憤怒の令嬢
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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「何してるんですか?」
慌てて駆け寄り、袋を取って尋ねると、
ルキット様は驚愕の表情を浮かべた後、黙ってこちらを睨む。
「アリスさんの作ったクッキー、どうしようとしていましたか?」
「……あの女が、平民の分際でレイド様に媚びようとするからいけないのよ」
「それクッキー捨てていい理由になりませんよね」
そう言うと、ルキット様は顔を歪ませる。
何か、ゲームのミスティアのような行動だ。
嫉妬ゆえ、ということだろうか。
「貴女に私の気持なんか分からないわ」
「それは、まあそうですけど」
吐き捨てるようにルキット様が言う。
あんなに可憐だった表情は、完全に消え去っている。
「……どうせ、貴女も顔だけの女だって、思っているんでしょう?
私のこと見下しているんでしょう!」
呪うようにルキット様はそう呟く。
いや、話の脈絡おかしくないか。今、クッキーの話では。
それに、見下してもいないし。顔だけの女性の何がいけないのか分からないし。
「別に貴女は、顔だけの女性じゃないですけどね」
「は?」
ルキット様が、信じられないものを見る目を向けてくる。
「貴女は可愛いじゃないですか。それで自分が可愛いことを知り、
自分がどんな風に見られれば可愛いか、それを生かす為に何が出来るか考え、
そして実行していますよね。自分をより良く見せようと、
研究し、努力をしていますよね? その時点で顔だけじゃないと思いますが」
「は、はあ?」
「それに、顔だけの女性の何がいけないのか分かりません。
あるひとつの何かだけしか無いということの何がいけないんですか、
というか、そもそも何も無くてもいいはずです。
そして何かが無いことも、何か一つしかないことも、
人を見下す理由にはならないでしょう」
人を見下していい理由自体、存在していない。
人を見下したい人間が、あれこれそれらしいように聞こえる言葉を述べるだけで、
存在していいはずがない。
「うるさい、騙されないわ。
全部綺麗事よ、結局私を」
「あの、何か勘違いしているようですが、私が怒り、
否定しているのは貴女がクッキーを捨てた行為に関してであって、
貴女自身ではありません、今はクッキーを捨てた行為についての話をしているのであって、
貴女の在り方はむしろ肯定します」
ルキット様はさっきから、私が私がと、どんどん自分の話をしているが、
別に話を逸らさないで欲しいし、ルキット様の在り方は否定したくない。
そう言うと、私を睨むルキット様の目が、若干弱まったように感じる。
「貴女の在り方の話をするならば
わざわざ自分の努力を汚すような言葉を言って、
自傷行為のような行動をしたり、
嫉妬心で人を傷つけるような行動を取るのはやめてほしいというだけです」
お願いするように伝える。
出来れば、分かって欲しい。
「ミスティア様」
あ、これ死んだ。完全に駄目な状況だ。
振り返るとアリスが立っている。
私の手にあるのは、アリスのクッキーの箱。
アリスはこちらを見て驚いている。
……正直に言えば、アリスが信じた場合、
アリスは「え、私のクッキー捨てられかけたの?」と傷付くだろう。
信じなかった場合、どうなるんだ?
私がクッキー泥棒として窃盗で捕まるとか?
流石にクッキー泥棒では投獄死罪にならないよな……?
食いしん坊野郎みたいなレッテルがつけられるくらいか。
「前回レイド様に、食べられてしまったので……、
取られないように……見ていました……」
アリスが傷つくのと、
私が食いしん坊野郎になるなら食いしん坊野郎になった方がいいだろう。
それになんか、アリスは私に対してちょっと好意的すぎるおかしい反応をするから、
投獄死罪の布石にならない程度にほんの少し距離を作ってもらう方がいいかもしれない。
ちょっとおかしいし。
アリスの顔色を窺うと、口元に手をあて限界まで目を見開いている。
「そんなに私のクッキーを気に入って頂けたなんて……!
私どれだけ徳を積んだのでしょうか……! へへへ」
え、嘘でしょ?
何か今日一番喜んじゃってないか?
へへへって何? へへへって何!?
「私、ミスティア様に毎日クッキーを捧げますっ」
「あっ大丈夫です、これさえあれば」
「はい、あの今回は、ミスティア様にきちんとお渡しできるように、
ミスティア様だけ箱が別なんです、へへへ」
ほら! とアリスが紙袋から箱を取り出す。
嘘だ、レイド・ノクターはどうした。
レイド・ノクターだけ別に作ってきたりとか、そういうのじゃなく?
「ああ、な、なるほど……」
「レイド様がもうお昼にしようと言っていたので、私準備してきますね!
その時にクッキー、お出ししますから」
アリスは満面の笑みで去っていく。
え、捧げますて。毎日って何。
箱別って何? 嘘でしょ、待って。私分からないよ。
っていうか入れ替わり立ち代わりこっち来てるけど、
今勉強してるのロベルト・ワイズとレイド・ノクターだけなの?
何で? 普通の勉強会になってる?
「私のこと、庇ったつもり?」
ルキット様の声にはっとする。
そうだ、今ルキット様と話をしていた途中だ。
「いや……、作ってきたクッキーを、
捨てられそうになっていたなんて知ったら、傷つくでしょう。
クッキーを作るたびに、捨てられそうになったことがあると、
思い出してしまうかもしれない、傷になるかもしれないですから」
答えるとルキット様は返事をせず目を伏せて私に背を向けていった。
その後ろ姿を眺めていると、メロがこちらを見る。
「どうしますか、消しますか?」
「いや消さないよ、何で消すの」
「寛大な御嬢様の御心に深く感謝をすべきにも関わらず、
あの無礼な振る舞い、処すべきでは?」
「うん、処さない、処さない」
メロが平然と尋ねてくるのをなだめる。
本当メロだとそれが簡単に出来そうだからな。
これから先腹の立つ人間が出て来て人物名口に出したら何か、
絶対よくないことが起きそう。
「……本当にいいのか、彼女を、放っておいて」
「? はい」
本棚の陰からロベルト・ワイズが苦々しい表情で現れる。
今のやり取りを見ていたのだろう。
え、まさか処すくだりのことを言ってる訳じゃないよ……な?
「君の選択だどうこういう資格は無い、
レイド・ノクターとのことだ。彼は、君の婚約者じゃないのか」
「ああ……、そっちですか、
まあ、親同士の取り決めなので」
安心した。ロベルト・ワイズが変わってしまったのかと一瞬背筋が凍った。
返事をすると、ロベルト・ワイズは納得していない様子で、顔をしかめる。
「でも」
「ずっと、お互いの感情は何も伴ってないものなんです。
小さい頃会っていたとか、仲が良かったからとかじゃなくて。
初めて会った時が、顔見せというか。まあそれが普通なんですけどね」
レイド・ノクターに出会った五年前、婚約を解消するぞと考え今の今まで来て、
とうとう入学まで来てしまった。
一瞬耐えがたい力でレイド・ノクターに狂う可能性を考えたこともあったが、
今もなおそれは無い。
「私は、レイド様に、好きな人が出来たら協力するって言ってあるくらいの、
恋愛色は全くない関係性です」
「君は、彼のことを好ましいと思っていないのか?」
よく聞かれるな、これ。
前はフィーナ先輩にも聞かれた。
「人間としては、尊敬していますよ」
「なら」
「ただ、恋愛として、ではないというか。
いや、他に好きな人がいるわけでもなく……。
そもそも恋愛事は、あまり興味が無いと言うか、
よく分からないんですよね。全部他人事に感じると言うか」
前世時代から、恋愛に興味が無かった。
今も今で、投獄死罪という問題があり、
それどころじゃない、という気持ちの方が大きい。
「なので、私は本当に平気です、強がり、迷惑かけたくないからではなく、
ルキットさんがレイド様と仲良くなることに対して、何も思っていません」
ロベルト・ワイズは、私の顔色を窺っている。
心配しているのだろう。確かにクラスメイトの婚約者が別の人と、
それはそれは仲睦まじそうにしていたら心配する。
「……ごめんなさい」
「どうして君が謝る」
「心配させてしまったのと、ずっと貴方の誠実性を、
歪めてしまっていたことの、二つです」
「どういうことだ?」
「アリスさんに、勉強を教えている姿勢とか、
相手の理解度を、理解しようとする姿勢とか見て、
貴方は誠実だと再認識しました」
ロベルト・ワイズは、真面目だ。
一生懸命アリスの理解度を探って、
何処が苦手なのか、どこが躓いているのか、
しっかり把握しようとしていた。
聞かれたことだけを答えるのではなく、伸ばそうとする姿勢。
分からない問題を必死に考えている。
立ち去る時、忘れ物が無いか、自分じゃない分まで確認したり。
触れもしていないアンケートボックスの乱れを整えたりしていた。
「だから、私が下手な線引きせず、
誠実に、話をしようと考えていたらもっと早く話せたなあと思って」
「それは俺が不誠実な、最悪な人間だからで……」
「最悪な人間は、そんな顔しません」
ロベルト・ワイズは、苦々しい顔をしている。
思い返せば、ロベルト・ワイズはいつだって私に対して何か言う時、
苦しんだ顔をして暴言を吐いていた。
最悪な人間は、そんな顔しない。苦しまないし反省もしない。
彼が暴言を吐いてくるのは、
ゲームでは、嫌っていたから、仕方ないと思っていた。
だけど、ゲームの強制力はあれど、私は私なわけで。
彼が私に対し穿った見方をしていたように、
私もロベルト・ワイズに対して、穿った見方をしていた。
次からは、しっかり、見よう。
ロベルト・ワイズは考え込むように目を伏せた後、私の目を見る。
「……俺も、君は誠実だと思う。言ってしまった言葉は取り返せない、消せない。
俺の言葉を信じてもらいたいなんて都合のいいことは言えない。だが、
これからは、俺は絶対君を疑わないと、誓う」
「ありがとうございます。
……クラスメイトとして、これからもよろしくお願いします」
ロベルト・ワイズは、優しく穏やかな顔つきだ。
前のような敵意の眼差しは、何処にも無い。
「ああ、よろしく」
ロベルト・ワイズが頷き、去っていくと同時にメロが私の耳に顔を寄せた。
「この者、ミスティア様を傷つけたのですか? 消しますか?」
「いや誤解ちょっと色々あっただけで、今は友好的な関係だから」
「排除する際は、いつでもおっしゃってくださいね」
「うん、落ち着いて」
メロを止めながら、私は児童書コーナーを出た。
●2025年10月1日全編書き下ろしノベル7巻&8巻発売
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