崩壊する仮面 ― 馬車の中の独白
夜会を締めくくる、ラスト・ワルツが終わった。
レイモンドは、セオドリックと共に馬車に乗り込む。
重厚な扉が「カチリ」と閉まった瞬間――世界から音が消えた。
魔導具によって遮音された車内は、外の喧騒を魔法のように撥ね除け、二人だけの濃密な静寂で満たされる。
石畳を走る規則的な揺れ。そのリズムに合わせるように、それまで鋼の強靭さで張られていたセオドリックの背筋から、一気に力が抜けた。
「……ふぅ、……っ」
短い吐息と共に、セオドリックの黄金の頭が、隣に座るレイモンドの肩へと落ちる。
ずしりと重いその質量。
レイモンドは顔をしかめ、反射的にその震える肩を支えた。燕尾服越しに伝わってくるのは、限界まで魔力を回し続けた者の、異常なまでの体熱だ。
「……おい、セオドリック。寝るなら自分の屋敷に着いてからにしろ。俺の肩は枕じゃない」
いつもの冷淡な声。
だが、レイモンドの右手の指輪は、セオドリックから流れ込んでくるドロリとした、熱く粘り気のある魔力に浸食されていた。
セオドリックは、レイモンドの首筋に鼻先を押し付けるようにして、掠れた声で囁く。
「……重いな、レイ。……この国も、ランカスターの名も。……誰もが、僕が微笑むだけで救われると信じている。……滑稽だろう? 僕は、ただ、君にだけ笑いかけていたいというのに……」
漏れ出したのは、呪詛のような、あるいは祈りのような弱音。
それは、学園の王として君臨し、未来の宰相として称えられる男が、喉の奥に押し込めていた本音だった。
セオドリックの手が、すがるようにレイモンドの漆黒の袖を掴む。その指先は、もはや隠すこともできないほど激しく震えていた。
「……光の中にいるのは、ひどく疲れるんだ。……視界が白く塗り潰されて、自分がどこにいるのかさえ、分からなくなる。……レイ、君がいなければ……僕は今頃、あの光の中で消え失せていただろう」
「……………」
だが、レイモンドは答えなかった。
彼は無言で、窓の外を流れる暗い街並みを眺めていた。
今にも絡め取られてしまいそうな思考を、理性で繋ぎ止めながら。
(……今日のこいつは、何か変だ……と思っていたが……まさか、これほどだとは。……だが、それさえも……俺は……)
この男は怪物だ。自分を没落の淵から引きずり出し、アシュクロフト家を再興させ、宮廷魔導技術卿という役職で、一生逃げられない黄金の鎖に繋ぎ止めた。
きっとセオドリックにとっては、この弱音さえも、自分を逃がさないための重しに過ぎない。
そうとわかっていながら、手を伸ばしたくなってしまう。どうしようもなく、この弱音に応えてやりたいと思ってしまう。
(……重症だな、俺も)
肩から伝わってくる、セドリックの鼓動の、あまりの早さ。
完璧な太陽を演じ続けるために、どれほどの精神を削り、どれほどの孤独を飲み込んできたのか。
それを知っているのは、世界で自分一人だけなのだという事実が、レイモンドの胸を熱くした。
たとえ、この弱音が自分を縛るための計算であったとしても、その計算をしなければ生きていけないほど、この男は自分に依存している。その事実が、愛おしい。
「……全く。ほっとけない奴だな、お前は」
レイモンドは溜息をつき、支える手に僅かに力を込めた。
没落した過去も、再興した現在も、結局のところ、セオドリックの隣という居場所だけは、何があるうと自分の領分であると、認めざるを得なかった。
「……お前の正義には付き合ってやる。……だが、俺を壊す前に、自分を壊すのは許さない。わかったな、セオドリック」
その言葉を聞いた瞬間。
レイモンドの肩に顔を埋めたセオドリックの口元に、一瞬だけ、誰にも見えない微笑が浮かんだ。
それは、弱り切った者の安堵ではない。獲物を完全に網にかけた、支配者の勝利の笑みだ。
(ああ……やはり、君は僕の期待を裏切らない。……君が僕を支え、僕が君に魔力を注ぐ。……これ以上に完璧な共生が、この世にあるはずがない)
セオドリックは、さらに深く、レイモンドの熱に顔を沈めた。
弱音さえも、慈しみさえも、すべては彼を繋ぎ止めるための戦術。
だが、その冷徹な戦術の奥底には、自分を唯一人間として扱ってくれる男への、狂おしいほどの愛執が本物の炎となって燃えていた。
「……ああ、レイ。……君が壊れるときは、僕も一緒さ。ずっと、僕の隣にいてくれ。……僕らは、永遠に一つだ」
深夜の帝都を駆ける馬車。
夜の帳が、二人の歪な共生を、どこまでも深く、永遠を誓うように包み込んでいった。
To be continued.




