第六話 合宿にはハプニングが付きものだと言っても過言ではないのだ(part6)
「ふん……ぬぅ……むぅん……ぬわぁ……あぁ?」
湊は間の抜けた声を出しながら目を覚ました。
まず視界に入ったのは、いつもと異なる光景――汚れた天井。
それを見て、湊は思いだす。
(……ああ、そう言えば先輩と合宿に来てたんだ)
湊の耳には、外からは自然の中を飛び回っているであろう鳥のさえずりが聞こえた。
車や人の騒音溢れる都会の喧騒の中においては、聞くことのできない癒しの音色である。
自分の状況を思い出した湊は、その隣の布団で眠っている拓人の様子を見ようと、少しドキドキしながら視線を真横に移す。
「――あぇ?」
しかしながら。
いつもと異なる光景どころかどういう状況なのか分からない光景を目の当たりにして、阿保な声を絞り出すように漏らす。
湊は慌てるようにして目を擦って、もう一度、改めて、心機一転注意深く確認する。
「…………」
それでも何の変化がない。
何の変化も起こった様子が覗うことが出来なかった。
これは夢なのか?と思い、今度は自分の頬を思いっきりぶっ叩いてみる。
(バチッ!)
「痛っ!?痛い!超痛い!」
鏡を見ずとも、頬が赤くなっているだろうと分かる程の痛み。
夢が覚めるどころか、普通に目が覚めてしまった。
「痛かった……あぁ、涙出てきたぁ、ぐすっ」
弱弱しい声を漏らし、湊は目元を拭う。
しかしながら、涙は拭きとれたものの目の前の光景までは拭きとることが出来なかった湊。
置かれている状況に一切の変化はなく、『それ』を現実なのだと認めるしか湊の取ることが出来る方法はなかった――
「じゃあ……えっ?……誰?」
拓人と謎の女性が、一つの布団で寝ていると言う、湊からすれば怒りや疑念、悲しみ、そして――殺意が湧き出る光景を――
*****
「橘香織よ。よろしく」
時刻は午前七時。
短く、端的に、湊の目の前の女性は言った。
拓人と湊が宿泊していた部屋の座卓越しに向かい合う二人――法月湊と橘香織。
透き通るような涼しい声でそう言い湊に握手を求めたのは、湊の一歳年上とは思えない程、妖艶で、近寄りがたい程美しい『大人の女性』――香織だった。
長い黒髪は寝起きにもかかわらず寝ぐせ一つなく、すっぴんの肌にも一点の曇りもない。
目は、当たり前と言わんばかりに二重でぱっちりとしている。
鼻もまるで、『世界の屋根』と呼ばれるエベレストのごとく筋が通り、高い。
誰がどう見ても――非の打ちどころがない程の美人。
そして、これが湊と香織の、初めての邂逅だった。
「――ふんっ!」
香織の体中――隅々まで隈なく、舐めるように見た湊は、文句を付けることが出来ずに何とも言えないいらだちを抱えて、それが沸点を超えそうになっていた。
「どーも!法月湊です!」
自棄になりながらも香織の握手に応じる湊。
全てのスペックで敗北した負け惜しみとばかりに、湊は握力の限りを尽くして香織の手を握った。
「――っ!」
今まで涼しい顔をしていた香織も、突然のことに眉間にしわを寄せる。
しかしすぐに平静さを取り戻す。
「……あら?何か言いたいことでもあるのかしら?言いたいことは口に出さないと伝わらないわよ?」
手の苦痛にしばしば顔を歪めながらも、余裕の表情を無理にでも作り上げて、すぐに握る手に握力を込める香織。
今度は湊の顔にしわが寄る。
「ふぉっつぅー!……何でもありませんよ、橘先輩?」
表情を崩しながらも、平静を保とうと努力をする二人。
傍から見れば滑稽極まりない光景である。
「ぬ――っ!!」
「ほ――ぁ!!」
「ふっ――っ!!」
「くっ――っ!!」
馬鹿馬鹿しいこと極まりなかった。
そんな中、先に口火を切って攻撃――いや、口撃を仕掛けたのは湊だった。
「――そ、それよりも、どうしたんですか?どこか痛いんですか?」
何故か、先に痛がったら負けというルールになっているこの状況。
湊はひくひくと頬を震えさせながら、香織に言い放つ。
しかし、香織も負けてはいなかった。
「昨日の夜は疲れちゃったからかしらね。……腰が痛いわ」
と、余裕の表情――もちろん作りものの――で言った香織の言葉を、湊は、
「つ、『突かれた』!?」
「……あなた、意外とぶっ飛んだ人だったのね。朝からどんな勘違いをしているのかしら。『突かれた』じゃなくて『疲れた』よ」
エロい意味と勘違いしてしまった湊は、瞬時に頬を赤く染めた。
そして慌てて弁解する。
「なっ――!し、知ってましたよ!?私は『疲れた!?』って聞き返しただけですから!何か問題でも!?」
「……問題と言うか、いい加減離してくれないかしら。女同士で手が滑る程握り合っている趣味はないの」
焦る湊を見て、逆に落ち着いた香織が冷静に言った。
「こ――のっ……ふんっ!言われなくても離すところでしたよ!」
行き場のない感情を押し殺し、そう言って湊は手を振りほどいた。
しかし、勢い余って湊の手は座卓にぶつかり鈍い音を奏でた。
「――っつ!!べ、別に痛くありませんから!痛くありませんからあああ!」
「何も言ってないじゃない」
香織は、可哀そうな子を見るような目で湊の咆哮を切って捨てる。
そして呆れて、ため息をついた。
さすがに湊も、香織のそんな様子を見て若干の落ち着きを取り戻す。
「そ、それで!?橘先輩はどうしてここに?と言うかどうして霧島先輩と同じ布団で寝ていたんですか!?『行かない』って言ったんじゃなかったんですか!?」
ようやく湊は、聞きたかった本題を香織に振った。
その問いに対して、香織は即答する。
「あら、私は来ないなんて一言も言っていないわよ?」
「そんなはずはありません!霧島先輩が昨日言ってました!」
「私が拓人に言ったのは、『当日は行けない』ってことよ」
香織はそう、きっぱりと言った。
そこまで強く言われてしまえば、湊も少し糾弾を弱めてしまう。
湊は昨日の間の、拓人との会話を遡って思い出す。
旅館までの車内。
盛岡までの新幹線。
東京駅までの電車内。
そして、駅での待ち合わせ――
――『結局香織も『当日は行けない』って言ってたから』――
「…………あ」
「理解したかしら?別に私は『行かない』とは言っていないのよ。一言もね。だから来たのよ」
胸を張って、堂々と言う香織。
しかし初めに強気に出てしまった湊は、このままでは引き下がれない。
「へ、屁理屈!」
「あなたが勝手に勘違いしただけでしょう、法月さん。それなのに私が悪いみたいに言わないで頂戴」
「くぅ――っ!で、でも!だからって霧島先輩と同じ布団で寝るなんて……お、おかしいと思います!」
「同じ部屋で二人きりで寝ようとしていたあなたに言われたくないわね。第一、『同じ部屋で寝ること』と『同じ布団で寝ること』はそこまで大差がないのではないかしら?ましてや、私と拓人は、あなたと違って赤の他人ではないのだし――所謂幼馴染と言う関係よ」
「お、幼馴染だからって、それは――」
「私達、同じ布団で寝ること、別に初めてという訳ではないのよ?今まで過去に何回も一緒に寝てきたの。だから今更になって離れて寝ることもないでしょう?」
「でも――」
「そもそもよ。――私があなたに文句を付けられる筋合いはないのではないかしら?」
「…………」
完全に言い負かされてしまった湊。
にやりと笑って香織は言う。
「ぐうの音も出ないようね」
「ぐう」
「……そう言うこと言うのは小学生だけだと思っていたわ」
信じられないものを見たと言うような、冷たい目で湊を見つめる香織。
流石に少し恥ずかしくなったのか、湊の頬がピンクに染まった。
「――橘先輩」
突然。
そんな湊が、ふざけた空気を振り払うように真剣な表情になる。
「なによ、改まっちゃって」
香織は湊の纏う空気が変わったことに気が付き、香織自身も少し身構え心持ちを改める。
湊は、一瞬言おうかどうか躊躇いを見せたが、すうっと息を吸ってその勢いに乗せて言った。
「鏑木先輩が言っていたんですが……先輩は、霧島先輩のこと、好きなんですか?」
「好きよ」
『打てば響く』――そんなタイミングで、堂々と胸を張って答える香織。
優希から事前に訊いて知っていたとはいえ、情報と知っているのと直接知るのとでは、全く違った。
湊の心は大きくざわついた。
しかし、それを押しとどめ続けて質問する。
「……どうして、霧島先輩のことが好きなんですか?」
湊自身、昨日答えの出たばかりの質問。
香織がどう思っているのか、気になっていた。
「別に理由なんてないわ。ただ、強いてあげるならば――」
「……あげるならば?」
湊は、続きを促す。
しかし、湊にはなんとなく、香織の先の言葉が分かるような気がした。
それは湊が『拓人と一緒にいたい』から分かること。
そして香織は、湊が予想したその通りの答えを、口から紡ぎ出す。
「――一緒に居て居心地が良いからかしら」
「居心地……」
『やっぱりか』
湊はそう思った。
「他の人と一緒に居ても、拓人と一緒に居る時のような気持ちにはなれたことがないわ。今まで――そして多分、これからも」
自信を持って言う香織を、湊は羨ましく感じた。
そして考える。
自分は――今は拓人といることが楽しいが、それ以降のことを自信を持って――香織と同じように宣言できるだろうか、と。
「そう、ですか……」
考えがまとまらず、ひとまず返事をする湊。
そんな湊の様子を見て、
「どうして突然そんな事を聞いたのかしら。その理由を聞いても良いわよね」
『私だけ話すのは不公平だし』と言う香織。
湊は再び考えに耽る。
(将来……?分からない。先のことなんて、分かるわけがない。でも、今は――)
心の中で吹き荒れる、抽象的な気持ちの渦の中から、湊は今の気持ちを言葉にする。
「……私は――私が霧島先輩のことが好きだからです」
これだけは――今の湊にとって、これだけは絶対的な気持ちだった。
揺るぎようのない、自信を持って言える、今の気持ち。
そんな湊の宣言を聞いた香織は、驚きもせずに、
「……まあ、さっきのやりとりで分かり切っていたことだけれどね。いいんじゃない?頑張りなさい」
湊の、拓人に対する恋心を応援した。
さすがにこの展開は予想できなかった湊は、面食らったような表情で、
「え?……怒らないんですか?」
と、香織に恐る恐る尋ねる。
「何故?どうして私が怒らなければいけないの?」
「だって……橘先輩は、ずっと霧島先輩のことが好きだったんですよね?」
「そうよ」
「だったら、後からしゃしゃり出てきた私は、その……自分で言うのもアレですけど、目障りで、『私の方が先に好きになったんだから消えろ!』とか思ったりしないんですか?」
「そう言う気持ちが一切ないとは言えないけれど……まあ、思わないし、言わないわ」
「どうしてですか?」
湊は、香織の動向を何一つ見落とすまいと、ジッと見つめて尋ねた。
香織は湊に質問で返す。
「『好き』って思う気持ちは良いことだと思う?悪いことだと思う?」
「え?……私は、良いことだと思います、け、ど……」
湊は質問の意図が分からずに、答えが尻すぼみになってしまう。
しかし香織は話を続ける。
「そうね。――私は、そんな『好き』って気持ちが、時期や状況によって悪いことに捉えられるって思いたくないのよ」
「…………」
「先にその人のことを好きになった人がいるから、後からその人を好きだと思うことはいけない――『好き』と言う気持ちは変わりないのに、その人を好きになる時期が遅かっただけで、その気持ちが『悪』になってしまうって、どう?おかしいでしょう?だから私は、あなたに怒りをぶつけない。感情をぶつけない」
『分かったかしら』と、ここに来て初めて、湊は香織の優しい自然な表情を見た――ような気がした。
そして、湊の口からは、
「……分かりました。ありがとうございます」
自然と感謝の言葉がこぼれ出た。
「……私、橘先輩のこと、色眼鏡で見ていたかもしれません」
「と言うと?どういうことかしら」
「美人で、頭が良くて――そんな人の性格が良いわけがないじゃないですか、普通。なので、橘先輩ってきっと、性格がブスで、世の中を舐めきっているような考え方の持ち主で、男の人からの貢物を売って豪遊生活をしている尻軽女で、思い通りにならないとヒステリーを起こしてぶっ!」
香織は湊の口を強力な握力で塞いだ。
それと同時に、ここまでの、真面目で、真剣な空気は雪崩のように崩れ落ちた。
「それ以上言ったら、幾ら今日が初対面の可愛い後輩と言えど罵詈雑言の限りを尽くして精神科に通院する程虐めるわよ?」
そう言って、そっと湊の口元から手を話す香織。
香織の湊に向ける視線には冷気が帯びていた。
それを感じ取った湊は、
「……ら、らじゃー」
そう返すのが精一杯だった。
「それと」
そう言って香織は、次の瞬間湊の頭を鷲掴みにして、左右に大きく揺さぶる。
「『色眼鏡で見ていたかもしれません』の『かもしれません』を撤回しなさい。あなたは私のことを色眼鏡――それも頭が青髪のセレブぶってるババアがしてるくらいの色眼鏡で『見ていた』のよ?分かったかしら?」
「て、撤回します撤回します!そして私は撤収したい!先輩の手からああぁ!」
湊がそう叫ぶと、
「ふん、豚が」
短く吐き捨て、手を話す香織。
(く、口悪っ!『豚』の前に『メス』くらい付けてくれても良いのに!いや、付けたところで貶されていることに変わりはないし私も喜んだりはしないけどさぁ!?)
湊が心の中でそう一人ごちていると、
「何よ、その眼は」
湊の些細な視線の変化に気付いた香織が、ギロリと睨む。
「な、何でもありません!」
(なによ、霧島先輩!『変わってる』どころか『イカれてる』じゃん、この女はっ!……それとも霧島先輩の前では猫被ってるとか?いや、そりゃそうか。こんな暴言、好きな人には吐かないか)
と。
ここで、朝から目を覚ますための温泉に行っていた拓人が、のん気に、
「ただいまー。いやいや、さっぱりしたよ。朝から源泉かけ流しの温泉って言うのも乙だよね」
などと言いながら部屋に帰って来た。
そして湊は、香織がどんな反応をするのか注意深く見守る。
湊が聞く、香織から拓人への第一声は――
「うるさいわよ、ゴミ。随分と言いご身分ね、朝から温泉なんてのん気に浸かっちゃって。温泉に入ったところでその腐敗臭は消えないわよ、あなた自身が死なない限り」
「…………」
湊の想像をはるかに絶するものだった。
好きな人にかける言葉どころか、嫌いな人にかける言葉をも逸脱している暴言に、湊は身体を固めてしまう。
しかし一方の拓人は、何も気にする様子もなく、いつも通り湊と会話をするように、
「朝から絶好調だねぇ、香織。何か良いことあった?」
普通に話しかけていた。
「――って、随分法月さんと仲良くなったみたいだね」
そして、香織から何を感じ取ったのか、湊には一切の心当たりのないことを口にする拓人。
あれだけの暴言を吐かれてなお、他人の心境の変化に気が付く拓人に、驚きを隠せない湊は驚愕の状況に絶叫にも似た声をあげる。
「ええぇ!?」
「拓人の目は節穴どころか、その穴に生ゴミが詰まっているようね。取り出してあげましょう」
香織は近くにあったスプーンを持って拓人の方へと近づいて行こうとする。
危険なスプーンの用途に気が付いた湊は、すかさず香織を、身体を張って止める。
「ちょちょ、橘先輩落ち着いてください!霧島先輩ものん気に構えてないで!」
拓人は、自分の危機的状況にも拘らず、にやにやと笑いながら、
「法月さん法月さん、ちょっとちょっと」
と、湊を香織から離れた位置に呼び寄せた。
どうやら、香織に聞かせたくない話があるようだ。
香織が何か危険な行動を起こさないか若干の不安が残ったものの、拓人の声を無視することが出来なかった湊は、
「な、なんですか?」
「なんかさ、香織と法月さんが仲良くなったみたいだから法月さんには言うけどね。香織は――照れ屋なんだよ。だから相手に暴言を吐いちゃうんだ」
「……あれ、照れ屋ってレベルですか?どっちかって言うと殺し屋とか、そっち系じゃないですか?」
湊は先程の香織の行動を思い出しながら言った。
「まあまあ。例えばさ、皆の前に出て発表とかする時にさ、自然と手がこう、口とか鼻とか耳とか後頭部とかに行っちゃうでしょ?」
「……まあ、ありますね、そう言うこと」
そう言う経験があった湊は拓人の言葉に肯いた。
「それはね、他人の視線を、自分じゃなくてその『動かしている手』に向けたいからそう言う行動をしてしまうんだよ。無意識にね。香織の暴言もそれと同じなんだ。照れたり恥ずかしかったりすると、暴言を吐いて相手の注意を削ぐ」
自信満々に解説をする拓人に、湊は、
「注意が削がれるって言うか、心が殺がれますよ……。でも、まあ――理解はしました」
「理解してくれた?……それにしても、あんなに人と楽しそうに喋る香織は久しぶりに見たよ」
じっと拓人と湊を睨むようにしている香織を見ながら、拓人はしみじみとした雰囲気を出しながら言った。
「『人と楽しそうに』と言うより『人を殺しそうに』ですけどね、個人的には」
「まあまあ、慣れだよ慣れ!だから早く慣れてね」
「慣れたくないですよ……」
湊も、半眼で自分達を見つめている香織を一瞥する。
「そんなこと言わずに、ね?」
「ええぇ~?」
こうして、拓人と湊が二人きりで過ごす予定だった合宿に終止符が打たれた。
どーも、よねたにです。
なんかしっくり来ませんが。
では、また。




