120話 また何か面倒な事に…。
影の精霊が現れた辺りから、あの男性職員さんは私に話し掛けてこなくなった。…何がしたかったのか分からないけど、取り敢えず引き下がってくれた事にホッと胸を撫で下ろす。ほぼ初対面でされる意図が分からない会話程疲れるモノはないから。
「夜風さんも大変だねぇ…。」
終業時刻になり、何とか今日も残業をする事なく家に帰れるとぼんやり思っていたら、コスモクロアさんが物凄く染々そう言ってきた。
「コスモクロアさん…あの、大変とは?」
「だって夜風さん、トロバドールに口説かれてたよね?アイツしつこいから。」
…あの人、トロバドールって言うのか。ううん、聞き覚えがない。一応私が座ってる席周辺の人の名字なら覚えてるんだけど。…やはり想像通りトロバドールさんは、普段は私と接点がない人みたいだな。良かった、私が度忘れしてる訳じゃなくて。
「トロバドールさん、と言うのですね。」
「あれっ、夜風さんってトロバドールの事知らなかったんだ。」
コスモクロアさんの驚き様から見て、トロバドールさんと言うのは中々の有名人の様だ。…いやぁ、分からないなぁ。
男性職員元い、トロバドールさんの姿を思い出す。えっと…身長は高かったかな。ホッソリした体つきで、顔は人当たりの良さそうな感じで…何と言うか、目立つタイプには見えなかった。同期のセイボリーさんの方が、スタイルや顔の造形は整ってると思う。
ただ、目に込められていた得体の知れない感じが…凄く印象的だった。年齢からくる落ち着きと自信だけではない…私では汲み取りきれない『何か』が、凄く不気味だった。
「今まで接点が…本当、あまりにもなかったので。何か色々聞かれて、何事かと警戒はしていたんですが…よもや口説かれていたとは。」
「ぷふっ…あはは、夜風さんらしい!!…でも、その感じなら大丈夫そうかな。」
先程までの明るい調子から一転、コスモクロアさんはスッと真面目な顔になってそう言った。あまりの変わり様に、私が思わず身構えてしまった程だ。
「…コスモクロアさんがそう言うって事は、やはり警戒して然るべき人って事ですか?」
「う~ん、そこまで大層な感じじゃないんだけど…まぁ、そんな感じかな。あ、ルナちゃんにも話を聞いたら?アイツの本性を直ぐ見抜いたの、ルナちゃんだし。」
「ルナさんにも話は聞きますが、私はコスモクロアさんの意見が聞きたいです。」
ルナさんの鋭さは舌を巻くモノはあるけど、ここはやはり、そのトロバドールさんが実際何をやって来たかを知っていそうなコスモクロアさんに話を聞くのが一番だろう。その話を聞いてからルナさんの話を聞けば、信憑性がグッと上がる気がする。
「ううん……うん、夜風さん。予定がなかったら、良かったら今日は一緒に帰ろうよ。」
「構いませんよ。」
少し悩んでいたコスモクロアさんだったが、途端に明るい声を出して私の腕に自分の腕を絡めた。
その行動の意味は分からなかったが、コスモクロアさんは私に合わせてほしそうなのは伝わった。元より、話を聞こうとしている人の誘いを断れないし。
だが、それとコスモクロアさんが急にこんな行動を取った理由は別物なので、ゆっくり首を動かそうとしたら…ギュッとコスモクロアさんが私の腕を抱き締めた。
「…夜風さん、ちょっとヤバイかも。絶対振り返っちゃダメだよ。」
「…何があったんですか。」
さっきの真面目な声ではなく、どこか切羽詰まった様な声に、嫌な予感が募る。いつも明るいコスモクロアさんがこんな声を出すなんて…。
「さ、さっ!!私のオススメの店、教えてあげるって言ったじゃない。早く行かないと混んじゃうよ?」
「こんな時間から混むんですか…大変ですね。」
相変わらずコスモクロアさんの言葉に合わせながら、拭いきれない嫌な予感を緩和する為に、スマホを操作して何個か保険を掛けた。…取り越し苦労だったら良いけど。




