黄金の支配者と影の至宝
アルカディア神聖帝国の夜は、魔導の灯火によって黄金色に塗り潰されていた。
帝都でも指折りの家格を誇る侯爵家の夜会。高く聳える大広間の天井には、無数の魔導結晶が星々のように瞬き、その下では着飾った貴族たちが、贅を尽くした虚飾の海を泳いでいる。
その光の奔流の頂点に、彼はいた。
セオドリック・フォン・ランカスター。
帝国中枢を担う公爵家の嫡男であり、王立ラプラス魔導アカデミーの生徒会長。そして、次期宰相の座を約束された、名実ともにこの国の太陽だ。
陽光を溶かし込んだような金髪に、海よりも深い碧眼。すらりとした長身を包むのは、公爵家の象徴たる深紺色の礼装だ。彼は、寄せては返す挨拶の群れを、完璧なまでの微笑み一つで受け流していた。
「――ああ、アシュクロフト卿。本日は兄上の代理として、立派に役目を果たしているようだね」
セオドリックが、傍らに立つ一人の青年に向けて、周囲にも聞こえるほどの朗々とした声をかけた。
その青年――レイモンド・アシュクロフトは、漆黒の夜を纏ったような燕尾服に身を包み、不機嫌な顔を隠そうともせずに立っていた。
かつて魔導具製作の名家として名を馳せ、一度はベルツ公の陰謀によって没落の淵に沈んだアシュクロフト家。
だが、先日の記念祭での激闘を経て、彼らは侯爵家としての名誉を奪還した。当主の座はレイモンドの兄が継いだが、今や社交界において、アシュクロフトの名は「ランカスター公爵の最強の盾」と同義として語られている。
「……セオドリック。声が大きい。俺はただの付き添いだと言ったはずだ」
冷淡で事務的なレイモンドの声が、華やかな会場に鋭く響く。
周囲の貴族たちは一瞬、息を呑んだ。公爵家嫡子に対し、これほど不遜な口調を許されている者は、帝国広しといえどこの男以外に存在しない。
セオドリックは、その言葉をむしろ愉悦を噛み締めるような笑みで受け止めた。
「ははは! 相変わらず手厳しい。だがレイ、君が隣にいてくれないと、僕は自分の価値さえ見失ってしまうんだ。君という稀代の『宮廷魔導技術卿』を独占できることこそが、僕の人生最大の功績なのだから」
セオドリックはそう言うと、自然な動作でレイモンドの右肩を抱き寄せた。
レイモンドの身体が、一瞬だけ硬直する。
彼が纏う燕尾服の右袖の下には、かつてセオドリックを救う代償として焼き切れた「魔導回路」の痕跡が隠されている。魔力を失った彼を、この世に繋ぎ止めているのは、セオドリックとペアで嵌められた「共生体」の指輪だ。
(……この男、わざとやっているな)
レイモンドは、背中に回された手の熱を感じながら、心の中で毒づいた。
今日の夜会は、再興したアシュクロフト家の存在感を誇示するための舞台。セオドリックは、自らの圧倒的な権威という名の光をレイモンドに注ぎ込むことで、彼に向けられる侮蔑や嫉妬を、物理的な圧力をもって焼き払っていた。
それはあまりに強引で、あまりに献身的な、暴力に近い善意。
「ほら、レイ。あそこで唇を噛んでいる伯爵たちは、君が発明した新型の魔導防壁をどうやって盗もうかと画策しているよ。怖がらなくていい、僕の隣にいれば、彼らは君に指一本触れられない」
「……誰が怖がっていると言った。俺が嫌なのは、お前のその『守ってやっている』という独りよがりの満足感に付き合わされることだ」
「おや、心外だね。僕はただ、僕の大切な至宝を磨き直しているだけだよ」
セオドリックは完璧な紳士の振る舞いで、給仕から受け取ったシャンパングラスをレイモンドに差し出した。
その瞳は、社交界の王としての余裕に満ちている。
だが、レイモンドは気づいていた。
セオドリックが、時折、会場に蠢く貴族たちの欲望を視界に入れるたび、その碧眼の奥に、凍てつくような「無関心」と「倦怠」が宿るのを。
彼は無理をしているのではない。
ただ、この退屈な世界を統治するという正義を遂行するために、己を完璧な機械へと作り変えているのだ。
そして、その機械を人間に引き戻せる唯一の錨が、己の右腕に流し込まれる彼の熱い魔力だけなのだということを、レイモンドは屈辱と共に噛み締めていた。
「……おい、セオドリック。酒が回る前に、少し静かな場所へ移動させろ。お前の光に当てられて、吐き気がしてきた」
「おやおや。では、テラスへ行こうか。僕の愛しい盾」
セオドリックは、周囲を魅了する太陽のような微笑を浮かべたまま、その執着に満ちた瞳をレイモンドだけに向けた。




