最悪のサプライズ
その夜、王立ラプラス魔導アカデミーは、地上に降りた銀河のようだった。
空からは、レイモンドが術式を組んだ「銀の粉雪」がゆっくりと舞い落ち、満月の光を浴びて宝石のように煌めいている。
その極寒の雪の中、あり得ないはずの光景が広がっていた。
数千本の薔薇と百合が、月光を反射する氷の彫刻のように、それでいて生命の熱を持って咲き誇っているのだ。
「見て、本当に咲いてる……! 冬に本物の薔薇が見られるなんて!」
「セオドリック会長、万歳! なんて素晴らしい冬至祭なんだ!」
中庭に集まった生徒たちの歓声が、冬の夜気に響き渡る。一人ひとりの手に握られた一輪の花。
それは、レイモンドが数日間、一睡もせずに魔導炉の底で編み上げ、維持し続けた「奇跡」の結晶だった。
だが、その奇跡の代償を払った当人は、喧騒から遠く離れた時計塔の最上階、冷たい石壁に背を預けて崩れ落ちていた。
「……はぁ、……っ、くそ、……演算、終了……」
レイモンドの意識は、薄氷の上を歩くように危うい。術式の維持を自動化へ切り替えた瞬間、張り詰めていた糸が切れ、指先一つ動かす気力も残っていなかった。
下界から聞こえる楽しげな笑い声が、ひどく遠く、現実味のないものに感じる。
「……誰も、……見ていない。これで、いい……」
自嘲気味に呟いたその時、重厚な扉が静かに開いた。
現れたのは、純白の儀礼服を身に纏い、月光を背負った太陽――セオドリック・フォン・ランカスターだった。
「やあ、レイ。……やはり、ここにいたね」
セオドリックの声は、驚くほど静かで、慈しみに満ちていた。
彼は歩み寄ると、抵抗する力すら失ったレイモンドの前に膝をつき、その青ざめた頬を熱い手で包み込んだ。
「……セオドリック、……満足か。……お前の望み通り、……花は、咲いたぞ」
「ああ、素晴らしい景色だったよ。生徒たちは皆、君が与えた美しさに酔いしれている。……でも、レイ。僕が本当に見たかったのは、あんな大衆向けの安っぽい奇跡じゃない」
レイモンドの瞳が、僅かに見開かれる。
セオドリックは、懐から一輪の、奇妙な花を取り出した。それは中庭に咲いているどの花よりも深く、どす黒いほどに濃い真紅の薔薇。
その花弁からは、セオドリック自身の暴力的なまでの魔力が、脈動のように溢れ出していた。
「僕が望んだのは、君が死力を尽くして作り上げたこの静寂の中で、僕だけが、君を独占する時間だ」
「……何、だと……」
「レイ。君は、皆のために花を咲かせた。……なら、僕のためには、君自身が咲いてくれるべきだろう?」
セオドリックが指を鳴らす。
瞬間、時計塔の四方に張り巡らされていた隠し術式が起動した。外の喧騒を完全に遮断する隔離結界。
そこは一瞬にして、月光と雪と、そして「二人だけ」の魔力が渦巻く密室へと変貌した。
「……っ、セオドリック、……お前、……まさか……!」
「ふふ、驚くことはないさ。これは僕からの、最高のサプライズだ。外の連中は、君が残した『出がらしの魔法』で満足していればいい。……ここにあるのは、僕と君のためだけの、本物の雪月花だよ」
セオドリックは、抵抗しようと震えるレイモンドの身体を、逃げ場のない腕の中へと閉じ込めた。
レイモンドは悟った。
数千本の花を配らせ、全校生徒を巻き込んだあの派手な行事さえも、すべては今この瞬間、自分を「極限まで衰弱させ、孤独な場所へ連れ出す」ための巨大なカモフラージュに過ぎなかったのだと。
「……お前は、……本当に……最悪の、独裁者だ……」
「ありがとう。君にそう言ってもらえるのが、一番の喜びだよ、レイ」
セオドリックの唇が、レイモンドの耳元で弧を描く。
その瞳に宿るのは、聖者の慈愛か、あるいは略奪者の狂気か。
月光に照らされた二人の影は、重なり合い、一つになって、冬の静寂の中に深く沈んでいった。




