TIME/さくら
タイムマシンがあったらいいのにな。そう、さくらが言った。その名にふさわしく、さくらの木の下で。
「なあ、タイムカプセル掘りにいかね?」
久しぶりにかかってきた電話に出ると、開口一番そう言われた。おかげで一瞬“タイムカプセル”がなんのことだかわからなかった。遅れて三秒、思い出すと同時に僕から出たことばは「約束違反はよくない」だった。
「いいじゃんか、ちゃんと埋め直すから」
「そういう問題じゃないと思う」
「ケチくさいこと言うなよ。頼むよ、お前なら黙っててくれるだろ」
「なんでそんなに掘り出したいのさ」
「それは、その、あれだ」
そこで初めて電話の向こうが口ごもった。ああ、これは今更恥ずかしいものを埋めたのだな、と僕の直感は判断した。
「みんな、同じだと思うけれど。小学生のときに埋めたものなんて、今更見たら恥ずかしいよ」
まだ電話の向こうでごにょごにょしている友人に言うと、ぼそりと「ちげぇよ」と言われる。
「なにが」そう聞いてまたごにょごにょ。余程の理由があるらしい。
「そもそも、掘り出したいならもっと協力してくれそうな奴がいるだろう。佐々木とか宮藤とか」
「お前がいちばんいいんだよ」
そこだけははっきりと言い返す。それには少し驚きだ。だってもともと、僕たちには親友と呼べるほどの密度はない。
「頼む」
ではそれなのに、なぜ僕に頼むのか。
「理由は?」
その根拠には、多少、興味がわく。
「う……掘りにきたら言う」
「それは、フェアじゃないな」
ここからタイムカプセルを埋めた小学校の近くまでの距離を思い描く。そこまで遠くはないものの、電車賃は四桁になる。
沈黙状態、十秒。妥協はしないつもりでいたら、ようやく向こうからため息が聞こえてきた。
「ラブレター、なんだ」
「予想以上にかわいいものが出てきた」
そのひとことに思わず頬が緩みかける。
「さくらへの」
だが次のことばに緩んだ頬は再び力を得、僕は「わかった」と頷いた。
日垣さくらは、すこし変わった美少女だった。僕の記憶には、前歯がいっぽん抜けた状態で笑うどろだらけの顔が出てくる。中学も一緒だったから、背も髪も伸びたきれいな彼女ももちろん知っているのだけど、あの太陽のなかできらきらしていた姿がいちばん残っている。
彼女をひとに説明するとき、僕は『虫愛づる姫君』を例えに出す。有名なアニメ映画の方でもいいけれど、あれだとどこか弱いところがないように思えてしまう。日垣さくらはあのヒロインではない。だって、周りからは変人扱いされていたから。
男子の虫採りには必ず参加していたし、誰よりも多くの虫をかごに入れていた。ときおり花も摘んで眺めたりするのだけれど、他の女の子のように髪に飾ったりはしない。眺めて、はなびらをむしって、蜜を口に入れてみる。そうやってひとり頷いて虫かごとは別の容器にそれも入れて持ち帰る。その後は知らない。
そんな日垣さくらはいくつになっても変わらなかった。もちろん歯は生えたし髪型もいくらか変わったし、身体の変化はあった。やがて中学に入りデジタルカメラを手に入れると、それを手放さなくなり色んなものを撮っていた。友人とのおしゃべり、化粧や服などのおしゃれ、恋愛。そんなものに興味を持たない彼女を周りは変わり者扱いし、やがて彼女は孤立してゆく。それでも本人は気にすることなく、彼女の青春を謳歌していた。
なぜ僕がこれほど彼女のことに詳しいのか。小学校からの付き合いもあるけれどたぶん違う。
僕はきっと、彼女が好きだったんだ。
待ち合わせの日はとてもよく晴れていて、四月だというのに暑いぐらいだった。パーカーを羽織ってきたのは間違いだったと思いつつ、駅から小学校まで歩く。途中、コンビニエンスストアに寄って飲み物を買っておいた。小さい頃はなかったその店には、平日だと言うのに子どもばかりたむろしていた。
小学校の手前、中学校の校庭では、体育の授業中だった。そこそこ成長した身体がサッカーボールを追っている。張り切る声とホイッスルの音。横目に見れば、思いっきり走る奴と適当に参加している奴が入り混じっている。それはいつの時代も変わらないらしい。僕は後者だ。体育は苦手だったから。
待ち合わせ場所は小学校横にある小さな橋。時刻は午前十一時。その十分前についた僕よりも先に友人はきていた。
「よ、久しぶり」
高校を卒業した後は、二、三度会っただけの友人、三月桜。
「君は、なんにも変わってないね」
みつき、さくら。その男にしてはやけに綺麗な名を持つ目の前の人物は、相変わらずの金髪で、後ろの桜の木が似合っていた。彼は全力でサッカーを楽しむタイプだった。
「悪い、呼び出して」
「いまさら過ぎるよ」
道具は用意しておく、そのことば通り彼はスコップとシャベルを一つずつ持ってきていた。そのうちスコップを受け取って、並んで歩き出す。
「場所、覚えてる?」
僕の問いに桜は笑った。
小学校の校庭から西、さくら橋を降りて川沿いを百歩。そこに生えた大きなさくらの木の根元。そこに僕らは思い出を埋めた。
「百歩ってめんどくせぇ数選んだな」
「子どもの足で百歩だから、微妙に違うだろうしね。もっと違う目印とか決まりにしておけば良かったのに」
それにスタート地点も曖昧だ。そうつけ加えたところで「だいたいでいいだろ」と桜が零した。スタート地点かゴール地点か、それがわからなかったけれど、彼はシャベルを片手に気ままに歩き出したので、それに続くことにする。
「だけど大きなさくらの木、って言ってもね」
「既に大概でかいっつのな」
川沿いに咲いたさくらを見あげてふたりで笑う。今年のさくらは少し遅かった。おかげで今が満開、見ごろのようで、枝の先々がすっかり重い。涼しく感じる風に揺られて、花びらがひらひらと舞い落ちてゆく。
「だいたいここらか」桜が立ち止まり、老木の幹を叩いた。
「そうだね。駄目なら次かな」足元を確認し、確かにここなら何か埋めれそうかなと頷く。
埋めたのはだいぶ前。それでも小学生の手じゃ、そう深くは埋めれまい。そこそこ掘って出てこなければ外れなのだろうと思って、スコップを手にしゃがむ。
「だけど、昼間にこんなところ掘ってて、不審者がられないかな」
僕の意見に桜は笑った。
「昼間だからいいんだよ。これが暗くなってから掘ってみろよ、すぐ警察来るぜ」
その言い草がまるで経験者のようだったので、僕は信じて笑い返した。
地面はそれなりに雑草が生えていた。それでも掘り返せばなんとかなる程度だったので、ふたりで黙々と掘り続ける。
ほんとうは何か話した方が良かったのかもしれない。だけど僕は、今何か聞いてはいけない気もしていた。それは埋めたときにした約束を反故にしてしまう後ろめたさかどうかはわからない。
やがて額に汗がにじみ始めたころ、土の中になにか白いものが見えてきた。僕が先に気づき、桜がそれを手で掘り出してみる。少し変色して見えたそれは一枚のコピー用紙のようで、ふたつに折り畳まれていた。
そっと、桜がそれを開く。
『残念! ここではなかったみたい(わたしも騙された!)』
コピー用紙には、マジックでそれだけ書かれていた。そして読んだ途端、僕と桜は同時に吹き出した。
「なんだよこれ」
「僕らの前に、探したんだね」
「だからってこれはないだろ」
昼間の河原で、土まみれになりながら、笑い倒して項垂れる。誰の仕業かは重要ではなかった。たぶんそれは、桜も一緒だったと思う。
「しゃーない、次」
笑い声が収まって、息を吸ってから桜が気合いを入れる。
「それ、どうしようか」僕の問いに桜はにっと笑う。
「もちろん、埋め直しておく」
元の位置に戻されたコピー用紙に、僕らはそっと土をかけていった。
ところが、その次の桜の木の根元にもタイムカプセルはなかった。
『ここでもなかった(あれ?)』
その代わりにやはりコピー用紙が一枚。同じようにマジックでメッセージが書いてある。
では次、とまた掘り返してもあるのはコピー用紙一枚だけ。
『(あれ? ここでもないの? どこ?)』
どうやら、先人もだいぶ探したらしい。ここまでくるとさすがに僕らも疲労が溜まってくる。
「少し休むかい」
購入しておいたペットボトルを渡しながら聞くと、彼はひとくち飲んでから首を振った。
「次で駄目なら、先に盗まれたと思いそうだな」
それだけはなんだか寂しいなと思いながら僕は頷き、隣のさくらへと移動した。
そうして、五本目でようやく発見した。四本目は、さすがに先人も諦めそうになったのかコピー用紙すら入っていなかった。
「なんだよ、結構距離あるじゃんか」
「思ってたより、十二歳の僕らは大きかったみたいだ」
さくら橋をふり返りながら額の汗をぬぐう。とっくに正午は通り越しただろう。暑さを増す日差しから逃れるように、さくらの影に入る。
木漏れ日が、手のひらをところどころ染めている。
ほんのすこし湿った土から出てきたクッキーの缶ふたつ。それが僕らの小学校の最期の記憶。
「開けなよ」
ペットボトルのお茶を飲みながら僕が促すと、桜はしばらく缶を見つめてそっと蓋を外した。彼がみんなとの約束を破ってまで回収したかったもの。日垣さくらへのラブレター。そうとしか聞いてないけれど、それで充分だった。
「おい」
ところが、缶を覗きこんで桜は固まったままだった。僕を呼ぶので「なんだい」とその真向かいにしゃがみこむ。
缶の中身の一番上には、さくら色の封筒が置かれていた。その表書き。みんなへ。
「なかったよ、な」
「山口先生のサプライズ、とかではなさそうだよね」
となれば残りはひとりしかない。きっとこの為に、先人はタイムカプセルを探したのか。
開けていいものかしばしふたりで悩んだ。みんなへ、と書いてあると言うことは、おそらく約束の日に読まれることを願っているのだろう。だったら、回収したいものだけ取って、そのまま埋め直すべきじゃないのか。
だけど、それはその差出人による。僕らは、知ったからにはきっとあと一年、とてもやきもきするだろう。みんなには悪いと思う。だけど既にひとつ罪を犯していれば、もうひとつぐらい。
無言のまま互いに頷いて、桜がその糊づけしていない封筒から便箋を取り出した。
みんなへ
さて、みんなは今どんな顔をしているでしょう。隣のひとの顔、見てみて。誰も、悲しい顔はしてないといいな。
まず最初に、約束を破ってしまってごめんなさい。成人式の日に、みんなで集まって開けようねって言っていたのに、わたしは先に掘ってしまいました。それはすまない。いや、ほんとうに。
きっと誰かが知っていてくれると思うんだけど、わたし、日垣さくらはたぶん成人式まで生きてません。いやこれでもしここにいたら笑ってやってね。なんだよ、嘘つき、って。
今、わたしは十七歳で、まだまだ子どもで、虫とか植物ばっかり好きだったので、みんなに言えるかっこいいことばも、感動的なフレーズもあいにく持ち合わせていません。
だけど、これだけは言いたかった。
あの日埋めたタイムカプセルに、わたしはどうしても叶えたい夢を書いて入れておいた。だけどそれはどうにも叶いそうにない。悔しいけれど、それは自分がよくわかる。そんなことないよ、って周りは励ましてくれるけれど、それが嘘だってことがわかるぐらいには、頭が成長しちゃったんだよね。
だからわたしはその夢を取りにきた。勝手にだけど掘り起こして回収しにきた。だって、もういないひとの夢だけがそこにあったら、ちょっとしんみりしちゃうでしょう? みんなならそうだろうと信じてる。
みんなに言いたいのは、このこと。
わたしは、夢を回収しに来たけれど、諦めてはいません。一緒に墓まで入って、死んだあとの世界か、生まれ変わった次の世界で、叶えてやろうと思います。死後の世界とか生まれ変わりとかあったらの場合だけど。
ねえ、みんなはまだ諦めてないよね?
あのとき、ひとりひとつずつ書いた将来の夢。わたし掘り起こしてこっそり見ちゃうつもりだけど、きっとみんなすてきなこと書いてるはずだよ。
二十歳になって、身体もこころも大きくなっちゃって。早いひとはきっともう社会人で世間の荒波というやつに飲まれちゃったりしてるかもだけど。
みんなさ、あの頃叶えたかった夢への気持ちは、忘れてないよね?
もし、忘れて記憶の彼方も彼方に言っていたら、これを開けて思い出せるといいな。だって、あのころのわたしたちって、毎日必死に遊んで、ちょこっと勉強して、友だちと泣いて、喧嘩して、笑って……それなのに将来なにになりたいとか、あれがしたいとか、ずっと未来のことを考えれてたんだよ。それってすごいことじゃない?
わたしはあのころのパワーを取り戻したかった。いやまあ、中学生になっても残念ながらなにも変わらず虫ばっかり追っかけていたんだけれど。男子すら虫とりなんて興味なくなっていくのにいつまでもやっていたけれど。まあそれとはまた違う、あのころのきらきらしたやつを取り戻したくなったわけですよ。
それでタイムカプセルを掘り返して……って話がループしてる。ごめん。
とりあえずわたしは、みんなはまだまだ生きてるのに、とか泣きごとは言いません。これはわたしの寿命であってしかたがないことで、みんなとは無関係です。
だけど死んだわたしに説教されたら、さすがにちょっとはぐっと来るでしょう? ね、どう?
もし、そうだったらいいな。
なんか、うまくまとまってない気がするし、なにも伝わらない気もするけれど、そろそろ眠いので筆を置きます。以上。日垣さくら。
桜の瞳から涙が零れ落ちたのを見て、僕はそっと手のなかの便箋を受け取った。きれいな字で書かれたさくら色の便箋は、透かし彫りでさくらの花びらが描かれていた。
日垣さくららしいな、と思った。最後に会った日を今でも覚えている。きれいに整えられた彼女は、とても良い顔で眠っていた。飾られた写真はすこし痩せてはいたものの、あの笑顔でみんなを見ていた。彼女のお母さんが、僕らひとりずつに頭を下げ「ありがとう」を繰り返していた。花も大好きだった彼女の周りは、白色だけでなく数多の数の花で埋め尽くされていた。
便箋を折り目通りにたたみ直し、封筒へと戻す。そのとき便箋の先にひっかかりを覚えた。
なにかあるのかと思い、便箋を取り出してから手を入れる。そこには、破られた小さなコピー用紙が入っていた。
『三月桜へ 今もし書いたことを後悔していたら、あの世から呪ってやるからね! いい女と結婚しなよ!』
今までのさくらの木の下にあったようにマジックで、そう書かれている。「ほら」とそれを桜に渡すと、赤くなった目を擦って彼は「なんだよ」と笑った。
「って、もう一枚くっついてんぞ」
「え?」
「ほら。桜木茜へ、書いたことを恥ずかしく思っているのなら、もれなく呪いがついてきます。君は充分、きらきらです」
渡されたコピー用紙の切れはしには、確かに僕の名前が書いてあった。
「ってお前なに書いたんだよ」
そう言って桜は楽しそうにタイムカプセルを漁り出す。みんなが書いた夢の中から、自分と僕の夢を探し当てるように。
だけど、僕と桜の封筒は見当たらなかった。
「あいつ、持っていきやがったな」
ふたつめの缶は、みんなの思い出の品が入っている。だから、ここになければきっとそうなのだろう。
僕と桜は笑いながらタイムカプセルの中身を整理して、最後に日垣さくらからの手紙を乗せた。
「一年後、俺とお前の夢だけ語られず仕舞いだな」
「しょうがないよ。だって彼女が、次の世界に持っていってしまったんだから」
蓋をしてそっと穴の底へ置く。掘り返した冷たい土をかけて、一年後また会う日までとお別れを告げる。
「で、結局お前はなに書いたんだよ」
埋め終わって一拍置いてから桜に聞かれたけれど、僕は笑ってごまかしておいた。
「正直に言えよ」それでもしつこく彼が問うてくるので「忘れたよ」と嘘をつく。たぶんその嘘はばれているし、それでいい。
「タイムマシンがあったらいいのにな」
そう、桜が言った。その名にふさわしく、さくらの木の下で。
「昔、同じことを日垣さくらも言ってたよ」
僕はその光景を思い出す。中学三年の春。あのころ彼女はすでに自分の未来を知っていたのだろうか。
「過去に戻ってやり直せたらな、って思うよ」
わずかなさくらの木の影で、桜はため息を零すように言う。その視線のさきには、川面に浮かび流れてゆくさくらの姿があった。
「日垣さくらは違ったよ」
「え?」
「タイムマシンがあったら、未来に行けるのに。みんながなにをしてるか、見に行けるのにな、って」
中学校の校庭で、さくらの木にもたれかかって、彼女はどこかさみしそうに言っていた。僕はたいして気の利いたことも言えず、ただ「過去じゃなくて未来なんだね」と聞き返していた。
「そうか、あいつらしいな」
春に似合わない日差しの中、桜が笑った。僕もつられて笑う。さくらの花のこもれびは、とてもきらきらして見えた。あの日、彼女を包んだ光はきらきらしていなかった。だけどきっと、彼女は夢と一緒に取り戻しただろう。
「帰るか」
「そうだね」
「せっかくだから、飯でも食って行こうぜ」
「それって、昼ご飯かな、晩ご飯かな」
「どっちだっていいだろ、腹に入ったら」
土にまみれたスコップとシャベルを手に、僕らは来た道を歩き返す。あの頃の百歩を、僕らは何歩で歩いているのだろうか。
帰り際、今度は小学校の校庭でサッカーが行われていた。小さな身体は、懸命にサッカーボールを追っている。ポジションもなにもあったもんじゃない。だけどみんな笑顔できらきらしている。目の前に必死で、転んだって、ボールを取られたって大きな声を出していた。その声を聞きながら、空を仰ぐ。青い空はどこまでも続いているような気がした。僕にもきっと、あんなころがあったに違いない。
《了》