泥まみれの守護者
「ピーッ!!!!!」
探知機が、鼓膜を劈くような絶叫を上げた。
温室を飛び出し、二人が向かったのは学園の西端――広大な敷地を誇る馬術競技場と、それに隣接する歴史ある厩舎だった。
そこは、魔法探査の光が飛び交う校舎付近とは、また別の熱気に包まれていた。
「あ! 会長! 副会長!」
「こっちです! 今、スノー・ホワイトが指輪を飲み込んだんじゃないかって話になって……!」
駆け寄ってきたのは、馬術部の部員たちと、その周囲を固める「指輪捜索隊」の志願兵(生徒)たちだ。
彼らが指差す先――厩舎の中央、一際豪華な馬房には、白銀の鬣を持つ名馬、スノー・ホワイトが不遜な瞳でこちらを見下ろしていた。
「……あの馬か」
レイモンドは、右腕の重さを忘れて探知機を突き出した。針は、スノー・ホワイトが首を振るたびに、狂ったように最大値を指して振り切れる。
「間違いない。……反応、この至近距離に集中している。おい、セオドリック。その『銀の鬣』は伊達じゃないようだな。お前の愛馬は、主君の指輪を餌と間違えて食ったのか?」
「まさか。彼女はグルメだからね。……だが、そうか。僕の指輪は、彼女の誇りの一部になりたかったのかもしれないね」
「戯言を言っている暇があったら、さっさと吐かせろ! 獣医を呼ぶか、あるいは俺が直接、食道まで手を入れて――」
「待ってください、副会長! 無茶です!」
部員たちが青くなってレイモンドを止める。
スノー・ホワイトは、セオドリック以外の人間には一切懐かないことで有名な、誇り高き猛獣だ。レイモンドが近づこうとした瞬間、彼女は大きく前脚を跳ね上げ、嘶いた。
「ヒヒィィィンッ!!」
その衝撃波だけで、周囲の干し草が舞い上がる。
魔力が使えないレイモンドには、その風圧を防ぐ盾さえ張れない。彼はなす術もなく、舞い上がった藁と土埃の中に叩きつけられた。
「レイ! 大丈夫かい?」
「……っ、触るな! 魔法さえ使えれば、馬の一頭や二頭くらい……!」
泥まみれになり、膝をつくレイモンド。その瞳には、かつて没落の底にいた時のような、鋭い怒りと自尊心の欠片が宿っている。
それを見たセオドリックは、哀れむのではなく、どこか満足げに目を細めた。
「いいかい、みんな。レイは今、僕と君たちを繋ぐ『絆』を探して、こんなに必死なんだ。……彼女を刺激しないように、僕が手伝おう」
「会長……! さすがです!」
セオドリックが優雅に歩み寄り、スノー・ホワイトの鼻先にそっと触れる。
あんなに暴れていた猛獣が、一瞬で、まるで聖女に祈りを捧げる騎士のように静まり返った。セオドリックはそのまま、馬の耳元で何かを囁きながら、丹念にその鬣を指で梳いていく。
――その時、セオドリックの手が、鬣の根元で止まった。
「……ああ、これか。彼女、僕の指輪を『飾り』として気に入ってしまったみたいだ」
彼が取り出したのは――鬣の奥深く、毛に埋もれて隠れていた馬型のチャームだった。
それは午前中、セオドリックが馬術部の視察に来た際、部員から「友情の証」として贈られたチャームだ。それをセオドリックが、愛馬の鬣に結わえておいたものだった。
「……チャーム、だと?」
レイモンドは、自分の手元でまだ「ピーッ」と鳴り続けている探知機を、ただ呆然と見つめた。
この機械は、あくまで銀に反応する。
本物の指輪と、チャーム。その材質が同じであれば、識別などできるはずもなかった。
手元の探知機は、目の前の「馬のチャーム」を本物であるかのように祝福し、けたたましく鳴り続けている。 つまり、この機械は正しく銀に反応し、そして自分は、ただの鬣の飾りに釣られて馬に蹴られたということだ。
「…………っ」
立ち上がろうとしたレイモンドの膝が、微かに震えた。
極限の疲労。
それを見たセオドリックは、無造作にレイモンドの肘を掴み、力任せに引き起こした。
「レイ、もういい。もう十分だよ」
「……離せ。……まだ回っていない場所がある。次は……確か、時計塔の下だったな」
「いいや、終わりだ」
セオドリックの声は、有無を言わせぬ響きを帯びていた。彼はレイモンドの前に立ち、その影で周囲の視線を遮ると、淡々と言い放った。
「これだけ学園中が騒ぎになっているんだ。誰かが見つけて、もう生徒会室に届けてくれているかもしれない。……一度戻るよ。これは会長命令だ」
「……くそ……」
弱々しい抗議。
だが、レイモンドにはもはや、その手を振り払う気力も、命令に背く論理も残っていなかった。




