歪んだ自負
「……くそっ、あのバカ……。寝顔だけは一丁前だな」
深い眠りに落ちているセオドリックの寝息を聞きながら、レイモンドは痺れる腕を動かして、再び作業台に向かった。
先ほどまでの熱狂的な共鳴は、レイモンドの身体に心地よい疲労と、それ以上の焦燥を残していた。
実験は成功した。だが、レイモンドの目は誤魔化せない。
セオドリックが注ぎ込んだ規格外の魔力は、今の術式では完全には受け流せていない。回路の隅々に、かすかな熱が残っている。これをこのまま放置すれば、次回の起動時には、このラボどころか実習棟ごと消し飛ぶだろう。
「あいつの理想は、いつも高すぎるんだ。……地面を歩く方法も知らないくせに、空を飛ぼうとする」
レイモンドは、充血した目で設計図を睨みつけ、再びペンを走らせる。
セオドリック・フォン・ランカスター。
未来の宰相と目される男。その頭脳も魔力も、文字通り国家規模の財産だ。だが、その強大すぎる力は、それを御せる器がなければ、ただの厄災でしかない。
(……そして、その器になれるのは、世界中で俺だけだ)
深夜の工房に、カリカリと硬いペン先の音だけが響く。
あいつが「最高だ」と笑った術式を、さらに磨き上げ、補強し、あいつの暴走を食い止めるための『楔』を打ち込んでいく。
泥臭く、地味で、気の遠くなるような微調整。
華やかな光の中で魔力を振るうセオドリックとは対照的な、暗がりでの孤独な戦い。
だが、レイモンドの胸を焼いているのは、不満ではなかった。
あの完璧な男が、自分がいなければ破滅する。
その事実が、レイモンドにとっては何よりも甘美な毒だった。
「……お前の理想を、俺が形にしてやる。……だから、お前は黙って俺の手の届くところにいろ」
明け方、ようやく最後の一線を書き加えた時、レイモンドの顔には、酷く歪んだ、しかし確かな優越感が浮かんでいた。
あいつが夢見る未来を、俺が裏側から支えてやる。
それは、忠誠心などという綺麗な言葉では到底片付けられない、歪な独占欲の変形だった。
窓の外から差し込む朝日が、ラボの床を白く染めていた。
レイモンドは、重い瞼をこじ開け、机に突っ伏していた体を起こした。首の骨が嫌な音を立てるが、目の前の完成品を見れば、そんな痛みも吹き飛んだ。
「……できた」
昨夜の暴走回路は跡形もない。セオドリックの巨大な魔力を、幾重ものバイパスで完璧に分散・再構築した、究極の安定型結界。
ふと、背後に気配を感じた。
「おはよう、レイ。……君の言う通りだ。朝日の中で見るこの回路は、どんな宝飾品よりも美しい」
いつの間にか起きていたセオドリックが、いつもの完璧な笑顔を浮かべて立っていた。寝起きだというのに、その佇まいには一糸の乱れもない。
「……これでお前の無茶な夢想も、安全に実行できる。……喜べ、これで発表会は成功だ」
レイモンドがそう言い切った瞬間、セオドリックの瞳に、ひときわ強い光が宿った。彼はレイモンドの手を、両手で包み込むように握りしめた。
「ああ、もちろんだとも。……だが、それ以上に嬉しいことがあるんだ。レイ、君は徹夜をしてまで、僕の魔力を受け入れるために心血を注いでくれた。……僕がいないと、この魔導具は完成しなかった。そして、君がいなければ、この魔導具は爆発していた。……この世界に、これほど完璧な補完関係が他にあるだろうか?」
「……お前、また大げさなことを……」
レイモンドは毒づきながらも、握られた手の熱を振り払えなかった。
自分の価値を、この男だけが正確に評価している。その事実が、心地よい呪いとなって身体に染み込んでいく。
「僕はね、夜明けに君の作業する背中を見て、決めたんだ。……君という稀代の盾を、もっと大切にしなければならない、とね」
セオドリックは、さらに一歩、レイモンドとの距離を詰めた。
それは、友人としての親愛の距離か。あるいは、宰相が自らの領地を確認する執着の距離か。
「だからね、レイ。……発表会が終わったら、僕と一緒に次の段階へ進もう。……僕たちの力を合わせれば、この国の仕組みさえ書き換えられる」
「……は?」
レイモンドの困惑をよそに、セオドリックの微笑みは、朝日を浴びてさらに眩しく輝いた。
「……あ、そうだ。レイ、最後にもう一つ。君への感謝の印に、僕の方でも少しだけ術式を『最適化』しておいたんだ」
セオドリックは、弾んだ声で付け加えた。その表情は、愛する友人に最高のサプライズを成功させた子供のように、純粋な輝きに満ちている。
「最適化……? おい、余計なことをするなと言っただろう。どこを弄った」
レイモンドは嫌な予感に背筋を凍らせ、慌てて魔導核の深層回路をスキャンした。
そこには、昨夜までは存在しなかった、見慣れない金色の術式が緻密に組み込まれていた。それも、防御結界とは全く無関係な、非常に高度な『空間転送』の術式だった。
「君は集中すると食事も睡眠も忘れるだろう? だから、この魔導具が君の魔力波長を常に監視し、君のバイタルが一定以下になったら自動で発動するようにしておいた。……即座に僕の自室のベッドへ、君を転送する仕組みだ」
「……は??」
レイモンドの思考が停止した。
何を言っているんだ、この男は。
「さらに、僕の魔力と同期させてあるから、君が倒れそうになると僕のデバイスに通知が来る。……これで、僕がいつでも君を抱き留めに行ける。……どうだい、レイ? これで君は、安心して僕のために、心ゆくまで仕事ができるだろう?」
セオドリックは、一点の曇りもない、無邪気な笑みを浮かべた。
それは、友の健康を心から願う、至極真っ当で、最高に自分勝手な親切心の結晶だった。
「…………っ、お前、馬鹿か! 何を考えてるんだ!!」
数秒の沈黙の後、レイモンドの絶叫がラボに響き渡った。
「誰が仕事中に強制転移――しかも、お前のベッドに運ばれたいなんて言った! そもそも回路の無駄遣いだ! 今すぐ消せ、その呪いみたいな術式を!」
「呪いだなんて心外だな。これは僕の愛着の証明――絶対に消さないよ」
「…… このッ、自己中宰相候補!」
激昂してセオドリックの胸ぐらを掴もうとするレイモンド。
だが、セオドリックはそれを軽やかにかわし、まるでダンスでも踊るかのように優雅な動作で、再びレイモンドの肩に手を置いた。
「ははっ、元気になったね、レイ。やはり、君と僕が力を合わせれば、未来は明るい」
「……話を聞け!」
朝日が差し込むラボで、怒りに天を突くレイモンドと、それを見て満足げに微笑むセオドリック。
嵐のようなストライキの前日譚は、こうして一旦の幕を閉じた。
To be continued.




