夕暮れの帰路、静かな確信
石畳を叩く馬の蹄の音が、夕闇のヴィニョーラに心地よく響いていた。
帰路につく辻馬車の中、セオドリック・フォン・ランカスターは、反対側の座席で窓の外を眺める親友の横顔を、静かに見つめていた。
街灯の明かりが、レイモンドの艶のない黒髪に、小さな星を灯しては消していく。
今日の自分は、ひどく無様だったはずだ。食べ歩きに夢中になり、馬車に轢かれそうになり、挙句の果てには子供のように服を汚した。
公爵家の跡取りとして育てられたセオドリックにとって、それは本来、決して許されない隙だった。
(……だが、レイは失望しなかった)
彼はただ、呆れたように舌打ちをし、汚れた頬を拭い、当然のように僕の手を引いてくれた。
帝国の重鎮たちが求める完璧な後継者としてのセオドリックではなく、欠落だらけで、迷子のような僕を、彼はその深い夜のような瞳で真っ直ぐに見てくれたのだ。
セオドリックの胸の奥で、熱い塊がゆっくりと溶け出していく。
それは、これまで味わったことのない、暴力的なまでの安らぎだった。自分という巨大な魔力と責任の器を、たった一人、レイモンドという男だけが、人間のサイズに繋ぎ止めてくれている。
セオドリックは、自らの内に芽生えたこの奇妙な情熱を、ただの友情と呼ぶにはあまりに重すぎると感じていた。
だが、同時に確信していた。この重さこそ、自分がずっと求めていたものなのだと。
「レイ。……今日は、僕の人生で最も充実した一日だったよ」
セオドリックの声は、自分でも驚くほど低く、熱を帯びていた。
レイモンドは窓の外に流れる夜景から視線を戻し、わずかに眉を寄せて鼻で笑う。
「……仕事としての調査を忘れて、一日中道草を食っていただけだろうが。お前の充実の基準はどうなっているんだ。呆れるな」
「基準なら、今日書き換えられたよ。……誰にも期待されず、誰の目も気にせず、ただ君が隣にいてくれる。それだけで、世界はこれほどまでに色鮮やかに見えるのだと、初めて知った」
セオドリックは身を乗り出し、レイモンドの膝の上に置かれた手に、そっと自らの手を重ねた。
レイモンドは一瞬、弾かれたように肩を揺らしたが、拒絶はしなかった。ただ、居心地が悪そうに視線を泳がせ、吐き捨てるように言った。
「……当たり前だ。お前を放っておいたら、この国が滅びるからな。……俺がいないと、お前は一歩もまともに歩けないだろう」
「そうだね。君の言う通りだ、レイ」
その言葉を聞いた瞬間、セオドリックの視界から、すべての迷いが消え失せた。
(ああ……決まりだ。やはり、君しかいない)
レイモンドの「当たり前だ」という言葉。それはセオドリックにとって、世界で最も甘美な肯定だった。
彼は僕を見捨てない。没落し、何もかもを失ったからこそ、彼は僕という「光」の危うさを正確に理解し、その隣にいることを自らの義務だと受け入れたのだ。
セオドリックの脳内で、未来の景色が塗り替えられていく。
これから歩む、公爵家としての責務、帝国の中枢での戦い……。その過酷な日々のどこを見渡しても、隣にはこの「影」が必要だった。いや、この影がなければ、自分はいつか光の中に霧散してしまうだろう。
(君は僕を離さないと言った。ならば、僕も君を離さない。……たとえ君が、いつかその義務感に疲れ、逃げ出したくなったとしてもね)
セオドリックは、今日街で見かけた魔導写真機を思い出していた。一瞬を、永遠に定着させる魔法。自分もまた、この「僕たちだけの静かな時間」を永遠に固定し、誰にも踏み込ませない場所に閉じ込めてしまいたい。
「レイ。……これからもずっと、僕の隣で支えてほしい。……僕には君が必要なんだ。他の誰でもなく、君がね」
「……言われなくとも。お前を制御できる奴なんて、この世に俺くらいしかいないからな」
呆れたように笑い、重ねられた手を無造作に握り返すレイモンド。
その漆黒の瞳に宿る、歪なまでの責任感。セオドリックはそれを見て、今日一番の微笑みを浮かべた。
「ああ。……ありがとう。これからもよろしく頼むよ、レイ」
夜の帳に包まれた馬車の中、二人の影は一つに重なり合い、街の灯りの中へと消えていった。
一人はそれを『不器用な友情』と信じ、一人はそれを『永遠の所有』と決意して。
To be continued.




