断頭台の月光 ――さらば、我が友よ――
その封書が寮の部屋の扉に挟まれていたのは、時計塔の鐘が深夜の訪れを告げた直後のことだった。
レイモンド・アシュクロフトは、届いたばかりの書状を震える指先で手に取った。上質な羊皮紙には、ランカスター公爵家の紋章――高潔なる盾と剣の紋章が、血のように赤い蝋で封じられている。
『深夜二時。学園北東の地下礼拝堂へ来い。二人きりで話がある。 ――セオドリック』
ただそれだけの短文。だが、レイモンドにはそれが、死刑執行人からの呼び出し状にしか見えなかった。
ここは、大陸中から選りすぐりの魔導才媛が集う、王立ラプラス魔導アカデミー。その頂点に立つ生徒会は、未来の国政を担うエリートたちの揺り籠だ。
送り主であるセオドリック・フォン・ランカスターは、次期宰相と呼び声高い公爵家の嫡男であり、学園の誰もが崇拝する生徒会長。
そして、没落した魔導具製作の名家・アシュクロフト家の生き残りであるレイモンドを、自らの副会長として強引に隣に据えた男でもある。
本来なら、光と影。決して交わるはずのない二人の主従関係は、これまで絶妙な均衡を保ってきた。
しかし、最近のセオドリックは、どこか奇妙だった。
生徒会室で目が合うたび、彼はいつもの太陽のような微笑を見せず、何かを値踏みするような、冷たく鋭い視線をレイモンドの首筋に注いでいた。
没落したアシュクロフト家の生き残りとして、学園の要職に居座る自分。次期宰相の座を約束されたセオドリックにとって、今の自分は「有能な影」から「拭い去るべき過去の汚点」へと変わったのではないか。
「……ついに、この時が来たか」
レイモンドは、細く冷たい吐息を漏らした。
彼にとって、この学園は家門再興のための唯一の足がかりであり、セオドリックの隣は唯一の安息の地でもあった。だからこそ、そこから排除されることは、単なる退学以上の――彼という存在そのものの消去を意味していた。
彼はクローゼットの奥から、家門が没落した際に唯一持ち出すことが許された、護身用の小刀を取り出した。魔導回路を断つための特殊な彫り込みがなされた、呪われた銀の刃。それを袖口に隠し、彼は闇へと足を踏み出した。
深夜の学園は、昼間の賑わいが嘘のように静まり返っている。
北東にある地下礼拝堂は、百年以上も前に閉鎖された、学園の負の歴史を封じ込めた場所だ。なぜ、あんな場所を。
石造りの回廊を歩くたび、レイモンドの足音が重く響く。それはまるで、墓場へと続くカウントダウンのようだった。
(セオドリック、お前は正しい……)
レイモンドは、暗い思考の海に沈んでいく。
光り輝く未来の宰相に、没落した家の自分は相応しくない。自分がどれほど有能であっても、背負った影を消すことはできない。セオドリックという太陽を曇らせないためには、自分という月影を完全に消去するのが、最も合理的で、最も慈悲深い解決策なのだ。
(分かっている。分かっているんだ。だが――)
袖口のナイフを握りしめる拳が、白くなるほどに強張る。
かつて自分を友と呼び、絶望の淵から救い上げたあの温かい手を、自分は信じていたかった。
もし、あの日差しのような男が、目的のためなら友さえも冷徹に切り捨てる真の王へと成長したのだとしたら、これ以上の悲劇があるだろうか。
礼拝堂の入り口に辿り着いた。
腐りかけた木製の扉が、外気を受けて、ギィ……と、呻くような音を立てて開いている。
地下へと続く階段からは、湿ったカビの匂いと、微かな……しかし確かな、冷たい魔力の残滓が漂ってきた。
レイモンドは、暗闇に呑み込まれるように階段を降りていく。
一歩、また一歩。
階段を降りるごとに、かつての友情の記憶が、氷の刃となって彼の心を引き裂いていった。
地下礼拝堂の最奥、崩れかけたステンドグラスから差し込む月光は、まるで断頭台を照らすスポットライトのようだった。
祭壇の前に、その男は立っていた。
「……来たか、レイモンド」
セオドリックの声は、地下の静寂に冷たく、そして重く響いた。
いつも彼を包んでいた、あの春の陽だまりのような暖かさは微塵もない。逆光の中で、彼の金髪は冷酷なプラチナ色に輝き、その手には――ランカスター家に伝わる聖剣が、抜き身のまま握られていた。
レイモンドは、あまりの威圧感に足が竦みそうになるのを、袖口に隠したナイフを握りしめることでどうにか堪えた。
「セオドリック……。こんな時間に、こんな場所で……何の真似だ」
「真似ではない。これは、僕たちが避けては通れない儀式だよ」
セオドリックが、ゆっくりと歩み寄ってくる。
一歩ごとに、床に溜まった埃が舞い上がり、死の匂いが強くなる。彼の瞳には、かつての親愛の光など欠片もなかった。そこにあるのは、ただ無機質で、冷徹な、王者の決意だけだ。
「レイ。僕は決めたんだ。……影は、もう必要ない」
心臓が、跳ねた。
レイモンドの最悪の予想が、最悪の形で肯定された瞬間だった。
セオドリックは、剣を水平に構え、その切っ先をレイモンドの喉元へと突きつけた。冷たい鋼の感触が、肌を通して死を伝えてくる。
「君という存在は、あまりに有能すぎた。僕の隣にいるには……あまりに深い影を背負いすぎている」
「……俺を、殺すのか。没落した家の生き残りを、今さら掃除しようってわけか」
「掃除、か。……フッ、いい表現だね」
セオドリックの口元が、歪に吊り上がる。それはレイモンドが見たこともない、狂気に満ちた冷笑だった。
「君の存在を、ここで終わらせよう。アシュクロフトの名も、君が積み上げてきた功績も、すべてだ。……誰も知らない、この暗がりの底でね」
「貴様……ッ!」
レイモンドは絶叫と共に、隠し持っていたナイフを突き出そうとした。
だが、それよりも早く。
セオドリックの聖剣が、月光を切り裂いて振り下ろされた。
「さらばだ、僕の影」
視界が、真っ白な閃光に呑み込まれる。
セオドリックの振り下ろした刃が、レイモンドの意識のすべてを断ち切った。
ああ……終わるのか。
信じていた光に、最も深い闇へと突き落とされる結末。
レイモンドは、薄れゆく意識の中で、自分を抱きしめるような、あまりに強い――そして、あまりに重い感触を最後に、深い奈落へと堕ちていった。




