────流れてくる波────
知らない知識が流れてくる。痛い痛い。揺蕩う思考を上塗りして新しいものを作り上げているような感覚。春華という人格は喪失されて、誰か知らない人が出来上がる。
止めて欲しい、奪わないで欲しい、悲鳴を上げたいのにそれも適わない。もう嫌だと否定したい。
しかし、身体の自由は利かない。拘束されているのか、その意思が既に奪われてしまったのか、それは定かではなかった。
目が開く、見えるものはドクターと言われた人間と、白衣を着た人間達。
「どうじゃ、気分は」
「……………………」
答えようとしたが春華は答えられなかった。自分というものが無い。心は冷たく、ただ機械のように。
「ほぉほぉほぉ、すばらしい。答えることが出来ないか。そうじゃな、確か春華と呼ばれていたか。ふむ、ならばスプリングから取ってナンバースプリとでも名づけるかのぅ。どうじゃ洒落とるじゃろう」
春華は身体が人形のようにだらんとしている。傍目に見れば、生きているのかとさえ疑いたくなる。
そして知らず口が開いた。
「スプリ……」
自分が発したとは思えない機械的な声だった。
「む、早い自己回復じゃ、そうじゃ、お前の名はスプリ。ナンバーズに所属することになる。これからは、あのお方のためにせいぜい命を賭して戦うがいい」
理解は出来なかったが、ただ同じ言葉を繰り返した。
「ナンバーズ、命……戦う」
春華の姿は生気を失い、目の瞳孔は開き、光の無い暗い瞳をしている。
身体は拘束されていないが、まだ自分の意思で動かせていないようだ。力を入れるとほんの少し身体が震える程度だ。
「ふむ、まぁなんじゃ、ここにいつまでも置いていても仕方なかろうて、おい連れて行け」
ドクターの掛け声で研究員達は春華を担ぎ上げ、この場から連れ出した。
そして勝手に流れていく景色は何故か見たことがある気がしたのだ。不思議だった、知らないモノを識っているのだから。
この白い廊下、白い施設。いつかの過去に見た記憶がある。しかし、それは自分の物なのだろうか、その思考さえもう刷り込まれ、考えるのが億劫だった。知っていると言う違和感があったが、それもすぐに慣れてしまった。
景色が流れている。それは、今研究員に自分の意思とは関係なく動かされているからなのだろう。
エレベーターに乗り、地下へと連れてこられた。これも、識っていると思わせた。天井は太陽の代わりに白く発光したライトが照らし、地面は人口の芝生がある。子どもが遊ぶような滑り台も存在している。今は誰も使わないようなのに、汚れ一つ存在していない。
気づけば春華は地面に座り、研究員たちは既にいなかった。
ゆっくりとあたりを見渡す、誰もいないと思う。独りだと思う。寒いと思う。思考が少しずつ理解できてきた。認識もうまくいくようになり、自分の状況が把握できた。
身体の機能も言うことを利くようになり、ゆっくりと立ち上がることにした。でも何も考えることが出来なくて、自己と言う過去が無い気がするのだ。自分の身体を見ても実感がわかない。ただ、胸元にある桃の色をした結晶が妙に違和感があった。
邪魔なような気がして、引きちぎろうとしたが、何故か止めてしまった。それは、大切な何か……。そんな思考をしていると、何処からか声が複数聞こえてきた。
「アネさんごめんなさい! いたい、痛いって耳引っ張らないで!」
その声は男のようで、どうも情けなさがにじみ出ていた。
「ミスターウザイ!」
ウザイと声を高らかに張りながら、遠くの扉から春華の元に近づいてきた。当然言葉のとおり、男の耳を盛大に引っ張りながら。しかも耳元で気の強そうな女性が、ウザイを連呼していた。
さらに後ろには三人の女性がいつものことだからと、止めるようなことはせず成り行きを見守っていた。表情には笑顔さえ浮かんでいた。学生のようなイメージが覗え、年は皆近いと感じた。
観察していると春華のことに気づいたらしく、向こうもこちらを視界にいれ挨拶がてら名を名乗ってきた。
「聞いてるよ。貴女が新しい子のスプリさんでしょ。よろしくね。あたしはナンバーズのルナだよ。本名もあるけど、みんな今はコードネームで呼ぶのが基本だからさ。ごめんね」
ルナと称した女性は人懐っこい表情で言葉を並べた
髪を白銀で染め肩口にて綺麗に揃えられている。前髪も同様に目を隠さないよう同様に揃えてある。ただ、目を奪われたのは美しさとは正反対のもの。左の腕全体に切り傷、火傷のような、まるで作られた複雑な模様のようなものが見受けられた。
「ぁ…………」
春華は何と返答したらいいのか分からず、言葉が浮かばなかった。ただ口から声にならない音だけが漏れた。
それから先ほど耳を引っ張られていた唯一の男性が、そんな春華の目の前で手を差し伸べてきた。身長は百七十ほどだろうか、茶色のさらさらの髪、優しそうな表情でさわやかだ。細身だけれど筋肉が程よくついている。
「よろしく。俺はミスター。この中で一番まともだから仲良く……へぶち!」
「だから、相変わらずうぜぇよミスター!」
ミスターが手を差し出したのにあわせ、顔面に拳を飛ばすのは、背が小さくて同様に胸も小さい女性。金色の髪をばらばらに切ったショートカット、身体に似合わぬ鉄拳でミスターを殴り飛ばしている。その体格で男を飛ばすほどの力が何処にあるのか疑いたくなった。
当のミスターは一回転して地面に横たわった。大丈夫だろうか。
「ったくよ、ウザイウザイ。あぁスプリだっけ? オレはワイバーン、趣味はミスターをいじることだから。よろしく」
ミスターへの対応とはずいぶん違い、春華にはちゃんと笑顔で挨拶をしてくれた。その表情は年相応に可愛らしく、やはり殴り飛ばすような人には見えない。
「はぁ、貴女たちはいつも喧嘩ばっかりして、仲裁に入る私やルナの身にもなって欲しいのです。にしてもスプリさん、いきなりこんな私たちを見て驚きましたよね。すみません。これからは一緒に行動することになりますから、一応慣れくださいね。私はこのナンバーズの司令塔をしています。バスターと、覚えておいてください」
深々と礼をしながら、バスターと名乗った女性はすこし年上な雰囲気を伺わせた。礼をしたことによって腰を過ぎるあたりまである群青の髪を、はらはらと地面すれすれまで近づけていた。背も春華より少しあるようだ。胸は、春華ほどではないにしろ中々に大きい。
「あの、わたし……フェニックスだから」
バスターの背後に隠れていたフェニックスがそう一言漏らし、傷だらけの手足を晒し、人見知りをするのか、目が合うとすぐさま目をそらせた。
彼女は傷だらけなのだが、すべて完治しているらしく。青いアザのようなものだけが皮膚に色づいているのが見て取れた。小さい身体で、短い緑の髪、それでいて、白い全身。だが、一瞬春華を見た瞳は緋色をしていた。
全員を眺める春華だが、それは全て知らない他人。この刷り込まれた知識の中には存在していなかった。
「…………ルナ、ミスター、ワイバーン、バスター、フェニックス…………判った」
故に、名乗った順番どおりに口にし、改めて認識した。知識として判別し、情報を解析し、理解する。
「へぇ、物覚えいいじゃん、オレなんか、最初全然覚えられなかったのにすげぇな」
感心しながら春華のほうに近づき、ふと目に留まったローズクォーツのネックレスに興味を示した。
「ん……スプリ、洒落てるの着けてるじゃん見せてくれよ」
ワイバーンは、春華の胸元についている宝石に手を伸ばそうとして、
「嫌!」
今までの春華からは考えられない速度で、その伸ばしてきた手を払いのけられた。周囲には手と手が触れあい弾き合う破裂音が響いた。その行動は皆意外だったのか目を丸くしたが、当人のワイバーンは苛立ちを募らせた。
「あぁ、何すんだよ!」
「ちょっと、アネさん!」
すかさずミスターが止めに入るが、ウザイの一言で一蹴される。だが、バスターとルナが次いで言い包めようとした。
「やめなさい。スプリさんにだって、大切なモノもあるでしょう。それに無断で触ろうとした貴女に非があります。謝りなさい」
「あんでさ! それに無断じゃないだろ!」
バスターの一言で更に怒りを募らせるワイバーン。
「あのさ、見せてくれよと言いながら既に触れようとしてて、相手の意思を聞いてからじゃなかったじゃんか。それに、大事なものを急に他人に触られたら嫌じゃない? 例えばあたしたちがミスターを弄ったらいやでしょ? それと一緒だよ」
ルナに言われたことを一瞬考えると、確かにとワイバーンはうなずき、春華へと謝った。
「その、ごめん」
ワイバーンの素直な一面を見て、春華は意外だった。思ったよりも我が強いわけではないのだと理解した。
そして自身の行動の理由もよく分からなかった。あのように拒絶をするようにこの宝石は大切なのだろうか、それは知らない。ただ、触って欲しくなかったと無意識が告げたのだ。
「スプリさん、こうやってこの子も謝っていますから、どうか許していただけませんか」
非常に申し訳なさそうに、バスターが言ってくる。この子が無礼なのはいつものことなんです、と一言後付た。その言葉にワイバーンが反応しそうになるが、繰り返しになると分かったのか表情には出したが、ムッとするだけで反論はしなかった。
「あ…………気に、してない」
感情を捨てた、事務的で機械的な声で返した。
皆もそれで安堵した。出会って早々トラブルでは、この先続かないと思ったからだ。もっとも、この五人は出会って早々トラブルだったのだが。だからこそ、同じ過ちは繰り返さないように努力したのだろう。結果はちゃんと実ったようだ。もっともいつもきっかけを作るのは決まってワイバーンなのだが。
「君の力ってどういうものなの? 俺たちもみんな特殊なモノ持ってるけど、これから一緒に任務をするんだから、一応知りたいな」
と、ミスターがスプリに切り出した。
問われたことを考えると、何かが見えた気がした。
刷り込まれた記憶を強制的に再生され、頭痛と共に現れた力。それは、とてもとても冷たいイメージ。触れてしまうものを瞬時に氷結させてしまうだろう、絶対零度の力。見える世界を白銀に変え、氷結させ全てを崩落させる。
誰かと戦った。誰かと一緒にいた。誰かは複数いて、嫌な気持ちにさせる人と、安心して一緒にいたい人がいた。
鏡が見える。そこに映ったのは知らなくて、紅い、銀色の他人。
頭痛が激しく────最後に視えたのは自分を何処かに固められる瞬間だった。
春華を見ていた全員が警戒の意思を見出した。
春華の身体から尋常ならざる霊気が放たれ、同様に全てを氷結させるかの如く吹雪が巻き起こる、一瞬にして視界はホワイトアウトする。
誰かが声を放ったが、春華は聞こえない。今自身に起こっていることも把握できていないのだから。
過去が溢れる。今を構成している知らない出来事。それは嘘。もう既に、春華は識っている。刷り込まれた事実として。
白の世界。動揺している人間たち。さらに、放った雪原の力は、一つ一メートル以上ある氷柱の刃を周囲に複数展開させ五人に向かって放たれた。
死角からの一斉射、回避することは出来ない速度。
後に残るのは、串刺しにされた人だった物の残骸のみだろう。想像すれば紅い飛沫が飛び散り、雪原に赤い血溜まりが人間の数だけ現れる。
春華は頭痛がするなか、そんな光景を思い浮かべ、何故か笑いがこみ上げた。嫌悪することのはずなのに、それが楽しく見えるように過去を刷り込まれたのだ。
想像の出来事が実際に起こった。
空中に停滞した氷の刃が標的に向かって突き刺さり地面に貫通した。
だが、
「危ないですよスプリさん、力を制御できないのは困りものです」
唐突に頭痛から解放されれば、誰一人死んでいなかった。しかも、雪原は消失していた。
それでもその出来事は嘘ではなく、地面には穴が無数に開いていた。
声の主はバスターで、回避できるはずの無い氷結の雨を掻い潜り、春華の後ろに立っていた。他の皆も同様だった。しかし、一人違うのはミスターで、ミスターは春華の肩に手を触れていた。
「でも凄いね、あたしたちより総合の力は上だと思うよ」
ルナが冷静に春華の力を計測しそんな言葉をもらした。
「そうですか。それは凄いです。私たちナンバーズを超えるなんて、ちょっとした生きる戦争ですよ」
生きる戦争。つまり戦争を起こせるような力を春華は手にしたのだとバスターは言ったのだ。その言葉から判るように、この人たちも同様にそれほどの力を有しているということだ。
「確かに、オレも驚いたけど、一体何処からこんなの連れてきたんだ? ドクターも隠し玉持ちすぎじゃないか」
ワイバーンの懸念は間違いではなかった。軍以外の連中でこれほどの力を有しているというのは考え辛かったからだ。
「そうですね。ちょっと異常です。ひょっとして、宝石に何らかの力があるのでしょうか」
そう言いながら改めて、スプリの胸元に目をやるバスター。そこに力があるのだろうかと気配を探ってみるがそのようなものは一切感知できなかった。むしろ、春華自身に霊力を感じない。それはおかしなことだと思うが、例外はここに沢山存在しているので特に今は気にしても仕方ないのだと割り切った。
春華はバスターの問い掛けには答えることが出来なかった。むしろバスターは問いかけたつもりは無くただ口にしただけだったが、それでも回答を提示してくれるならばそれに越したこと無かった。だが、春華はそれに付随する答えを持っていない。ただ判ったのはこの人たちは春華以上に異常だということだった。
触れていたミスターが手を離した。すると春華の身体から急に力が抜け落ちた。
「……あ、れ」
急に全ての力が消えていくような喪失感が身体を満たした。力が入らず大地にぺたんと座り込んだ。そして、目蓋も抗うことが出来ず落ちてきて、意識すらも抜け落ちた。
「ミスターうざすぎ、もう少し手を抜きなよ」
鋭い目で睨みつけ、ミスターはバツの悪い顔をした。
「アネさん……ごめんなさい。でも……」
自分でしたことだが、確かに力を制御できないのは考え物だった。
「仕方なかったと、思います。……ワイバーン、あんまりミスターを攻めないで」
緋色の瞳をうつむかせながら控えめに抗議に出た。
「そうだよフェニックスの言うとおり、流石にああしないと、ちょっとこの施設なくなりかねなかったしね。状況判断は的確だったと思う」
ルナがそう判断すれば誰しもが納得した。それが、いつもの仕事である。最終的な判断を下すのは司令塔のバスターであるが、状況を捉えるのに特化しているのはルナの力が大きいからだ。
「さて、今日はもう遅くなってきましたね。スプリさんをお部屋に運んで、私たちも解散にしましょう。また明日も訓練が待っていますし。予定ではそろそろ実戦も組まれているらしいです」
「え、そうなんだ。ちょっとドキドキ…………げぁせえヴぁあああ!」
ミスターが口にしたとき彼が豹変した。言葉は判らず、むしろ言葉というより喉から漏れる異音を放った。
「やっぱりウザイ、ルナ薬を出してやんなよ」
ワイバーンがそういうと、服の袖から一センチほどのカプセルを取り出し、異音を出しているミスターの口に放り込んだ。飲み込み、暫く経つと自己嫌悪しながら、ミスターは大人しくなり平常を取り戻した。
「ミスター、薬の服用は忘れてはいけませんよ。私たちがいなかったら、あなただってこの施設を壊しかねないのですから」
バスターが駄目出しした。
「……ごめんなさい」
ミスターがしゅんとしながら謝り、ルナが、今日の終わりを告げる。
「さて、まぁ今日はここまでにしようよ。さっきバスターも言ったけど、明日も訓練あるし実戦も控えてるならなお更ね。それになによりお腹空いたしさぁ」
「そうだな。ならこのスプリって奴を運ぶか。おいウザイミスター早く運べ。こういうのは男がやるもんだろ」
そうワイバーンが言うとしぶしぶミスターも春華を背負い、皆自室へと歩みを進めた。




