────暗いモノが誘う視界────
──さぁ、贄を喰らえ──
暗闇の中で声が聞こえた。聞いたことの無い重く深い男のような。
見知らぬ男が二人居る。
見知らぬ女性が倒れている。
倒れているのは誰なのか、見知った人間に視えた。
倒れているのは誰なのか、大切な者の様に視えた。
身体が自分のモノではない感じ、見えているのは借り物だとそう思わせた。
紫闇は夢の中で善くないものを見た気がした。
§
明朝、陽が昇り、外は白みがかってきた。雀の囀りと共に目蓋を開けた。
昨日寝た時間が早かったのだろう、壁にある時計を見るとまだ午前五時だ。だが、外からは金属同士がぶつかりあい、風を切るような音が聞こえる。
「変な夢だったな……嫌な感じだ。────ん、この音なんだ」
訝しがりながら音色に委ね、身体を起こして縁側へと赴くことにした。すると、庭から風音とシロの声が聞こえてきた。
視線を向けると、そこで二人は刀を持ち戦っていた。
シロが風音の喉元に左腕で持った黒塗りの刀で突きを繰り出す。それを待っていたかの様に、
「そこだぁ!」
身体を右に一回転捻りながら遠心力を用い、シロの遊んでいる右腕を断ちに行く。しかしシロの右腰にはもう一本の刃が納まっている。それを瞬時に逆手で抜き斬撃を受け止めた。
金属が弾ける音が、朝の冷えた空気に響き渡る。
「ふふふ。やるようになったな、私に二本目を使わせるようになるとは────」
そう、これがシロの本来の姿、二刀流。
右腕に力を込め、間合いを離し、その硬直に合わせ、
「はぁああ【裂閃襲】」
連撃を叩き込む。
左を順手持ち、右を逆手持ちに。目にも留まらぬ乱舞が始まる。
胸を狙った左の打突。回避に合わせて足元からの右の切り上げ。捌きに合わせ左の薙ぎ。後退して回避しようとするものに併せ右手を順手に変更、一歩踏み込み袈裟に切る。
再び刃同士が重なり合い力の差で風音がたたらを踏む。
追撃する、その隙は致命的すぎる。よろめいている顔面に左の突きを放つ。回避は不可能に見える。だが、しゃがみこみ風音はシロの視界から一瞬消え回避に成功する。
しかし、それを許すシロではない。大地へ右の打ちおろし。刀をそれに合わせ踏ん張ることしか出来ない風音。
「く……ちょっちょっと。お父さん大人気ないぞぉ」
シロは未だ左手は自由なのだ、止めなど何時でも刺せる。勝敗は決したかのように見える。
「この程度ではまだまだだぞ、刃が一つ増えただけだろう。これでは私から一本を取るのは夢のまた夢だぞ。ふふ」
挑発、そう受け取れる一言。
「むむぅ、きゃ!」
刃に力を込められ風音は大地に跪いた。そしてシロは、視界の片隅にこの戦いを眺める男を収めた。
「む? 紫闇君じゃないか」
その言葉に地に伏した風音も反応してシロの視線と同様に縁側を見つめた。そして、紫闇だと確認すると、脚についた土の汚れを払い紫闇の元に駆けて行く。手には刀を持ったままで。
「ほんとうだぁ。ごめんねぇ起こしちゃったかな?」
「いや、大丈夫。それよりごめんな。剣の鍛錬邪魔したみたいで……」
紫闇がバツの悪い顔をするが風音が頬を膨らませ、
「ううん。そんなことないよぉ。どうせ、私やられてたから」
そう口にした。
「いやいや。私に二本目を使わせたんだから。すばらしい上達だよ」
黒塗りの二対の刃を両方の腰に仕舞いながらそう口にする。
「ふんだ。やっぱりまだ勝てないなぁ……あ! そうだシアン君も一緒に鍛錬する?」
落ち込んだと思ったら、ふと閃めいたことを提案してきた。唐突に話を振られた紫闇は目が点になり、
「へ?」
そんな一言が漏れた。
「ね、良いでしょうお父さん?」
身体の向きを変え、今の提案を尋ねる。シロが少々考え込むが結論はすぐに現れた。
「ふむ。男子たるもの、武道の一つは出来たほうが良いだろう」
紫闇は反論する暇もなく朝の鍛錬に付き合うことになった。
「時に紫闇君は、何かこういったものの経験はあるかな?」
「いや。まったくないですけど」
それも当然だ。ただ、普通に生活し、剣道などもやるほうではなかったし、スポーツも学校での体育でしかしなかったのだから。
「ふむ。じゃあとりあえず、私の刀を持ってみてくれるかな」
言いながら黒塗りの刀を渡してくる。
初めて触る刀は恐怖が先行した。これは人を殺す凶器なのだから。
手に刀を持つ。鉄の塊、それ相応の重さをイメージしていたのだが、そういう仕様なのか軽く感じたので、これならば容易に振るうことが出来るだろうと思った。
「正眼で構えてみてくれるかな? おっと、正眼はわかるかな?」
「一応知ってます。こうですか?」
ゲームで鍛えた知識、こんなところで披露できるとは思っていなかった。お陰で、両手で刀を持ち、腰とヘソの辺りで真っ直ぐ相手に突きつけるように構えることが出来る。
ふと色々な経験はいつか役に立つのかもしれないと思った。
「ふむ。なかなか様になっているじゃないか。それでは、上段から振り下ろしてみてくれるかな」
「分りました」
(とりあえずやってみるか。だけど、こんなんで何が判るんだ?)
「はぁ!」
上段から一気に振り抜くと風を切る音が響き、何故か空白の時間が生まれた。
不思議に思い紫闇は二人の顔を見ると、シロは納得した表情をしていて、風音は喜んでいた。
不安に思った紫闇は問いかける。
「あの、これで何か判るんですか?」
「すごいよシアン君。お父さんの刀って普通の人には使えないんだよ。それなのにそんなに簡単に振っちゃうなんて。才能あるよぉ」
喜びを隠そうともせず紫闇の両手を握り上下にブンブン振り回す。
「おい、危ないって」
未だ紫闇の手にはシロの刀が握られている、風音を傷つけかねないのだ。そんなやり取りを微笑ましく見守りながらシロが語りだす。
「ふふふ。私の刀は、普通の剣に無い闇の重力が掛かっているんだ。だから、本来の刀より重いんだよ」
説明を受けた紫闇が刀に視線を落とす。
(いや重いというか軽いよな、本当にそんな重力なんて掛かってるのか?)
「これを振るうことが出来るということは、君には腕力がある訳だ。太刀筋も淀みが無かった。これならすぐにでも風音に追いつけるかもしれないね」
あえて風音を挑発するような口調。反応を楽しむように風音の方向を向けば、当人は頬を膨らませながら怒りを顕わにしていた。
「ひどいよお父さん! 私だって三年間もやってるのに」
シロの胸元を拳でぽんぽん叩きながら、自分はこれだけやって来たとアピールする。
「ふふふ。まぁ男というだけで平均能力は風音より上なんだ、仕方なかろう?」
風音の頭を撫でながら言葉を返す。
「そうかもしれないけどぉ……」
「でもほら、ただ刀振れたただけじゃどうしようもないだろ。基礎も何も無いんだし。それにこの世界だったら戦いは精霊の力があったほうが有利なんじゃないか? 風音は感じることが出来るんだし、それで差なんかチャラだろ」
紫闇の発した言葉に思うところがあったのか、シロは思うことを口にした。
「ふむ、それは少々早計かな。確かに精霊の力を使役できればそれだけで有利に働く部分はある。しかし、武道を極めれば精霊に頼らずとも戦える。精霊ばかりに頼っているやつも中にはいるんだが、それ故に懐に潜り込めば御しやすい。まぁ例外は常に存在するがね」
「……例外ですか?」
「ああ。私たちのように、精霊の力を刃に乗せて、相乗効果で戦う人間もいる。さらには、刃だけでなく拳や脚に精霊の加護を付与することで、何らかの能力を使うものもいるからね。まぁ、そういう奴らは基本的に軍に属している奴らだから、問題ないといえば問題ないんだが」
「……じゃあ、シロさんや風音は軍の人なんですか?」
この質問は当然生まれた。
言葉から推察するに、シロも刀に何らかの精霊の力を付与し戦うことが出来るのだろう。風音は昨日見たとおり刃に風を纏いクマンタを切り刻んだ。だからこそ、この二人は軍人ということにならないだろうか。
「ううん。お父さんも私も軍隊には入っていないよ。でも、お父さんが昔所属していたんだぁ、それで私に教えてくれたの。護身用だったんだけど、結構狩りとかに使っちゃうんだこれが」
「まぁ、そういうことだよ。私は、昔軍にいた。そこでこの剣技を手に入れて、風音の護身用に教えていたんだ。だがいつ頃だったかな、風音が私にもっと教えてほしいと言い出してね。それから毎朝鍛錬しているんだ」
「ふふ、ということで、シアン君も一緒に鍛錬やろうかぁ」
笑顔で脱線した話題を方向修正する風音。
「おっと、そうだった。じゃあ風音と戦ってごらん」
そしていきなり戦えと申す。戦闘訓練もしていない犬が、狩人のライオンに挑む。そんな無謀をやれと言う。
「……へ?」
硬直する紫闇。
「へ? ではなく風音と戦ってごらん。ああ、ひとつ言い忘れたが朝の鍛錬では私たちは精霊の力は使わないのが約束なんだ。だから風音は力を使わないから安心して良いよ。だが、手加減はしないというのも暗黙の了解だから。そこのところよろしく頼むよ」
説明終了。
そんなことをいきなり言われたところで対応できる訳が無い。手加減云々で風音に勝てる道理はないのだから。
「うん。じゃあシアン君。いくよぉ」
最高の笑顔の殺意で間合いを開け、戦闘準備に取り掛かる。
「ちょっと待てって!」
制止を掛ける。が、それは意味を成さず、
「だぁめ」
一言で一蹴され、戦闘といえない戦いが開幕する。
風音の右腕が奔り、首を狙い突き穿つ。当たったら当然致命傷だ。むしろ死んでしまうだろう。
反射神経だけで迫り来る脅威から間一髪、身体を右にずらし回避する。そのままやむなく胴を薙いでみるが、あっさりかわされる。
「そんなんじゃあ……当たらないよぉ? ほぉら、もっと本気になってよ」
風音の表情が先程までとは違う。無邪気さが消え、目が据わり、声音もどことなく色っぽい。何より、髪が紅く染まっていないだろうか。
「な、なんか、風音が違う気が……」
その対応に紫闇の顔が引きつる。
「んふふ。そんなことないよぉ……」
言いながら斬撃が顔を掠め、冷や汗が全身に吹き出る。
流石に紫闇も腹を決め、覚悟新たに間合いを開け、正眼に構え直す。
「もう、どうなっても知らないからな!」
その一言に対応して妖艶な笑みを浮かべ、
「やっと。本気ってわけぇ? んふふ、じゃあ早く来てよ」
左手をいやらしく蠢きたて誘惑する。
「────っく」
改めて強く柄を握り締め、来たる攻撃に備える。
「あらぁ。隙が見当たらないねぇ。……じゃぁ、先にイカせてもらおうかなぁ……はぁああ」
風音が踏み込み脇腹を狙い一閃。それに併せ刃を奔らせる。金属音が鳴り響き、鍔迫り合いが開始される。
しかし、力の差があったために紫闇が風音を押し返し、間合いを離す。距離にして三メートルほどだ。
「ふむ。やはり紫闇君才能あるな」
そのやり取りを見てシロが一言漏らした。
「ずるいなぁ……シアン君」
「へ?」
風音からドロドロしたモノが流れている。風が淀み紫闇に向け放たれるのは嫉妬という名の心。
紫闇の直感が黄色から赤へ変更された。危険、クマンタとの戦い以上に死の気配を感じる。自らの直感を信じるなら、ただでは済まないだろうと告げていた。
思考した瞬間、斬撃が襲う。手加減など一切無く、それは全て急所を狙って。頭、首、胸、動脈、正確無比な攻撃。
だが、当たらない。その全ての攻撃は知らず捌けている。何故なのかは紫闇ではまったく判らない。ただ剣が教えてくれているそんな感覚があった。
シロの血を吸い、数多の戦場を駆け抜けてきた刃がどうすれば良いのかを示唆し、行動を己の感覚とは別に働きかけている。身体が自分の物でなくなる感じがしたのだ。
左から薙ぎ払われる。だが、簡単に剣が軌道を読み叩き落す。続けて、連撃をいたるところから放たれるがその全てが不発に終わる。
払われる度に風音の苛立ちが募る。何もしたことがない人間に、己の剣筋を見切られている。自分の過去が否定されるとそう思わせた。
動きが止まった。紫闇から仕掛けることはせずただ防御に徹していた。風音が踏み込まない限り紫闇から攻めることは無い。
風音の嫉妬が臨界に────
「…………じゃあ私、技使っちゃうね」
そう、口にした。背筋が寒くなるような一言だった。感情は無くただ、その行動を呼び起こすための自らに施す言霊。
瞬間────世界は、風音の射程内に収まった。
紫闇の五感はここに来て全て危険を示した。今までのは序の口と言わんばかりに。身体が言うことを利かない。風音から目が離せない。その挙動、一瞬でも見逃せば己は────
動いた。彼女の背に目に見えぬ翼が見えた気がした。心と身体は縛られ、逃げることは出来ない。
「風音! 待ちなさ……」
口を挟んだシロだが、言い終わる前に風音が動き出す。
「……【鳳凰荒神……」
言霊を放ち世界は変質した。
伝説の鳳凰の名に恥じない速度、上昇し一点を穿つ打突。
──荒れ狂う神、荒神──
穿たれし場所は悉く塵芥に成り果てる。必定として紫闇の身体は死を迎えるだろう。だが、誰の言葉なのだろうか、頭の中に黒く暗いイメージと声が響き、
──お前には任せられぬな──
ただ、そう口にした。
刹那の事象。縛られた身体は動き出し、縛られた心も動き出す。己の行動が、知らぬところで想像された。
迫り来る脅威が未来、直感として捉えられる。構えを取る。其は正眼であり、基本と言える。どのような行動にも対応できる、特化しない凡人故の技。
迫る鳳凰の風。狙うは唯一つ、首を落とす。
それは、風音がシロに放った技。模倣し擬態する。
迫る風音が最速なら、それを上回るこの速さは一体なんなのか、理解できない。
飛び込みに併せて右に身体を捻る。回避と攻撃を同時に成し、鳳凰は地面に頭を垂れ同時に黒い刃が奔り、風音を殺す────
黒いモノを首に突き立てる。後に残るのは女の首が転がって、紅い血溜まりの中に佇む紫闇であろう。
そこまでのイメージを捉えるが、身体は言うことを利かない。何をどうしようが止まらない。
あと一センチ──
あと五ミリ──
奔る刃は止まらない、触れてしまう。このままでは初恋の彼女を自ら殺してしまう。
だが、
「そこまで!」
シロが割って入りいつの間にか刃が弾かれていた。
あの刹那を駆けてきたのだ。常人の挙動とは思えない。否、このような戦闘をした紫闇は一体何なのか。回答は生まれなかった。
風音は地面に跪いていた。
「っあ。風音すまない。大丈夫か?」
身体の縛りが解け風音の肩に手を回し立ち上がらせる。
「……うん。私もごめんね、本当に怪我じゃ済まないところだったぁ」
顔を伏せながら謝罪する。長い前髪が表情を隠し覗えなかった。
「ふむ、二人ともすごいじゃないか。風音もまさか“彼女”を出すとは熱を入れすぎだ。まったく。それにしても紫闇君の力は一体どういうことだい。君は剣の心得は無いのではなかったのかい?」
疑問は当然の如く生まれた。素人があのような動きを出来るわけがない。まして、刀を持ったことの無い人間なのだから。
「自分でもよく判らないんですけど、頭に急に声が聞こえて、身体が勝手に動いたんです」
シロは目を瞑り言葉を漏らす。
「ふむ、君には天性の物があるのかもしれないね……」
天性と言うがそのようなものがあれば、クマンタなどに後れを取ることは無かっただろう。
思考しているうちに紫闇の緊張が解けたのか、お腹が鳴った。
風音がそれに気づき笑顔になっていた。雰囲気は以前の風音そのものだ。髪は元に戻り、先ほどのような別人と思わせるモノも失せていた。
「ふふ、お腹すいたんだ? そうだね朝ごはんにしようかぁ。お詫びもかねて豪勢にしちゃうよ」
それは紫闇にとってありがたい。運動したのでいつもより空腹感が強く、沢山食べられる気がしたからだ。
「そうだシアン君、お風呂沸いてるから入ってくると良いよ。結構汗かいてるみたいだし」
言われて自分の状態を把握する。身体は汗で湿っていた。
「ああ。そうさせてもらおうかな。シロさん刀ありがとうございました」
返答しながら、シロに刃を返す。頷きでシロは受け取り、鞘に仕舞った。
「場所はねぇ、玄関から入って左手奥にあるからね」
「了解。じゃあ早速行ってくる。料理、期待してるよ」
そして紫闇は湯殿に向かった。
二人の視界から彼の姿が消えると、風音は少し涙ぐんでいた。先程の笑顔は空元気からの産物だったのだ。
「負けちゃったぁ……」
零れる言葉、溢れる雫。この三年間を否定された気分になっていた。だが、この程度でへこたれる風音ではない。至らぬ点が自らにあったのだと割り切り、更に精進しようと心に決め、取り敢えず気分転換を兼ねご飯を作るということにした。
「お父さん、私、ごはん作ってくるねぇ」
風音が涙を腕で拭い走り出した。それを見送りながらシロは言葉を漏らした。
「ふむ、まさかあれ程とは予想を遙に超えていた……鍛えれば、さらに伸びるだろうが。さて」
シロは去っていった紫闇のほうを睨む。
暫くたち、懐からタバコを取り出し一服することにした。
「ふぅ~。彼ならば或いは────」
朝の空気に溶けるように吐き出した言葉と煙は消えていった。