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────邂逅、世界の理────

 紫闇の意識が覚醒する。そこはいつもの実験室ではなかった。

 横たわっていた身体を起こし、周囲を確認する。


「森……?」


 こぼれた一言は、まさに今を表すにふさわしい。周りには木々の群れがあって地面はアスファルトではなく土。葉の切れ間から見える空は、真っ青な快晴だった。

 思考した結果、一つの回答にたどり着く。


「……あのばか親父……成功しやがったのか」


 そう、庵時の実験が実りを結んだのである。

 成功するとは当然の如く思っていなかったため、自分の世界に戻る術を聞いていない。そのことを思い出した紫闇は、落胆もあったが何も出来ないのでとりあえず当ても無く周囲を散策することにした。

 結局、周りには雑草や大木の群れ以外何も見当たらなかった。

 途方に暮れるしか道は残されていないのだろうかと思い、ため息が漏れ虚無感が支配した。

 一点気づいたことがあった。


(俺だけなのか……春華はどうなったんだ)


 思考を馳せるが回答をもたらすものは誰一人としていない。ここには独り紫闇がいる。それだけなのだ。故に、何を考えようが己以外で答えを出すことなど出来はしないのだ。

 徐々に日が暮れ始めた。そして、腹から音が鳴った。ぐぅ……なさけない。しかし、自然の現象を止めることは出来なかった。


「にしても、腹減ったなぁ……」


 空を見上げながらそんな一言が漏れた。当然ではある。周囲の散策は思いのほか体力を消耗し、本来夕飯という時刻をオーバーしていた。

 時間の経過は心の不安と共に空の色を茜色に変え、次第に星の煌く夜空へと変貌していった。そう、夜という外敵が現れる刻にだ。

 この時間だからこそ獣は行動を開始して食事をする。もっとも日中でもするだろうが、夜と言うのは非常に相手の死角を取りやすく狩りには最適だからだ。

 何処からか獣の遠吠えが聞こえて全身に鳥肌がたち、恐怖が心を支配した。それは自身を武装しなければならないという、強迫観念にも似ていた。手っ取り早く武器を調達しようと考え、愚考ではあるがそこに落ちている一メートル五十センチほどの木の枝を手に取って構えた。

 それが合図だった。気づかぬだけで紫闇の背後には二メートルを超える熊のような獣が両腕を掲げながら立っていた。

 ただの人間が熊を殺せるかといえば否である。当事者は爪で裂かれ病院送りか、死ぬだけだろう。勝てる道理は見当たらない。


「流石に熊に勝て……おわぁ!」


 人間の頭ほどある手が紫闇の顔面を掠めながら動いていた。全身の毛穴から冷や汗と脂汗が混じるように溢れた気がした。


「あぁ、やばい。俺、死ぬかなぁ……」


 怖いと、ただ思った。死を覚悟するしかないと。だが、人間そう潔く死んでたまるものではないと心を奮い立たせ、手に持った木で敵の攻撃を受け流そうと────バキ…………折れました。

 所詮はただの木の棒で、耐久力には信頼など全くおけなくてあのような豪腕の一撃、防げる訳すらなかったのだ。

 そしてふと、この光景に見覚えがある気がした。いつか何処かで、俯瞰という場所から観測したのではないだろうか?

 そう、あの後、否、この後紫闇は熊に喰われて…………。

 全身に悪寒しかしなく、絶対的な死が迫る。もう無理だと諦めてしまう。振るわれる腕の速度は、紫闇の運動性能をはるかに凌駕し襲ってきた。

 見える世界はゆっくりと。爪で引き裂かれ、血を撒き散らし、のた打ち回るが結果だろう。

 憶測、推測、観測の三つがたった。

 過去が、イメージされた。それは、初恋のあの娘。だが叶わぬ願いに、ただただ絶望するだけだ。だからやめにして、迫り来る鎌首に目を瞑る。

 助けを求める思考、それを汲み取る者などいないし、声を発することも出来ない。

 待つのは一つの終焉。行われる刹那の事象。風の流れが一つの収束を見せる。

 目で捉えた訳ではなく、ただそう思った。次いで何かが振りぬかれる音。最後に、


「【風月閃(フウゲツセン)】!」


 澄んだ女性の声が聞こえた。

 紫闇の目の前で不可思議な出来事が発生する。死を迎える推測をたてられていた現在、それを回避し行われた事実は理解の範疇を超えていた。

 目に見えぬ刃────カマイタチ、と考えられる物が、襲い掛かる腕を肘から切断した。切り口からは一切の血が流れていない。

 切られた腕を庇った熊らしきモノは標的を変更する。目には怒りが浮かび、体勢を低くし放たれた方向に突進した。 

 再び感じるのは大気の流動。風が溢れていく、二度目にして更に暴風のようだった。

 視線を風の集まる方に向けると、月光を紅い目に反射させた長い黒髪の少女の姿が見えた。それは少女でありながらも戦士を髣髴とさせた。

 暴風が止む。刹那の時間。それで終わりだ。


「【魔空閃(マクウセン)】!」


 声、それは世界に働きかける呪文のようなものだ。

 行われる事象。彼女の場で停止した風を銀色の刀に宿し、頭まで振りかぶった刃を熊のようなモノに向かって振り下ろした。

 最後の一撃、当たった瞬間到る所に風の刃が奔り、崩れ落ちるかのように戦意と意識を失い、肉の塊になるのであった。

 こんなこと人間の起こせる事ではない。まるで、ゲームの世界に入り込んだようだと紫闇は思った。

 そしていつの間にか腰が抜けていたのか、地面にぺたりと座り込んでいた。そこに刀を仕舞った彼女が歩いてきた。


「きみぃ、この辺の人じゃあないよね? 危ないよぉ、こんなところに居たら」


 先程の戦士のような風格は消え去り、ほわほわした感じの印象を与える。少女と女性の中間、紫闇の年齢に近い見た目の印象を受ける。


「あ、……ははは」


 渇いた笑いが漏れてしまった。当然といえば当然だ。あのような出来事、生きている内にそうそう体験できるものではない。


「むぅ? 私、何か面白いこと言ったかなぁ」


 笑ったことに対しての反応なのだろうか、なかなかの天然と判断できる。


「いや、その、君すごいなぁと思ってね……」


 腰をあげ、視線を同じ高さに合わせて純粋な感想を口にする。


「すごい? ……よく判んないけど、まぁいいやぁ。それで、君は何でこんなところにいたの」


 子どもを諭すように紫闇に尋ねる。

 一瞬の逡巡の末。自分に起こった真実を口にしてみることにした。もっともどう繕ったところでこの世界の人間ではないのだから、実際のことを言ったほうが何事も良いだろうと考えただけなのだが。


「俺、たぶんこの世界の住人じゃないんだ。その、なんて言うか、別の世界から来ました……なんて言っても信じてもらえないよね。あははは……」

「……別の世界? ────もしかして……あっちの世界から来たの?」


 信じてもらえるとは思えなかったし、このような反応が返ってくるのも予想外だった。彼女は知っているというのだろうか、紫闇が住んでいた世界のことを。


「えっ、俺の世界を知ってるって言うのか」


 疑問と質問が繰り返される。


「そのね、実は私も昔は、ここと違う世界にいたんだぁ。こっちに来たときは誰も信じてくれなかったけどねぇ。……ん~、気のせいかな。私、君に昔会ったことないかなぁ?」


 正面から紫闇の顔を見つめそんなことを言う。正直ドキッとした。端正な顔立ちで整ったバランスを醸し出し、黒い髪は若干赤みを帯びている。更に風が長い髪を靡かせ、一瞬花の散り際のような美しさを魅せた。

 そして対する紫闇もこの容姿を何処かで見た気がしていた。心臓が訳もなく回転数を上げている。好奇心を押さえることが出来なかった。


「その、君の名前、なんて言うのか教えてもらえないか?」


 この質問をしなければならなかった。結果が聞きたかった。もしかしたら、彼女は紫闇の十年間求めた少女なのかもしれないから。


「私の名前? 私は【如月 風音(キサラギ カザネ)】だよぉ。君も失礼な人だなぁ。まずは自分から名乗るのが礼儀ってものじゃないのぉ」


 少々むすっとした顔をしながら名乗ってくれた名前は一致していた。

 過去、出会ったときからさらに女らしくなった風音。

 嬉しかった。涙が出そうなほどに。そして、名を名乗って名乗らないわけにはいかないので自分も名乗り返した。自分のことを覚えていてくれるだろうかという、若干の期待を込めて。


「あぁ、ごめん。俺は、神無月紫闇っていうんだ」

「えぇえええ! もしかして、隣に住んでたシアン君?」


 この一言で思い出される懐かしい声、風音の旋律。


(あぁ、やっと会えたんだ……こんなに綺麗に……うぅ)


 覚えていてくれたそれだけで心は泣きそうだが、それでも気丈を装い、聞きたかったことを聞く。


「なぁお前は引っ越したんだよな。親父から聞いたけど本当のことなのかよ」


 風音は頷き、懐かしむようで悲しそうな顔をした。


「……うん。お父さんが何かから逃げるように急に引っ越すって言い出して。駄々をこねた私を無理やり車に乗せてさ。初めてシアン君みたいに仲の良い友だちが出来たのに……」


 遠い昔を懺悔しているような顔だった。


「……そうか、俺もお別れ、言えなかったからさ。それに、お前……」


(お前に好きだって言えなかった……。なんて言えるか馬鹿!)


「……お前? 急に話し止めちゃってどうしたの。続きが気になるよぉ」

「あ、ああ、お前じゃなくて風音って呼んでいいのかなと思ってさ」

「なぁんだぁ、うん。いいよぉ。じゃあ私もシアン君って呼んでいいかなぁ? とか言ってさっき呼んじゃったけどねぇ。へへへ」

「ははは、ああ。じゃあ風音、久しぶりだな。また会えて嬉しいよ」

「うん。久しぶりシアン君。私も嬉しいよ」


 懐かしさと愛しさ、嬉しさが心を満たした。どれほど待ち望んだのかも判らない。あぁ、それはおそらく別れた時まで遡るのだろう。

 二人に満面の笑顔が灯った。そして、春華と行った海で見たような、沢山の星々がこの出会いを祝福しているかのように輝いていた。


「ねぇ、シアン君はどうやってここに来たの?」


 そしてこの疑問は当然の如く生まれた。


「俺は、親父の実験に巻き込まれたってことになるのかな」


 言って改めて納得する。成功した実験、その成果。風音との出会いは父のお陰と言えるが……。その反動に世界を移動してしまった。未だたいした実感は沸いていないが、それでも風音が放ったあの“技”は人間の出来るものではないと思った。


「おじさんの実験? そうなんだぁ。私とは違うんだねぇ」

「風音は、どうしてこっちにきたんだ?」

「うんとね、引越しの車の中で嫌だイヤだぁってぐずってたんだよ。それで泣いて泣いて、疲れて寝ちゃったんだねぇ、きっと。他人事みたいだけど気づいたらこのコンシラーの森にいたんだぁ」 


 過去を振り返る。もう思い出すことも無いと思った、始まりの場所を。


「そっか、なんか複雑だな……」

「ううん、あんな両親嫌いだったから。今じゃあこっちの生活の方が楽しいよ。それに、ほら。シアン君もやっとこっちに来てくれたしねぇ」


 正面を見つめられ、照れる紫闇。


「って、何をいきなり言ってんだよ」

「ふぇ? 思ったことを口にしただけだよぉ?」

「あぁそうかよ。まぁいいや。あのさ気になることあるんだけど聞いてもいいかな?」

「うん、なぁに?」

「とりあえずそれ刀だよな? しかも、なんかカマイタチ風味な力であの熊みたいなの切っ……」

「クマンタ! この美味しそうなのはクマンタだよぉ」


 切り刻んだ肉片を指差しながら話の腰を折る。


「あぁじゃあそのクマンタ。クマンタを切った力は何なんだよ。どうみても人間技じゃないぞ」


 若干の警戒と興味が心の中を渦巻きながら問いかけた。


「え~とねぇ最初が風月閃で、最後が魔空閃だねぇ」

「そうか…………じゃなくてだな。何でそんなことが出来るのかということを聞きたいんだが」


 少しやけになってきた紫闇。


「あ、そっかぁ。うんとねぇこの世界には精霊さんがいるんだよ。へへへ、凄いでしょ」

「はぁ?」


 そのような突飛なことを言われて、信じることなど出来るわけがない。だが、確かに風音の放ったものは常軌を逸していたのは事実。信じざるをえないと言えばそうなのだが、心は否定と肯定を繰り返しながら思考を埋めた。


「あ~信じてないなぁ。じゃあねぇ証拠見せてあげるよ。────フウヤさん、赴く場所へと誘いし道を示したまえ───」 


 世界へと呼びかける言葉。それは大気に染み渡り、通り道が如く、行くべき方向へと風が吹き出した。


「さぁ、シアン君行こうよ。っとぉ、ちょっと待ってねぇクマンタ取って来るからぁ」


 風が凪いでいる。今まで無風だったのにもかかわらず。

 そして、風音はばらばらになったクマンタを非常に楽しそうに腰に結わえ付けていた麻袋に回収している。

 この世界では普通の女性がそんなことをするのだろうかとシアンは考えた。しかし、精霊云々がある時点で普通ではないのだが。

 風上で紫闇が待機していると、回収作業を終えた風音が走り寄ってきた。


「さぁ行こう!」

「って、何処に行くんだよ?」


 紫闇の背中を押しながら風が示し流れている方へと向かう。

 押されるがまま、風の赴くままに移動すると森が途切れて覗いたのは大きな橋。それは木造であり横幅三メートル、長さは裕に百メートルを超えている。

 風音の力の煽りなのか強風で揺れているようだ。下の川との距離、五百メートルはありそうなので落ちたら死ぬのはまず間違いない。


「なぁ、風音。橋、揺れてますが大丈夫なんでしょうか?」


 顔が青くなりながら質問を飛ばす。


「う~ん、怖かったら、私につかまっていいからねぇ」


 真剣なセリフと共に上目遣いに覗き込み、左手を頬に添えてくる。その仕草だけで紫闇の顔が一瞬にして沸騰する。それはそうだろう顔が近い、手が触れている。男なら誰でも赤面必至だろう、しかもトドメとばかりに、長い黒髪が風に靡いているのだから。


「ふつくしい……」


(って俺は何を言っているんだぁ!)


「え、何か言ったぁ?」


 どうやら風のお陰で気づかなかったらしい。ほっと胸を撫で下ろす。


「いや、なんでもないぞ。さぁ渡るか」

「うん、行こう行こう」


 足を踏み出すだけでぐらぐらと橋が盛大に揺れる。渡るにつれ紫闇の顔が徐々に青くなりすぐに限界を感じた。


「やばい……」


 吐き気が胃から競り上がってきたのだ。カウントダウンが開始される。

 残り十秒。


「えぇ! ちょっとちょっとぉ。……じゃあ、あんまり得意じゃないけど、強化の霊術使ってみるからじっとしててね!」


 九、そう言いながら風音は目を閉じる。

 八、風音の身体の回りに空気の渦が纏い始める。

 七、それを受け渡すかのように紫闇に手を翳す。

 六、詠唱が開始される。


「フウヤさん……力を貸して……大いなる風よ……彼の者に力を与えたまえ」


 五、風音に纏っていた渦が紫闇に向かい流れていく。

 四、三半規管を正常に保つ。

 三、揺れに対しては有効なものだ。

 二、ぎりぎりで効果が利いてきた。

 一、吐き気は薄れた。


「っう……だいぶ楽になったよ。ありがとう風音」


 青かった顔は元通りになり、風音も安堵の表情を浮かべる。


「よかったぁ。私あんまり強化系得意じゃないから、失敗したらどうしようかと思ったよぉ。でも成功してよかったぁ」


 胸を撫で下ろす。


「これも精霊の力なのか?」


 もう、信じざるをえない、このような事象が起こる現実を受け入れた。


「うん信じてくれたんだねぇ、えへへ。実は基本的に攻撃専門の霊術しか使えないんでぇす。てへへ。今回は上手くいってよかったよ」

「って、失敗もあったって訳かよ」

「まぁ、いいじゃんかぁ。さぁ渡ろうよ」


 強風は未だ在って橋は揺れているが、先ほどのような吐き気は一切なかったし、むしろ身体の調子がいいような気さえた。そして、風音の恩恵で橋は難なく攻略できた。

 橋を超えると村明かりが夜空を優しく照らしていた。


「さぁ、着いたよぉ。ここが私たちの【白朱(ハクス)の村】だよ」

「って、目的地を言わなかっただろう、なけなしで着いてきたけど、そのまぁ俺も行くところがあったわけじゃないから良いんだけどさ」

「まぁまぁ、なら良いじゃん、ね。さぁ私の家に行こうよぉ。とっても美味しい料理をご馳走するよぉ」


(なに! 風音の家だと……展開が急すぎないか、いやまぁ、いいのか?)


「いや、俺は構わないけど、急に風音の家に行っていいのか?」

「うん、全然問題ないよぉ。お父さん、私にはとっても甘いからねぇ。鍛錬以外は……」

「お父さん? どういうことだ」


 疑問が生まれた。両親がこちらの世界にも存在しているというのだろうか。


「えっとねぇ、私を十年前に拾ってくれた人のことだよ。後で紹介するよ。ささ、行こうよぉ。あ、ちなみに家はアレだよ」


 他の日本家屋と違い二周り以上大きい家に指を向けた。


「でかいな……」


 紫闇の家も他の物と比べて引けを取らないが、武家屋敷というのだろう。また違った風格と大きさを誇っている。


「へへへ、あのねぇ、お父さんはこの村の村長さんになってまぁす。凄いでしょ」

「なるほどな。…………ん、なんだ、あれ」


 武風音の家を眺めていると視界の片隅に、明らかに変なニメートル近い黒い淀みが見えた気がした。今は夜にもかかわらずその闇を越える黒。悪性の塊に見えた。この世界の悪の中心。闇の混沌。


「どうかしたのぉ?」


 風音は気づいていないようだ。紫闇には未だに見えているのにも関わらず。


「風音には見えないか? そこの淀みみたいな……あれ、消えた」


 視線をはずした瞬間だった。その存在は忽然と失せた。

 紫闇の心はそこに鷲づかみにされた。何故だか判らなかったが、アレは必要不可欠なのだと理解した。


「何にも無いよぉ。ぷんぷん、嘘ぉ?」


 紫闇の言ったほうを見る風音だが何もないのを確認すると、頬を膨らませて抗議してきた。


「いや、まぁ、そういうことにしておくか」


 話を切った。そうするしかなかったのだ、自分でアレの存在理由が分からないのだから、どう説明しても納得はされないだろう。


「むぅ、はぐらかした。まぁ良いけどさぁ。さぁ行こう」


 気分を変え、早々と己が家にと向かう風音。

 百メートルほど進むと、目的地に到達する。

 遠距離からでは判らなかった家の詳細が判明する。武家屋敷独特の威厳と広い庭、檜造りの柱、扉は当然引き戸だ。


「お父さん、ただいまぁ!」


 一気に玄関を開け放ち、飛び込むように敷居を跨ぎ元気よく声を飛ばす風音。すると奥の方から男性の声で「おかえりー」と聞こえ、それに合わせるように木の床を踏む独特な音が近づいてきた。


「遅かったじゃないか、心配したぞ。それで今日の獲物は…………誰だい、そちらの青年は?」


 風音に声を掛けながら隣の紫闇の存在に気づいた。

 見た目から判断すると齢四十と測れる。しかしその年齢には見合わない風格、威厳、力。身体には衰えなど無いのだろう。筋肉は全て引き締まり無駄な脂肪など一切無い。そして、若干の白髪交じりの短髪の髪、細身の目鏡を装備している。


「シアン君だよぉ。とりあえず家にあがってもらうけどいいよねぇ」


 勢いに任せて話しかけ、


「む? ああ、構わないが」


 言うが否や、風音は紫闇を引っ張りながら家の中に入る。


「おい、ちょっと! おじゃまします」


 頭を下げながら急いで靴を脱ぎ捨て、風音に手を引かれながら紫闇は辺りを見回す。ここにはどこか温かみがあった。紫闇の家には存在しない優しい温度が。

 そして、畳の張られた居間に通された。


「ここで待っててくれるかなぁ? クマンタ、料理してくるからちょっと待っててねぇ」


 風音が奥へと消えるのと入れ替わりに先程の男性が現れた。


「風音のあんなにはしゃいでいる姿を見るのはいつ以来かな、ふふふ。おっと、自己紹介がまだだったね。私の名前は、【天弧 一城(テンコ カズシロ)】という。まぁ皆は私をシロと呼ぶ。君もそう呼んでくれて構わないよ。まぁ、立ち話もなんだ座りなさい」


 言いながら先に胡坐をかく。


「あっはい、俺の名前は神無月紫闇と言います。すみません唐突にお邪魔してしまって」


 挨拶と自己紹介を含め、シロ同様紫闇も胡坐で座った。


「構わないさ、まぁゆっくりしていきなさい。ところでだ、私の村の住人でもない君はどこから来たのかな?」


 返す言葉が思い浮かばない、風音のときのようにストレートに言うことは憚られ、結果言い淀む。


「あの……え~と」

「君はこの世界の人間じゃないとお見受けするが、どうかな?」


 確信の一言をこの男は放ってきた。


「どうして……?」

「そうさな、強いて言えば雰囲気か、風音と初めて会ったときに感じたものを君は持っている、そんなところさ。まぁ、確信は無かったんだがね、ははは」

「そうですか……そのシロさんは驚かないんですね」


 一瞬目を伏せシロに問いかける。


「いやいや、これでも十分に驚いているよ。風音のような人間がまた現れるとは思っていなかったからね」


 奥で物音がしている。何かを叩き割るような、何かを炙るような、そして風が流れてくる。


「あの、一つ気になったこと聞いていいですか?」

「む? なんだね」

「風音は料理できるんですか?」


 真剣な話だと思っていたシロは拍子抜けした。


「ふふふ、ああ出来る。まったく、誰に似たのか上手くてね。私など手出しすると怒られる始末だよ」


 ほんの少し遠い目をしながら微笑み、おもむろに胸から煙草を取り出した。


「吸っても大丈夫かな? 風音の前だと怒られるものでね」

「ええ、ぜんぜん構わないですよ?」

「そうかそれは行幸だ。あとは火だな」


 シロが一瞬目を閉じる。何か暖かい気配を感じると、いつの間にかシロの人差し指には小さな火が燈っていてタバコに火を点けた。


「あのそれは、精霊の力なんですよね?

「……ふぅ、そうだよ。風音から聴かなかったかい?」

「えぇ、ほんの少しだけ。実際、なかなか信じることは出来ませんでしたけど、風音が色々人間離れしたもの見せてくれたんで、今は存在を認めてます」

「なるほど、まぁこの世界というものは精霊の力に頼っている部分は多い。勿論場所によっては近代の力を結集した所もあるが、この村はそういった物から離れているんだ。自然に近い場所と言えるか」

「自然ですか」

「あぁ、ここは私が作った村でね、色々問題を抱えた人間も皆平等に生活できるように配慮しているんだ。まぁだからこそなのだろうね、紫闇君や風音のような人間ですらこの村に集まるんだろう

「そうなんですかね? あ、そろそろ煙を換気したほうが良くないですか? 風音が怒るんじゃ」

「む、確かにね。ならば──」


 と、シロは懐から緑色の石を取り出した。


「紫闇君これを握って風を想像してごらん。そうさな、外に向ける感じかな」


 手渡される石。何かの力を感じる。紫闇には判断できない力。そして、言われた通りイメージをした。すると、


「おわぁ! 何だこれ」


 その石から、風が溢れ出し流れを作り、停滞していた白い煙を外へと流した。


「ははは、いい反応だ。驚いてくれて何よりだ。これは風の力を封印したものでね【風霊石(フウレイセキ)】というんだ。生活の役にたったりするんだよ。風呂上りに風を起こしててくれたり洗濯物を早く乾かしてくれたりとね」

「なるほど、風の力。──フウヤですかね?」


 風音がそう口走っていたのをふと思い出したのだ。


「あぁ、そのとおりだよ。驚いたね、まさか精霊の名前を知っているとは。補足すれば他にも火のカレン、水のスイレン、地のチシャがいる。後は二対の光と闇の精霊、ゲッカとアンリだ。まぁ全てが石に封印されているのではなくあちこちにいるんだ。感じることが出来る人間なら複数の精霊を感じることも出来る。その力を利用することすら可能だ。先程見せた私の力は、カレンの一端を借りて炎を顕現したんだよ」

「へぇ、精霊って沢山いるんですね。他に居たりしないんですか、こう複合して新たな力を生み出すみたいな」


(ゲームだとあるよなそういう感じの設定)


「ほう、それは例外中の例外だ。しかし、そういう人種も居る。言ってしまえば精霊は無限だ。人の数だけ居てもおかしくは無い。まぁ感じることの出来ない人間も数多くいるんだがね」

「そうなんですか、てっきりこっちの人間は皆そういう力を持っているのかと思いましたよ」

「そうだったら良かったんだがね。まぁ基本的にはこの日本に存在している人間が精霊を感じることが出来た。他の国の連中は出来なかった。それが、良くなかったんだ」


 シロが遠い目をした。


「良くなかった。何でですか。別に普通のことじゃないんですかね。俺の方じゃ当たり前のことだし」

「ふふ、まぁ紫闇君のような人間ばかりなら良かったんだろう。人間は無いものねだりをしてしまうんだよ。欲しいものが在ればそれを手に入れたくなってしまう。欲望は恐ろしい…………。昔ね、戦争が起こったんだ。精霊戦争という名のね」

「精霊戦争……」

「あぁ、この日本の人間を捉え解剖し、その構造を調べるというね。そんなことは無駄だというのに、判らないんだろうね。そうすることで精霊を感じることが出来ると踏んだんだろう。そんなことを許すわけにはいかない。だからこそ日本と影の国は戦ったんだ。まぁもっとも今は落ち着いているけどね。……いや、すまない食事の前の話題ではなかったね」

「いえ、色々と勉強になりましたよ。ありがとうございます」

「はは、それは良かった。いやぁこういう話は男のほうが話しやすいというかね。風音には中々話さないんだ」 

「そうなんですか、てっきりしてるのかと思いましたよ」

「いやいや、血生臭い話だからね。って、やはりこんなときに話す話題ではないね。む?」


 そして台所から香ばしい匂いが漂ってきた。


「おお、そろそろ出来上がったかな?」


 奥から風音の声が聞こえてくる。


「おとおさぁあん。運ぶの手伝ってぇえ」

「そうみたいですね」


 シロは微笑みを紫闇に投げかけ、


「ふふふ。やれやれ、じゃあ行ってくるかな。まぁ、楽にしていてね」


 言葉と共にゆっくりと立ち上がって台所へと向かっていった。

 紫闇は先程の話から自分が村に来て感じたものを考えた。


「あの感じが、精霊だったのか? 感じることの出来る人間と出来ない人間か、う~ん」


 誰に言うでもなく一人ごちる。

 あの不思議な黒いもの。淀みの様な色をして渦を巻いていた闇。イメージすればアレは悪であり、善くないモノのような気がした。


「おまたせぇ、へへへ。どう、美味しそうでしょ」


 そんな思考を断ち切るように風音が声を掛け、シロが皿を並べて肉料理が現れた。


「へぇ、確かに、腹減ったぜ。……なぁひょっとしてこれさっきのクマンタの肉?」

「正解だよぉ。とっても美味しいから早く食べてよぉ」


 ニコニコと笑顔を振りまきながらはやし立てる。勢いに負け「いただきます」と一言宣言して、クマンタのほうれん草ソテーを口にする。すると、ふわっとした野菜独特の甘みと香りが口の中に広がり、肉の旨味と肉汁が空腹の腹に染み渡った。


「うめぇ! やべぇたまらん。もっと食っていいか?」

「うん、どんどん食べて。おかわりもたっくさん用意したからぁ」

「ふふ、はしゃいでるな風音」


 シロがそんな二人の様子を見て言葉を漏らした。いつもならこのような状況になるはずも無い、紫闇という新たな人間がいるからこそ、喜びを隠さず、笑顔で楽しんでいるのだ。


「いいじゃんかぁ、おとうさんも食べてよぉ。今日はちょっと工夫を凝らしたんだからぁ」

「ほう、ではでは、いただきます。…………ん、これは【彩姫(サキ)】の──」

「へへへ、上手くいったかなぁ?」

「ふふ。あぁなかなか、更に上達したな風音」

「でしょう、この前彩姫さんに教えてもらったんだぁ。折角だから、ためしてみたの」

「そうか──。ほら風音も座って食べなさい。折角のお前の料理が冷めてしまうぞ」

「そうだねぇ、じゃあ私もいただきま……」

「すまない風音、おかわりいいか?」


 風音が手を合わせて食べる瞬間紫闇が宣言してきた。よほど腹が減っていたのだろぅ、一分もしないうちに茶碗に盛られたご飯を平らげていた。


「ふふ、うん。待っててねぇ」

「ははは、紫闇君も食べるじゃないか、男子たるもの沢山食べて大きく、力強くならなくてはね」


 少々恥ずかしい紫闇であった。

 そして予想をはるかに超えた楽しくて美味しい夕食を終えた。

 シロはタバコを吸いに外へ行き、紫闇は眠くなったので風音の案内で客間へ通された。すると、何も言っていないのに布団を慣れた手つきで敷いてくれた。


「何から何まで、すまないな」

「ううん気にしないで。私は嬉しいんだから、このくらいして当然だよぉ」

「嬉しい?」


 思わずその言葉の意味を尋ねると風音は布団を敷き終わったのか紫闇の方を向き、


「うん、……またシアン君に会えたからね」


 そう口にした。

 お互いもう会えないと思っていた。それも風音は世界を超えこのような場所にいた、会える道理は無かった。しかし出会うことが出来た。それ故の言葉だ。


「なに、恥ずかしいこと言ってんだよ」


 目を逸らしながら頬を染める。


「ううん。本当のことだから。とりあえず今日はゆっくり休んでね。おやすみぃ」


 そそくさと風音は踵を返し客間を去っていった。

 紫闇は一人残され、しばし言葉に呆然としていたが、


「まぁ、とりあえず眠いし寝るか」


 と結論を下し、風音の敷いてくれた布団にもぐることにした。

 目蓋を閉じると色々な思考が混ざり始めた。

 世界の移動。初恋の女の子と再開。精霊の話。一度に起こりすぎて処理が追いつかない。だが眠りがそれを整理するだろう。

 しかし、何か忘れていないか……。そう、春華だ。彼女はどうしたのだろう、紫闇のようにこちらの世界に来たのだろうか。

 考えが始まるけれど、それはどうあがいても今の自分ではどうすることも出来ないことなのだ。

 身体は疲れを訴え、強烈な眠気が襲う。それに抗うことは出来ず思考はただ暗く眠りに閉ざされていった。

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