第1話『それは、私が聖女であるゆえに』
前世の名前。本名、加藤鈴奈。
死んだ時は、確か16の高校1年生の冬だったような気がする。
加藤家の父は、厳しい人だった。娘を二人産み、片方を溺愛し片方を医者にしたいがために厳しく育てた。
幼少期からのお受験組。テストで満点を取るのは当たり前で、顔に一つでもニキビや痣ができただけで首から下に調教を施すような男だった。
「父よッ!やりすぎだっ!!」
姉はいつも庇ってくれた。
家ではいつも私の近くにいてくれていて、厳しさが出ると「そこは私が分かるから私が教えてもいいだろうか」と言って自室へと連れてってくれる。
母は精神を壊した女だった。
父の影響か、「普通」という概念に苦しみ、壊れ、精神病院へ何度も通院していた。
だから加藤家の家事全般は私がした。姉もできる限り手伝ってくれていたから、二人でしていた。
そんな場所での娯楽は、姉がアルバイトして溜めたお金で買ってきたライトノベルだった。
昔から、アニメは好きだった。
『魔法』というのがこの日本に存在していたら、どれだけいいだろうか。
汚れを落とす魔法。怪我を直す魔法。姉の心を癒す魔法。
なんでもいいから、あればいいのにと思った。
「さしずめ、スズナは救国の乙女で、私は騎士かな?」
「……。姉さん」
「なんだ?」
「姉さんが、高校を卒業したら、家を、出たい」
「……。分かった」
いつか。そうだ。死ぬ、前日。
珍しく私は姉と二人の時に弱音を吐いた。初めての我儘を言った気がする。
私の我儘を聴いて、姉は少し考えるように黙り込み、それでも強く頷いた。
強く、本当に強く私を抱きしめ、梳くように頭を撫でてくれた。
でも、本当に申し訳ないことをしたように思えた。
「ーーお前の親父、ヤバいことをしてるんだってなぁぁ?」
翌日。クラスのいじめっ子が昼休み中に私に近づき、スマホを近づいて見せつけてきたのはとある写真。
一体どうやって撮影したのか、尾行したのか――そこには制服を着た少女と繁華街を歩く父の姿があった。
「……だから、何?」
本当にだから、何だと思う。
昼休み、無視を決め続け、帰宅路に着いたときに私は橋を見た。
水深が深い川の橋の上で、ぼーっと水面を見つめる。
(……疲れた)
父の悪事を知ったからか。娘にだけに飽き足らず、他の子に手を出した。
父のその行動がバレれば、悪事を働いた男の娘として姉さんが悪く言われるかもしれない。
「姉さんを、守らないと」
ぐるぐると色々と考えて、出た結論がそれだった。
靴を脱ぎ、橋の上に立つ。
「ーースズナ……?」
運悪く、姉さんが橋の上に来た。友達と一緒に帰っているらしい姉さんは私の姿を見て、すごく驚いていた。
「すずな……。やめろ……。やめるんだ……っ」
友達も驚いていた。鞄を落として、片手を伸ばしながら震えて近づく姉さん。
姉さんも限界が近いのは知っていた。ふるふると顔を横に振り、この現状が向かう結果を簡単に想起させた。
「スズナッ!!!」
「姉さん」
「……」
「幸せに――生きてね」
私は満面の笑みを浮かべた。よく、姉さんにも言われる。
それは、「嘘」をつくときの笑顔。
私は橋から滑り落ちるようにして落下した。
水面に激突し、川の激流の中に取り込まれる。
ぼこぼこと大量に口から気泡が吐き出され、肺に水が入り始める。
苦しい!辛い!!
でも、そう思ったのは十数秒で。
死ぬ直前、誰かが両頬を包む感覚があった。温かい光に包まれた気がした。
その『声』は私の耳元まで口を近づけ、囁いた。
「お前は素質がある。修羅の道を往かせてやろう。そして――その先の幸せを掴んでみせろ」
そうして、気づいたときには。
「スルナお嬢様」
ウールの手に抱かれ、赤子の姿になっていた。泣きじゃくるウールはとんとんと赤子の私の背中を叩き、優しい声で言う。
「ウールは。お嬢様のただ一人の、味方ですからね」
これが、加藤鈴奈からスルナ・アレクサンドリアになった日の簡単な出来事だった。
※※※
一週間後。
私は『お迎え』の準備でウールに『聖女』としての正装に着替えながらウールの抗議に耳を傾けていた。
「納得できませんッ!お嬢様ッ!!」
いや、納得できません!お嬢様!と言われてもですね、ウールさん。
あちら側。シュウルヘイム王国からの『お礼状』には、私1人で来るように言われてるんだもの。仕方ないじゃない。
従者を一人くらいつけてもいいのではないかと思ったが、なんでも『機密保持』のためからダメだよと書いてあった。
私としても、ウールをあちら側に連れていくつもりはない。
噂は信じていないものの、それでも『魔王』による被害が大きい大地にウールを連れていくのは危険すぎる。もっと言えば、私は誰かに死んでほしいとは思わない。
ウールはその身を賭してでも守ろうとする。だから、連れていかない。
「ウールはウィリアに仕えて。ウィリアも承諾してくれたから」
「いやですっ。私はお嬢様についていきます」
「いや「勅令」だし」
こればかりはウールと言えど、無視はできない。
帝からの命令と他国の王からの命令。流石の私でも、それを無視することはできない。
「でもぉ……」
身支度が完了し、後ろを振り向けば泣きそうなウールがいた。
ウールは本当に優しい。私が嫉妬してしまうくらいに、本当に。赤子の時に殺されかけた際も、全身全霊で守ってくれた。
この国で信じられるとしたら、それはウールとウィリアの二人だと思う。
「ごめんね」
こんこんと、扉の戸がノックされた。ガチャリと開かれる扉の先にいるのは騎士の服に身を包んだ第一皇軍の師団長。帝も、アレクサンドリア家に来ている。
「聖女様。お時間です」
「うん」
「お嬢様っ!!」
ウールが私の包帯にまみれた手を掴む。一瞬だけ、時が止まる。
でも、私はウールの手を振り払った。
「ーー行こうか」
部屋を出て、扉を閉める。すると、扉の内側から悲痛な叫びが聞こえた。
「う、うぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
私はそれに背を向けることなく、歩く。
師団長が私を心配そうに見るが、私はにこりと笑う。
「よろしいのですか……?」
「いいの。私は、私のせいで誰も傷ついてほしくないから」
「……そのためなら、突き放すと」
「誰かに傷つけられるのは、許さないからさ」
師団長の手で、顔を覆う為のベールを被せられ、顔を半透明の布で隠す。
この醜悪な相貌を見せないようにして、少しでも早く隣国に明け渡すための手段らしい。
「……承知いたしました」
聖女の意志。齢7歳から『聖女』としての務めを果たす鬼才を持つとされた私の言葉を尊重してか、師団長は静かに頷き、認めてくれた。
二階の廊下を進み、一階の玄関に続く階段まで歩けば、そこには見慣れない服装の者達がいた。
綺麗な『黄金』の髪。少々癖毛のありそうな風格から見て「王族」と分かる男性とアポルリ陛下が何かを話していた。
シュウルヘイムを象徴とする『精霊と霊樹』が刻まれた騎士服をその場にいた十数人が纏っていて、その中でも一風変わった服に身を包む人。
「あれは……」
「アルヘイム王子です」
「第一王子の?」
「はい。今年で、18になるお方。王の第一継承権を持つお方です」
アルヘイム王子は二階にいる私達に気づくと、すぐに膝をついて頭を下げた。
アルヘイム王子が「儀式礼」をすると、それに習い他の騎士達も皆が私に向かって跪き、頭を下げる。
なんか、悪の女帝にでもなった気分だった。
私は師団長に支えてもらいながら階段を降り、アルヘイム王子の前に立った。
私が近づけばアルヘイム王子は頭を上げ、曲げていた膝をもとにもどす。
「聖女様にご挨拶申し上げます。私の名はアルヘイム・シュウルヘイム。此度は、ウルヘイム・シュウルヘイム王の『代官』として参りました。本当はウルヘイム王自らが足を運ばなければならないこと、お詫び申し上げます」
「い、いえ……」
真面目な人なんだなぁ、と少々面を喰らってしまった。
アルヘイム王子はじぃーと私を見ると、爽やかな笑みを浮かべ、私の手の甲に軽く口づけをする。
すると、少しおかしなことが起きた。
「……ぇ」
それはあまりにもか細く、呼吸と共に出たから周りはあまり気づかない。
でも、なんでかアルヘイム王子が口づけした場所にあったはずの気だるさ――『呪い』が少し緩和させられた。
ぱっ、と顔を上げれば、アルヘイム王子は淑やかな動作で唇に人差し指を当て、私の手を取りそのままアポルリ陛下の方に向き合う。
「では、アポルリ陛下。我々は聖女と共に帰ります。霊石につきましても事前に半分、後日、半分我が騎士団の手でお送り致します」
「ああ」
軽く頷くと、私は何も言えずにアルヘイム王子の手引きで歩かされた。
でも、ぐらりと揺れてしまう。私は常にウールによって支えられながら歩いていたし、口こそは動く者の身体全部となるとまた別の話だ。
「まっ……て、」
「……。聖女様、御身に触れても?」
「え、」
「失礼」
私が何かを言うよりも早くに、アルヘイム王子の手に引っ張られ、ひょいっと横抱きにさせられた。
にこにこ顔で黙らされ、そのまま外に用意させられていた馬車に乗らされる。
「あ、あのっ?」
「ああ。申し訳ない。君はあの場にあまり居たくないように思えたから、すぐに連れてきてしまった。ダメだったかい?」
座面に座らされ、向かい側にアルヘイム王子も座る。
アルヘイム王子は私と二人っきりだからなのか、砕けた口調で喋りかけ、私に尋ねてきた。
……この人、鋭い。
「さっきの……」
「ん。これかい?」
アルヘイム王子は私の手を持ち上げ、もう一度口づけをする。
ーーふわ。
まただ。身体を重くしていた紐のようなものが解けるような感覚。
甘く、溶けてしまいそうなその不思議な感じに身を震わせると、「くっくっくっ」と笑った。
「『天然の呪い』に罹っているのだろう?」
「なんで、それを……」
「見れば分かるさ。布で隠されていても――ね?」
馬車が出発し、外の景色が変わる。
皇城でしか外に出ないから、すぐにいつもと違う景色に変わるがそれよりもどうしてかこの王子の不思議な雰囲気に当てられてしまう。
両手にしていた手袋を静かに取られ、その下にある何重にもされた包帯を見る。
「……流石に、これはひどいな」
「アルヘイム王子は……呪いの専門家、なのですか?」
包帯から漏れ出る瘴気。包帯の隙間から見える罅割れに顔を顰めるアルヘイム王子。
私でもまぁ、分からなくはないがそれでも他人がみてそこまで分かることに驚きだ。
「まさか。オレより、リードの方が詳しい。でも、王族のオレが見ても分かるんだ。どうして、こんな”甘い処置”しかされていないんだい?」
「……」
その言葉に、かたりと身体が揺れた。
少しの沈黙が、馬車の中に満ちる。アルヘイム王子は黙った。黙って、美しいアメジストのような紫紺の瞳を向けてくる。
「……私が、聖女、だからですよ」
私はただそれだけを言った。みっともなく、感情を曝け出してただそれだけを言う。
アルヘイム王子は他の説明が欲しがってそうだった。でも、私のベールの下に隠された表情を見て、私の心中を察してくれたらしい。
「……オレには、二人の弟がいるんだ」
「……」
「いや、王も含めたら、俺は二番目の兄なんだけど」
「……」
「すまない。さっき会った、だけだし、オレは君の事前情報しか知らない。でも――だ」
アルヘイム王子は私の隣に座った。座って肩を引き寄せ、無理やり自分の胸元に私の顔を押し付けた。
「よく。頑張ったな」
「ーーーーーーーーーーーーーー!」
その言葉に、目を大きく見開いた。顔を上げようとすれば、後頭部を押さえつけられ上げさせてくれない。
でも、ほんの少しだけアルヘイム王子の口元が見えた。
それはただ作り笑いではない、本当の、アルヘイム王子の『感情』から生まれた微笑み。
がむしゃらに、地獄とも感じられる場所にずっといて、虐げられた者への慈悲の笑み。
「ーー何も、私は返せませんからね」
「いいんだ。今は、いい」
久しぶりだった。
本当に、久しぶり。
久しぶりに私は、『人の温もり』というモノに、触れられた気がする。
その気持ち良い心地のまま、私は体力の限界がきて意識を手放す。それを抱えたのはアルヘイム王子で太ももの上に私の頭を置いてそっと私の髪を梳くように撫でた。
「……」
その手つきから感じる『何か』。それは、前世の姉から感じたものとよく似ていて。
不思議と、口元だけがその存在を囁いていた。
「ねえ、さん…………」