雪月花の檻(*)
時計塔の最上階、隔離された密室。
下界の喧騒は魔法の壁に阻まれ、聞こえるのは二人の重なり合う呼吸と、時折窓を叩く雪の微かな音だけだった。
レイモンドは、セオドリックに抱きすくめられたまま、力なく項垂れていた。
極限まで削られた魔力、そして不眠不休の代償。彼の身体は、セオドリックが注ぎ込み続ける「熱すぎる魔力」によって、微かに震えている。
「……あ、……ぐ……っ」
レイモンドの口から、掠れた吐息が漏れる。
魔導回路を無理やり覚醒させられる感覚は、暴力的なまでの快楽と、それを凌駕するほどの恐怖を伴っていた。
自分の意志とは無関係に、セオドリックの色に染められていく恐怖。
「ああ、最高だよ、レイ。君の瞳に、僕の魔力が浸透していく……。なんて美しいんだ」
セオドリックは、獲物を慈しむ捕食者の顔で、レイモンドの潤んだ瞳を覗き込んだ。
彼は真紅の薔薇をレイモンドの胸元――ちょうど心臓の鼓動が伝わる場所に翳すと、その花弁を一枚、指先で千切った。
「東方の歌にはね、続きがあるんだ。『去りゆく友を思うより、去らせぬ檻を築くべし』――散りゆく花や過ぎ去る季節を惜しんで嘆くくらいなら、その対象を自らの手の中に閉じ込め、永遠に固定してしまえばいい……という意味だ。僕はそれに習って、この術式を編んだ」
「……嘘を……つけ……」
レイモンドは、熱に浮かされた吐息を漏らしながらも、辛うじて抗議の声を絞り出した。
「そんな、続きはない。……そもそも、この詩は……喪失を、嘆く歌。……勝手な、解釈を……するな……!」
瞬間、セオドリックの瞳に宿ったのは、悦悦とした輝きだった。
彼はレイモンドの頬を優しく撫で、その耳元で勝ち誇ったように囁く。
「さすがは僕のレイだ。よく勉強しているね。……そう、今の続きは僕が考えた。僕は『失うこと』を認めない。……なぜなら僕は誰よりも欲張りで、そして――有能だから」
セオドリックは、レイモンドの唇を指先でなぞり、捏造の続きを真実として決定づける。
「続きが気に入らないなら、自分で書けばいい。 過去の嘆きなんて、僕らの未来には必要ないだろう? 詩も、歴史も、術式も……君を繋ぎ止めるためなら、僕はいくらでも書き換えてみせるよ」
「……おま、え……どこまで……傲慢、なんだ……」
「君を愛するための傲慢なら、いくらでも背負うさ」
セオドリックは、千切った花弁をレイモンドの震える唇に押し当てた。
花の香りと、セオドリックの体温。
レイモンドが苦しげに顔を背けようとすると、セオドリックの長い指がその顎を強引に固定した。
「逃がさないと言っただろう? この学園も、この夜も、君の未来も……すべては僕のものなのだから」
次の瞬間、セオドリックの唇が、レイモンドの言葉を塞いだ。
それは、慈悲という名の略奪だった。
冷え切ったレイモンドの唇に、セオドリックの熱が、そして溢れんばかりの魔力が、接吻を通じて直接流れ込んでくる。
レイモンドの思考は白く染まり、指先が、セオドリックの白い儀礼服を力なく掴んだ。
「ん、……っ、……ふ……」
深い接吻の最中、レイモンドの視界の端で、胸元の薔薇が眩い光を放った。
それは、セオドリックの魔力を吸い上げ、レイモンドの心臓と同期する「不変の刻印」。
「な……、んだ……これ……はッ」
レイモンドは息も絶え絶えに喘ぐ。
セオドリックは、甘く囁いた。
「いざという時の保険だよ。以前、僕が『指輪』を失くしたせいで、君は魔法を使えなくなってしまっただろう? あの時、僕はとても反省したんだ。万が一指輪が紛失しても、僕らの繋がりが途絶えてしまわないようにって。……その為の印さ」
「印……だと……?」
「そうだよ。この薔薇はね、文字通り僕の血液で育てられた――まさに僕の魂の結晶だ。これで、僕は何があろうと、君を見失うことはない」
「……っ」
セオドリックは、銀の粉雪が舞う窓の外へ、レイモンドの身体を向かせた。
そこには、魔法で無理やり咲かされた数千本の花々が、冷たい月光の下で狂おしく死を待っている。
「綺麗だろう? でも、明日にはすべて枯れる。生きとし生けるもの全てが、いつか死ぬ。……だけどね、レイ。君だけは絶対に枯れさせない。僕の傍で、僕の熱だけを吸って、君は永遠に咲き続けるんだ」
「……お前、は……本当に……」
レイモンドは、朦朧とする意識の中で悟った。
自分はもう、この男の所有物なのだ、と。
再興したアシュクロフトの名も、副会長としての矜持も、すべてはセオドリックの掌の上――この「雪月花の檻」の甘美な支配に溶けて、消えていく。
「さあ、まだまだ夜はこれからだ、僕の愛しいレイモンド。……朝日が昇る頃には、君の世界は、僕だけの色彩で満たされているはずだよ」
セオドリックはレイモンドの唇に、誓いの接吻を、もう一度落とした。
窓の外、月の光を反射して、一筋の流星が雪の空を裂く。
こうして、セオドリックの周到な罠にまんまと嵌ったレイモンドは、雪と月と花に囲まれた「世界で最も美しく残酷な箱庭」で――夜が明けるその瞬間まで――セオドリックの執着という名の熱情に、狂わされることになったのである。
To be continued.




