地下回廊の死闘
大講堂がセオドリックの拘束という未曾有の衝撃に揺れる中、レイモンドはベルツに「魔導核の最終停止を確認してくる」と短く告げ、混乱の渦を抜けて単身地下へと姿を消した。
レイモンドは、地下へと続く石階段を駆け下りながら、数分前の凄惨な光景を苦い思いで反芻していた。
――結界が霧散した直後、ベルツの手の者が放った『魔力減衰ウイルス』。それは肉体を傷つけるものではなかったが、より根源的な絶望を学園に撒き散らした。
ミレイを始めとした生徒たちが、拘束されるセオドリックを助けようと必死に指先を伸ばし、詠唱を口にする。だが、どれほど練り上げようとしても魔力は指先から霧散し、術式は火花一つ散らさずに立ち消えた。
杖はただの木の棒になり、天才たちの叡智はただの無力な叫びに変わる。その「魔法が不発に終わる」という圧倒的な喪失感こそが、会場を極限の混乱へと叩き落としたのだ。
「……何をした、ベルツ!」
詰め寄るレイモンドに、ベルツは歪な笑みを浮かべて答えた。
「セオドリック・フォン・ランカスターという怪物を止めるには、これほどの措置が必要なのだよ、アシュクロフト君」
嘲笑うベルツに、レイモンドは憤りのあまり言葉を呑み込んだ。
だが――その時だ。
レイモンドは、自身の脳内で警報が鳴り響くのを感じた。
彼はこれまで、セオドリックにもベルツにも秘めて、学園中に微小な魔導センサーを張り巡らせていた。
ウイルスのせいで外部通信は死んでいるが、遮断される直前のログ――学園の物理振動の異常値が、彼の演算回路に、最悪の正解を導き出した。
(――やはりな。ベルツめ、セオドリックを捕らえるだけでは満足できなかったか!)
地下最下層、魔導核回廊。
地上の抑制ガスが最も濃く溜まり、魔導灯さえも消えた完全なる闇の世界。レイモンドは、ログが示した地点へ辿り着いた。
そこに鎮座していたのは、巨大な魔石を機械式の信管に組み込んだ、指向性魔導抹殺陣『マナ・イレイザー』。魔導師の魔導回路を永久に破壊する、恐ろしい兵器。
このサイズであれば、大講堂にいる全員の魔導回路を焼き切ってしまえるだろう。
その時限装置の針が、刻一刻と「その時」を刻んでいた。
「――やはり来たか。アシュクロフトの神童殿」
回廊の突き当たり、闇が蠢いた。
現れたのは、ベルツの影として汚れ仕事を請け負う三人の処刑執行人『鴉』だ。彼らは魔力を捨て、機械と薬物で身体を強化した、非魔導戦闘員。
彼らは魔法が消えたこの空間で、唯一の捕食者だった。
「やはり、お前たちの主の目的はこれだったか。……ランカスターの名声を奪うのではなく、魔力を奪い、自分と同じ『無能』まで引きずり下ろすこと。それが、法務大臣ベルツの行動原理か」
「ああ、そうだ! だがもう遅い! 爆弾なら解除コードも通じただろうが、これは機械式の物理駆動。魔法が不発に終わるこの場所で、お前はどうやってこれを止めるつもりだァ!!」
鴉たちが一斉に飛びかかってくる。
レイモンドは、右腕を覆う袖を乱暴に引きちぎった。
「……計算通りだ。……お前たちの考えなど、すでに俺の演算の内だ!」
剥き出しになった右腕の痣から、漆黒の影が溢れ出す。
アシュクロフトの禁忌――『影喰』。
それは外部の魔力を必要としない。自らの肉体、寿命、魂そのものを燃料に物質化する、呪いの自食兵器だ。
「なっ、魔法は使えないはずだ……!? 何故……ッ!」
「……この術は、お前たちの主が憎む『魔法』じゃない。……ただの、俺の執念だ!」
――戦いは混戦を極めた。
本来、複数人の強化人間を相手に無傷でいられるはずもない。だが、レイモンドの影は、彼自身の焦燥と決意を吸って、より鋭く、より冷酷に舞った。
肩を貫かれ、脇腹を焼かれる劇痛。一秒ごとに視界から色が失われ、心臓の鼓動が遠のいていく。
それでもレイモンドは、影の代償として激しく吐血しながらも、その動きを止めなかった。
(……セオドリック……、お前の光は、こんなところで消させない!)
レイモンドはわざと敵の刃を左肩で受け、その隙に影の杭を三人の胸元へ叩き込んだ。
「……沈め。ここは、お前たちの居場所じゃない」
最後の一人を壁に釘付けにし、処刑人たちが沈黙した時、抹殺陣のタイマーは最後の一分を刻んでいた。
レイモンドはふらつく足取りで装置に駆け寄り、全ての知識を動員して解除を試みる。指先が、機械仕掛けの回路を狂ったように叩く。
だが、信管は物理的にロックされ、もはや停止は不可能だった。
(……ならば、せめて!)
レイモンドは、最悪の、苦肉の策を選択した。
指向性魔導抹殺陣の標的――その『指向』を、会場の数千人から、目の前の、自分一人へと物理的に書き換えたのだ。
レイモンドは、感覚を失いつつある右手の指先を、灼熱の回路の奥深くに突っ込んだ。
「……ぐ、あああああああ!!」
機械が放つ高熱と、命を吸い取る『影喰』の代償が激突する。
ジャミングの反動、呪いの苦痛。そして、本来なら数千人の魔導師を廃人にするはずだったエネルギーの奔流が、レイモンドの右腕一本へと逆流し、彼自身の回路を内側から焼き潰していく。
遠のく意識の中で、レイモンドはセオドリックのことを思った。
あいつは本当に、救いようのない馬鹿だ。……俺がこれほど、泥に塗れて戦っていることさえ、知らずに光の中にいる。
レイモンドは、もはや光の見えない地下で、一人静かに微笑んだ。
自分は裏切り者として歴史に残り、あいつは悲劇の英雄として、その輝かしい魔力を保ったまま光の中へ戻る。
それでいい。
そのために、俺は影になったのだから。
彼はその全てを防波堤として引き受け、内側から装置を破裂させた。




