偽りの告発演習
記念祭まで、残り一週間を切った。
学園の喧騒が引き去った深夜二時。窓外には薄い雲に覆われた月が浮かび、静まり返った執務室を、どこか不気味な白磁の光が満たしていた。
琥珀色のランプが照らし出すデスクの上で、レイモンドのペン先だけが、乾いた音を立てて数式の海を泳いでいる。
第三結界塔――その中枢へ打ち込む休眠コードの最終調整。幾度も検算を繰り返すその指先は、今も微かに痺れていた。
傍らには、昼間にミレイが置いた茶器が、冷え切ったまま佇んでいる。彼女たちが向ける純粋な献身も、今のレイモンドには、苦痛なものでしかなかった。
「ねえ、レイ。少し休憩にしよう。君、さっきから同じ行を三回も読み直しているよ?」
静寂を破る屈託のない声。セオドリックが、悪戯っぽく笑いながらレイモンドの肩を叩いた。
その手のトレーには、一口かじられたベニエの乗った皿と、二杯の紅茶がある。甘い菓子の香りが、冷たい数式の匂いを一瞬で塗り潰した。
「……計算が少し複雑なだけだ。お前こそ、当日のスピーチ原稿を仕上げたんだろうな」
レイモンドは事務的なトーンで応じた。
セオドリックはカウチに腰を下ろすと、机の上に広げられた自らの原稿――『魔導の民主化、誰もが光を享受できる時代へ』という輝かしいタイトルが躍る紙束を、愛おしそうに撫でた。
「スピーチなら完璧だよ。……ただね、少し『演出』を考えていたんだ。ほら、ベルツ閣下のようなお堅い方々が最前列に並ぶだろう? 少しばかり刺激があった方が、祭典の『新時代』を印象づけられると思ってね」
「……刺激だと?」
レイモンドの心臓が、ドクンと嫌な音を立てる。
セオドリックはカウチに背を預け、ふと思いついたように碧い瞳を輝かせた。
「例えばの話さ。そうだなぁ、君が舞台の上で僕に反旗を翻す……なんていうサプライズはどうかな? 君が僕のやり方を独裁だと告発し、僕がそれにショックを受けながらも、君の正義を認めて共に歩み出す、という……。ほら、あの日の叙任式の逆を演じるんだよ」
まるで「次の週末に何を食べるか」を相談するような軽さ。
だが、その言葉はレイモンドの心臓に鋭く突き刺さった。
「君なら、僕を裏切る悪役をどんな風に演じるかな? 『セオドリック、お前は間違っている!』なんて、冷たい声で言ってくれるんだろうね。……想像するだけでゾクゾクするよ。ねえ、レイ。ちょっとだけやってみてくれないか?」
「…………っ」
レイモンドは、ペンを折らんばかりの力で握りしめた。
あまりのタイミングの悪さに、一瞬、「俺を、試しているのか?」という被害妄想が頭をよぎる。
だが、目の前の碧い瞳にあるのは、どこまでも純粋な、親友への信頼だけだった。
セオドリックは冗談のつもりだ。いつもの「大がかりなサプライズ」の一環として、無邪気に楽しんでいる。
だが、レイモンドがこれから本当に行おうとしているのは、その『冗談』を無慈悲な現実へと変え、この光り輝く原稿を泥に塗れさせることなのだ。
「……よせ、セオドリック。悪趣味だ。縁起でもない」
声が震えないよう、喉の奥を固く締めた。
セオドリックは「冗談だよ」と笑いながら、レイモンドの右手に触れようと手を伸ばした。
レイモンドは咄嗟に手を引く。
「おや、冷たいね。……あまり根を詰めないでくれよ。君がいる限り、僕の王国は揺るがない。君が僕の隣にいてくれる。それだけで、僕は世界中のどんな悪意も、ただの余興に変えてしまえるんだ」
セオドリックは満足げに紅茶を啜り、レイモンドを信頼しきった瞳で見つめた。
その信頼が、今は何よりも深く、胸を抉る。
レイモンドは悟った。自分は、この男が信じる『美しい世界』を一時的に壊してでも、彼を死から救わねばならない。
そのために、世界で一番惨めな悪役を、本番で演じきらなければならないのだと。




