が嫌ならば早く死んでしまえ」


 堕胎は親の罪だが自死は本人の罪で済む。事故や病気はただの不幸。死を招くような罵詈雑言に耐え、「本当の虚弱」になりかねない劣悪な環境の中、家族は俺に「黒髪を持つこと以外は完璧、完全であることを」強要した。


 なぜなら、注目度がなければ一人の子供が家から出ずともそこまで酷い醜聞にはならない。しかし俺の家は「完璧な家」だ。完璧な家の子供は例え虚弱であろうとの立ち振る舞いは評価され、家そのものの判断に関わる。


 金髪に生まれれば、清廉で正しいことを強いられる。男児は剣術の技能を磨き騎士となり、女児は教養を持ち博識な妻を目指す。


 俺の課された義務は「身体が弱くて辛いけど頑張って社交界に出た」「事情があって騎士になれないけれど、それでも腐らず訓練している」という美談を生むこと。そうしなければ、存在もなにもかも許されない。食事も出ない。食糧庫から盗めば騎士道に背いていると、致命傷に至らない、それでいて自死の理由になる暴力に晒されるだけだ。誰も助けてくれない。助けられる価値もない。誰も助けてくれない。


 そうした環境の中で、日々課される座学と剣術の訓練をこなし、俺はなんとか生きていた。


 いつかこの家を出る。そうすれば地獄は終わる。身体が成長するまで待つ、いわば持久戦。


 誰も助けてくれない。誰も助けてくれない。だから自分でなんとかしなければいけない。


 終わりは見えている。身体が成長して十八歳ほどになれば、俺を支配する家族より強くなればこの地獄を終わらせられる。


 それでも日々の苦痛に嫌気がさし、自死が頭をよぎった。


 このまま死んでしまったほうが楽だ。ひと思いに終わったほうがいい。このまま生きていても逃げられるわけがない。たとえ逃げられても上手くやっていけるのか。だって誰も助けに来ない。


 死にたくない。生きてこの家を出たい。


 相反する感情に苛まれながらも日々の生活は続くし、苦痛も止まらない。


 でも、救いを見つけた。


 俺への監視は厳重で屋敷からの脱走は許されなかったが、十四歳頃になってくると家族に命じられ俺を監視している使用人たちが手を抜くようになった。家に不満があるというより完璧でいることを求められすぎて疲弊した結果だったと思う。


 特に夜、居眠りをする人間が増えた。死ぬにはちょうど良かった。死に方は決めてないまでも、死ぬために使うものは決めていた。家に代々伝わる家宝の剣だ。


 救世主のものかは分からないが、一族に代々伝わるもので、剣の鍔の部分に太陽の意匠が刻まれていることから、太陽の剣と呼ばれている。


 その剣を使って死んでやる。そう思ってある晩、広間に飾られた剣を手にしたが、切れ味が不安になり自らの腕を試し切りした、その時だった。


 腕に痛みが走り、月の光に照らされ赤い血が滴った瞬間、この上なく安堵を覚えた。


 ああ、自分は今、痛くて辛くて、生きているんだと。俺が俺を助ければいい。


 だって誰も助けてくれない。


 その日俺は母親から「生まれてこなければよかったのに」「愛したいと思ったことなんて一度もない」「頼むから早く死んでほしい」「出ていけ」と言われた日だった。一族は醜聞が漏れることを恐れている。生きて出ていくことなど許されない。なのに身勝手にもそう言われ、どうにかなりそうだった。その苛立ちや苦しみが、血と共にすべて流れていくような、今まで感じたことのない爽快感に包まれた。


 それから耐えがたい苦痛に襲われると、伝統ある家宝の剣で自分の腕を傷つけることが習慣になった。


 自分の腕に刃をあてるたび、ざまあみろと思う。


 数多の敵を討ち一族が大切にしている剣が、俺という汚点の血で穢れていく。


 敵の首を取るように殺すことを目的としたものではなく、報復として俺は自分の腕を切っていた。


 いわば生きる為だ。死にたいのなら首を切る。このどうしようもない世界で生きていかなくてはいけないから切っている。


 だって誰も助けてくれないから。


 俺が傷ついても誰も悲しまない。


 だからこの行為は利点しかない。


 ざまあみろ。ざまあみろ。ざまあみろと怨嗟を吐きながら、いつしか左右の腕の地肌が消え、滑らかな部分など一辺も無くなったころ。俺はとうとう十八歳になり家族全員の身長を越した。


家族に表立って抵抗することは最後までなかった。疲弊した使用人たちの監視の目を潜り抜け、ボヤ騒ぎを起こし逃げ惑う一族を横目に屋敷を出た。最優先は自分の命、わざわざ一族を殺して逃亡の成功率を下げることはない。


 計画は完璧だった。俺は一生出られないかもしれないと思っていた地獄から抜け出し国を出て名前を変え、第二の人生を歩み始めた。でも、




「試験結果は問題が無かったのですが、その髪色は……ちょっと……問題が」


 異国の学園で、受付の男性職員が苦い顔をする。自国では騎士たるもの剣術のみならず学びの上でも高みを目指すことを必要とされ、十代の男は騎士見習いをしながらも寄宿舎と呼ばれる学び舎で座学と教養を学んでいた。


 俺は髪色により虚弱扱いで寄宿舎に向かうことを許されなかったが、他の国では騎士問わず若ければ学び舎で勉強をし、そこで一定の成績を得ることで仕事を選び働くと、人生の道のりが決まっていた。


 働いて仕事を得るためには、学び成績を残してから。


 だというのに、俺は髪色を理由に入学許可すら与えられない。


 俺は何度目か分からない却下理由を聞きながら「承知しました」と笑みを浮かべその場を後にする。抵抗しても碌なことにならないどころか、悪評を流され入学試験すら受けさせてもらえなくなる。


「金と黒と斑髪って……いったい何なんだあいつは。女相手に自分でも売ってるんじゃないか」


「しっ」


 後方から男性職員たちの声が聞こえる。周囲も俺に奇異の目を向けている。


 自国で金髪は尊ばれる象徴だった。しかし国を変えれば、異国人の象徴とし差別の対象だった。


 一体俺はどうしたらいいのか。自国を出て髪は染めていない。ゆえに生え際は黒く毛先は金の色をしている。そんな俺はどこへ行っても異物でしかなく、さらに自らの素性について言えない。平民のふりをするにも家がない。生まれてから十八に至るまで働いていた経歴もなく、俺には何もない。どこかの騎士団に入ればと考えたがそもそも騎士団は限られた貴族しかなれぬ職業で、異国人は裏切り自らの祖国に情報を流す可能性があると除外される。


 前を向き生きていきたい。でも過去が邪魔をする。


 言えない素性、空白の来歴、それらを抱えたまま普通の幸せを得ることは出来ない。


 見切りをつけた俺は普通の幸せに見切りをつけ、職と国を転々としていった。


 普通さえ捨てれば案外どうとでもなる。犯罪者の用心棒に、金と身体の余裕を持て余した女たちの奴隷。燭台に照らされるだけの夜の逢瀬は、どんなに肌を暴かれようと腕の傷は見られない。そもそも客は 俺の顔と自分にしか興味がない。そもそも俺の腕を見ない。


 でも結局、破綻する。


 犯罪者は捕まるし、女たちの余裕はなくなる。自分だけ見てほしいと願い心を壊し、店に迷惑がかかってすべてが面倒になり辞めるか、個人間の愛人契約であればさっさと逃げるに限る。探されても面倒だと街を変え、近ければ国ごと変える。


 安定も無ければ酷い苦痛もない。結局のところ明日の食事にさえ困らなければいい。欲しいものはそこまで高くなくていい。たまたま目に留まった食べ物や酒を買えるだけの金と、少しの娯楽があれば幸せだ。


 なのに過去がその邪魔をする。


 ふとした瞬間だ。本当に魔が差すような瞬間。春が近づき少し風が温くなったり、雨の匂いを濃く感じたり、女の薬指に留まる金の指輪が視界に映ったとき、過去に一族から放たれた罵詈雑言が蘇り、どうしようもなくなる。


 あの時、ぶっ殺してやればよかった。


 ぼや騒ぎじゃなく火をつけて全員焼き殺してやればよかった。


 そうしなかったのは俺の弱さじゃないか。


 俺に勇気がなかったからか。


 あの時どうすればよかったのか。殺していれば今こうして思い出さずに済んだんじゃないか。


 自問自答を繰り返し、やがて何を食べても何を飲んでも味がしなくなった。ただ漠然と、口の中が苦かったり甘かったりする。それが嫌で何か口にしても、どうにも分からない。


 腕を切れば治るかもしれない。


 少なくとも気持ちはおさまるはずだ。


 そう思って切ってみると、効果は抜群だった。苛立ちや後悔が自分の腕を切った瞬間無くなっていく。自分は過去じゃなく今ここにいると実感できる。もう地獄は終わったと分かる。


 特に昼間より、日が沈んでから切るほうがすっとした。でも仕事上、稼働は夜に集中する。やがて仕事中にも過去に囚われるようになった俺は、仕事の合間にも腕を切るようになり──夜の仕事もままならなくなった。


 だから、昼間の仕事を探した。


 生きる為に腕を切っていたのに、腕を切るため生きるようになった頃、アーレン家の就職が決まった。


 元々用心棒をしていた悪しき組織がアーレン家への大規模な窃盗を画策しており、使用人となって潜り込もうとしていたところ、衛兵の摘発に遭い潰滅したのを利用し、俺はアーレン家の庭師になった。


 庭師と言ってもアーレン家は由緒正しき伯爵家、普通貴族の庭師は一人、多くても二人程度だが、庭を管理する人間だけで五人はいたし、中庭は五人体制ても厳しいくらいの広さと花の多さを持っていた。


 自然植物や花の栽培の知識には自信があった。まだ普通の幸せを諦めていなかったころ、学舎の試験科目で最も簡単そうなものがそれだったからだ。実際、働くうえで問題は無かった。他の庭師より物覚えも早かったし、言われたことはすぐ記憶できる。


 だから得た知識を応用し作業を効率化させ、他の人間があくせく働く中、見つからないように休憩していた。


 そして御嬢様に出会ったのは、中庭の裏手、俺が勝手な休憩をしているところだった。




 その日はとても暑く、俺は早々に「面倒な薔薇の棘の処理は俺がやっておきますね」と集団から抜けベンチの裏に腰をおろしていた。


 腕の傷がある以上、半袖にはなれない。幸い棘を持つ花の処理をするため庭師は長袖を纏うことが多く、夏場であろうと腕をまくらないことに不信感を持たれることは無い。そもそも普通の仕事と異なり貴族の家に仕えているわけだから、好き勝手に腕まくりをするほうが不敬だ。


 でも、アーレン家は使用人の服は任意だった。一応制服はあれど寒ければスカートやスラックスの下に何かを履いても構わないという。ゆえにほかの庭師は腕をまくり、長袖のまま──暑さにやられる薔薇の棘の処理を嫌がっていた。


 薔薇の処理を選べば長袖でも疑われない。


 処理なんてしなくてもいいけど。


 俺は目の前に鬱蒼と茂る薔薇を見上げる。柵に絡まる薔薇のツタには棘は一つも存在しない。花の液を調合し、棘にだけ反応し溶かす薬液を作った。


 楽をするためだ。金はもらえど、そこまで仕事に熱意は持てない。使用人たちの中では御嬢様のためにと働く稀有な人間たちもいるが、住んできた世界も見てきた世界も違う。


 すごいなと思う。賞賛じゃないほうの意味で。


「かくれんぼですか」


 ふいに欠けられた声に、反射で振り向く。赤い瞳に思わず「あ」と間抜けな声が漏れた。他人の足音には敏感なつもりだった。過去のことがあるし、そもそも誰かにそこまで近づかれたくない。しかし幽霊が現れるように現れた存在に、俺は愕然とする。


 ミスティア・アーレン、この屋敷の娘だ。


「お、御嬢様」


「それとも体調不良ですか」


 齢三歳を迎える伯爵家の一人娘は、歳のわりにはっきりとした話し方で俺を見下ろす。見下ろすと言っても座っている俺と目線は同じだ。まん丸の赤い瞳は俺を映しているが、ガラス玉のように感情を感じさせない。


「いや……ちょっと座ってるだけです」


「休憩ですね。私も休憩します」


 そう言って、御嬢様は俺の隣にすとんと座った。先ほど合っていた視線はさらに縮む。頭の頂点は俺の肩に行くかいかないかだ。年のわりに低いかもしれないと考え──娘が何の気なしに自らの髪を手ですいたのを見て、嫌な気持ちになった。


 腕が切りたい。


 ミスティア・アーレンの要素として赤い瞳がある。この国で赤い瞳の娘と言えばミスティア・アーレンしかいないらしい。そして赤い瞳に黒い髪の組み合わせもミスティア・アーレンしかいないという。


 俺を癒す血の赤を持ち、俺を地獄に落とす理由となった黒を持つ子供。


 アーレン家に庭師として働き、不満はない。楽だし、給金はいい。昼間の仕事だから夜は好きに腕が切れる。


 ただひとつの不満が娘の存在だった。過去を彷彿とさせる黒髪を持っているから。昼間で切る場所もないのに見ているだけでどうしても腕が切りたくなる。


「もうそろそろ、働いて三か月ですよね。いかがですか、お屋敷」


「え、あ、普通ですね」


 働いて三か月になる。雇用主が話しそうなことを三歳児から言われ俺はそのまま返した。


 というか、三か月になるなんて自分で数えてなかったし、今までミスティア・アーレンと話をしたことはない。この屋敷に働き始めたころ、他の庭師が遠くに歩くミスティア・アーレンを指しながら、「あれがこの家の御嬢様だ」と指を差したのを見ただけで、こうして話をしたことも今日が初めてだ。


「そうですか、何かあったらおっしゃってくださいね」


「はい」


 これは雇用主とするようなやりとりではないのか。


 先ほどまで衝動的に湧いていた腕への欲求が薄れていくのを感じながら、俺は「全員覚えているんですか」と問う。黒髪は不愉快だが家の娘と交流して損は無いし、相手は三歳児。束縛してくる可能性もない。


「はい。お屋敷で働いてくださる方ですしね」


「へぇ、お優しいですね」


 本心でもなんでもなかった。優しいと言えば相手は謙遜しつつ、俺と接するとき優しさを心掛けるようになる。今後の布石だ。


「でも、共通点があるからより強く記憶している、というのももちろんありますよ」


「え」


「同じ黒髪だから、あ、同じ黒髪の方、いらっしゃるんだと思って嬉しくなって」


「嬉しい?」


「はい。まぁ、家族がいますけど、歳の近い方は見たことなかったんですよね。私だけかと思っていたので」


 ──一人は寂しいから。


 ミスティア・アーレンは続ける。


 俺の髪は今、黒一色だ。腕と同じように髪も何度も切り、脱色した部分はすでに失っている。忌まわしい黒を目にするたびに憂鬱になるため染めようか悩んだが自作の染髪剤の薬液反応を調べたところ、どんなに効果を弱めても皮膚に複数異常が発生し、これ以上は髪ではなく身体全体に関わると判断した。


 だからもう俺は一生死ぬまでこの黒髪と生きていかなければいけない。


 なのに隙をつくようにそう話す無神経な娘を横にして、無性に腕が切りたくなった。今は駄目だと、俺は長袖の上から自分の腕を握りしめる。


「俺もです」


 腕が斬れない代わりに、斬ってやろうと思った。この娘の心を。


 なんかもうどうでもいいし。


 一番最初に家宝の剣を手にした時と同じような感慨で意を決して、俺は娘を見下ろす。


「俺の国では黒髪は罪深くて死んだほうがいい存在とされていたので、こんな風にのんびり生きていけないから」


 何も知らないからこそ簡単に話しかけてきた。油断したお前が悪い。これに懲りて話しかけるな。警告のつもりだった。なのに。


「……なら、この国は安全ですよ。そういうことがないので。もう大丈夫です。貴方は」


 しばらくして、娘は言う。


 大丈夫。返ってきた言葉が想像だにしないもので思わず戸惑った。


 こういう時、人は言葉を失うものではないのか。後悔するんじゃないのか。自分が軽々しく話をしたことを呪い自責するものではないのか。


 計画がすべて狂う中娘は追撃を放つ。


「私は生きてます。のんびりというか、のろのろと言ったほうが適切ですが……こんな感じなので安心してください。のんびり生きていけますよ」


 ──安心してくださいね。


 そう言って娘は俺の肩をぽんぽん撫でた。続けて、「罪深い死んだほうがいい黒髪なんてないですからね、異国の文化とはいえ悪いことです。苦しかったですね」と怒った顔をする。


 先ほどまで無機質な人形のような顔だったのに、感情が見えた。


「はぁ」


 適当な相槌を打ちながら、自分が腕を握る手が緩まっていくのを感じる。


 さっきまで切りたい、切りたいと願っていた衝動が消えている。


 もう大丈夫。


 安心してください。


 頭の中で娘の言葉が繰り返される。腕を切るよりずっと、すっとした。


 なんでこんな簡単な一言で、救われた気持ちになるのだろう。


 自分でも良く分からない。でもたぶん、俺はずっとこの言葉が欲しかった。


 安心が欲しかった。


 あの地獄を地獄だと否定してほしかった。


 そう自覚した瞬間、急な眠気に襲われる。


 今まで眠くなったことなんて無かったのに。無理やり薬で寝て、それでも途中で起きて過去について思い出し腕を切って、失血により意識を失い眠っていたのに。


「おねむですか」


 少女が問う。


 いや、大丈夫です。そう言えなかった。大丈夫じゃないから。


 自分はずっと大丈夫じゃなかった。安心できなかった。国から逃れてもずっと嫌なことを思い出す。大丈夫なわけがない。許せない。なのに復讐に行けない。地獄に引き戻されることが恐ろしい。


「ねむい」


 そう呟くのがやっとだった。娘は「どうぞ」と自分の膝を叩く。流石にそれは嫌だと否定しようとするが、眠気にあらがえなかった。意識が薄れまどろみに包まれる。


「大丈夫、大丈夫ですよ。好きなだけ眠ってください。起こしますから」


 ぽん、ぽんと背中を叩かれる。ゆりかごになんて乗ったことは無いのに、こんな感じかもしれないと懐かしい気持ちがした。




 それから、俺の日々は少しだけ変わった。


 一応、効率を求める姿勢は変わらないまでも休憩はそこまで頻繁に取らなくなった。


 よく眠れるようになったし、味もある程度分かり食事の面倒くささが薄れた分、余力が生まれたからかもしれない。


 そしてミスティア・アーレンと──御嬢様と話をするようになった。


 黒髪について俺が話をしたからか、御嬢様は俺を気に掛けるようになったらしい。


度々中庭に訪れて、「調子はいかがですか」と聞いてくる。「特に何も」といえば「何かあったら言ってくださいね」と返し、他愛もない話をしたあと去って行く。


 昼間はそんな風に仕事をして、夜は眠くなって寝る。腕を斬る時間はなくなった。


 夏はどんどん盛りを迎え、暑さは増していく。植物は熱に弱いものも多く、仕事の量は増える。


 そんなある日のこと、御嬢様が家族で旅行をする話が出た。目的地は海だ。御嬢様は俺の黒髪の諸々の件で「旅行にすら行ったことが無いかもしれない」と判断したのか、旅行中の側仕えに俺を選んだ。


 俺は御嬢様の前で腕をまくれない。それが嫌で、上から墨を刺した。


 他国の文化で、身体に墨を入れるというものがある。虎などの獣柄を模して襲われにくくしたり、神や仏を模して人生の繁栄を願ったりと理由は様々だ。


 その手法を応用し、俺は自分で薬液を作って、彼女と同じ黒い墨で上書きした。 一族から忌まわしいとされていた俺の黒。


 一日、一日、少しずつ墨を重ねていく。


 御嬢様との日々を重ねながら。


 そうしていくうちに、気づいたのだ。


 俺は一族の元から離れその呪縛から逃れたはずなのに、今度は俺が一族に変わり、俺自身を呪っていたことに。だから、生きづらく苦しかった。息が出来ず、腕を斬って生き長らえていた。


 でも今度こそ呪縛だけを断ち切って、俺は俺の要素と共に生きていく。




「変わりませんよ、俺の気持ちは」


 念を押す。


 言葉は変えられる。在り方も。でもこの気持ちはずっと変わらない。変わるわけがない。変える方法があるのならば教えてほしい。あれから何年も経ち、この感情がとうに適量を過ぎ、良薬ではなく御嬢様を苦しめる毒となり果てたことなんて、すでに理解しているから。


 道徳と善を兼ね備えた、品行方正な騎士ならば身を引くのだろう。でも俺は違う。性根が腐り道を外れた人間だから、彼女のためにと遠ざかることは選ばない。選択肢にもない。


 植物と同じだ。永遠に、根をはる。彼女の生涯を憂うこともせず。いつか破滅の時が来たならば、きっと俺は言うのだろう。


 尊敬と感謝だけ集めて、綺麗なままでいさせてくれたら良かったのにと。


 花のように。枯れて腐り落ちるところなんて誰も見たくない。ゆえに、剪定鋏が存在する。


「あの……フォレストがいらないというわけでは絶対にないので……それだけはご理解ください……」


「ええ。わかっていますよ。俺の幸せを考えてくれたのでしょう? 大丈夫です」


 御嬢様は、相手を想える。俺は違う。だからこそ、御嬢様の考える俺の幸せは、致命的に間違っている。俺は将来への悲観から御嬢様に執着しているわけではない。


 その間違いすら愛おしい。俺の間違いも受け入れてくれたらいいのに。願いながら受け入れるだろうことも想像できる。御嬢様は簡単に俺を突き放す。その上で簡単に俺を受け入れる。そこまで俺に興味が無いから受け入れるのでは、なんて可能性が頭をよぎって悲しくなるけど、共に在れれば何でもいい。


「そうですか……では、令嬢の方には私からご連絡させていただきますので」


「お願いします。なんなら俺からさっきの言葉を言いましょうか? 雌豚のものにはならないと」


「駄目です。それに、あんまりいい言葉じゃないですよ、それ」


 御嬢様は眉間にしわを寄せた。優しい彼女が、怒る。ほかならぬ俺を考えて。その瞬間が愛おしい。永遠に続け、永遠に続けと願う。


「それで……あの、こんなことをお願いするのは気が引けるのですが……」


「なんでしょうか。解雇以外のご要望なら何でも致しましょう」


「かくれんぼ……さすがに開始直後に終了するのは……と、なので、見つけなかったことにしていただけないでしょうか」


「御嬢様はまだかくれんぼで遊びたい、ということですか」


「ま、まぁ……」


 彼女は視線を逸らす。この遊戯がどれほど続くかなんてどうでもいい。御嬢様がお俺を求めるのであれば、手放さないのであれば。


「承知しました。では、どうぞ俺の分かる範囲で、他の使用人たちからお逃げください」


「では……行ってきます。いつも勉強を教えてくださってありがとうございます。これからもよろしくお願いしますね」


「はい。行ってらっしゃいませ、御嬢様。どうかくれぐれも俺のこと、捨てないでくださいね」


 本音を言うなら、捨てようとしてもいい。


 それを理由に報復と称し何でも出来る。手を切ろうとしたのはそちらだと。自分は貴女に倣ったと。助けた恩を返すことなど到底出来やしないから仇に変えて贈る。


 勿論。そんなことにならないほうがいいけど。


 でも、正しく愛して感謝するには貴女の存在は大きすぎて、その言葉は強すぎた。本来貰える価値のない俺に、あの瞬間最も欲していながらも、自分自身、何が欲しいかすら気付いていなかった愚かな俺に、あの言葉を贈ったのは他でもない貴女だった。


 大丈夫だと言える人間はいるだろう。


 安心してほしいと言える人間はいるだろう。


 でもあの日あの瞬間、あの言葉を俺に言うと決めたのは貴女だった。


 それが俺のすべて。だからこそ俺はどちらでも構わない。


 貴女と一生、共に在れるならすべてがどうでもいい。そばに居てくれるなら貴女の望むように振る舞って、貴女の願うような世界を目指し、正しい道の上で生きていくと誓います。


 全て貴女の思うままに。


 俺は胸に手を当てて一礼しながら御嬢様を見送った。

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