40.ブルーバック合成成功、そして使節団到着
白蛇姫が恋人を捕えた大寺院を魔法の洪水で襲う。
本作後半の見せ場である。
しかし、洪水で寺院のシーンはテストではあるが撮影済。
今回は、魔力を放つ白蛇姫が荒れ狂う曇天の中で呪文を詠唱し続ける場面である。
妖しく美しく、そして激怒すれば大地を飲む怒りの姫を、コーランに演じて貰う。
「今までの場面は上手く行ったのですか?」
『ええ。この場面が上手く行けば皆さんにお見せ出来ますよ』
『場面ごとに見せてくれないのね』
『この場面が上手く行けば、自信をもってお見せ出来ます』
『ケチね』『ははは…』
東国語で談笑するリック監督をアイラ夫人が引っ張っていった。
同行してきた東国の、やや若い美女、いや可愛らしい美少女ともいうべき女優が侍女を演じる。
コーランと侍女役の後ろには、セットも何もない、群青色の壁。
合成カットとはいえ、主演女優の撮影には本編のハベスト監督が演技指導を行う。
そこに水飛沫が飛ぶ。水に濡れながらコーランは竜巻を呼び洪水を呼ぶ呪文を、鬼の形相で唱える。
「はいカーット!OK!」
「次は楼閣から落ちて危険になった青年を、白蛇姫が案じる場面行きまーす!」
再び水しぶきを浴びながら、今度は青年の危機に我を忘れ呪文を止め狼狽える白蛇姫。
侍女が「呪文を止めてはなりませぬ!水が戻って来ます!」と諫めるが白蛇姫は「あの人が危ない!助けて!」と狼狽える。
侍女は白蛇姫の頬を叩く、が。
逆流した大洪水に二人は飲まれてしまう!
「はいカーット!OK!」
アイラとセワーシャが布を持ってコーランたちに向かう。
「ありがとう。あなたの御主人は容赦ないわね」
「私にはとても優しい主人ですわ」
「ええ。見ていればわかりますわ」
そんな言葉を交わしたそうだ。
「それにしても、特撮っていうの?
セットもなにもない所で演技するって、余っ程想像力と演技力が試されるのね」
「主人もそれを気にしています。でもコーラン様なら大丈夫だろうと申しておりました」
「じゃあ水濡れ芝居の代りに、この国のドレスを贈って欲しいって伝えて下さらない?」
「いいえ。ドレス代を追加報酬に加え、よい仕立て店をお教えしますわ」
『抜け目ないわね』
『あの人の妻ですから』
付き人の様だったアイラ夫人まで東洋語を話したことにコーラン嬢は驚いた。
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合成素材は揃ったが、これからが合成班にとっての本番だ。
今迄白黒フィルムで、黒いバックで撮影してきた。
今回は天然色フィルムで、ブルーバックで撮影した素材を綺麗に抜いて、合成素材の感度や色彩を保って合成しなければならない。
「俺の世界じゃ合成はRGB別々のフィルムで合成して一つに纏めたんだけど…
俺はアイディーとアイラが作ってくれたフィルムを信じる!」
失敗した。
色の感度が低い。白蛇姫が顔面蒼白だ。
「これ位なら、現像の色味で補正できるよ~」
アイディーが幾度か試した。
貴重な天然色フィルムが失敗作として積み上がる。
「それ捨てないでね。いい失敗の教材になるから」
次の合成では、本編側の青みが強すぎて、一部衣装が透けて背景が見えてしまう。
「もうちょっと調整しようか」
そして4回目。
「これが…これが精一杯だよぉ~」
アイディーの言う通り、人物の顔が白っぽかったり、一部背景が透けるが、まずまず妥協できる色味の合成が出来た。
「よし!ありがとうアイディー!
これで君達が作った天然色映画のお披露目が出来る!
みんな驚いて目を廻すぞ~!!」
「ディー、お疲れ!」
「ぐう」
アイディーは寝ていた。
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ヨーホー本社の試写会場。
まだ本社ではなく、機密を考え社長や重役にお越し頂いての、音楽もついていない、それも僅か5分の試写であった。
しかし誰もがその価値を疑う事は無かった。
その5分がまたしても世界を変える。熱い期待を抱いて白亜の殿堂の試写室に集まった。
その中には、主演に内定しているコーランと、同行してきた東国の俳優達もいた。
映像が始まる。白黒で開始の秒を刻むカウントリーダーが写り…
「「「おお!!!」」」
そこには、キリエリア人のほとんどが見た事のない色彩の世界。
広々とした湖と青い空、緑の柳がそよぎ、桃色の花が咲く。
湖畔には赤い柱と黄色い瓦の楼閣が並ぶ。
次いで本編。異国の街に行き交う、様々な色の衣をまとった人々。
一同がかたずをのんで見守る中、コーランは涙を流した。
「ふるさとだわ。私のふるさとが、こんな地の果てに…」
同行した侍女役の女優も、他の東国人も泣いていた。
その中を、侍女を連れて向かって来る主人公、コーラン演じる白蛇姫。
その美しさに、ヨーホー社一同がかたずをのんだ。
そして、青白い稲妻の合成が入り、禍々しい色の雲が渦巻く。
異常な空の前に立つのは、ブルーバックの前で撮影した、あのズブ濡れの演技だった。
呪文を唱える先では、巨大な寺院が洪水で崩れていく。
寺院の僧侶達に楼閣から突き落とされそうになった青年、配役未定なのでアックスがスタンドイン。
これも合成で、楼閣の屋根から落ちそうになるも瓦にしがみ付き、その下には洪水が迫る。
案ずる余り呪文を止め、侍女に叩かれる。二人目掛けて迫る大洪水!
試写室に明りが灯る。
「え?これで終わり?」
「制作発表、使節団殿の歓迎迄にはこれが限界です。これから音付けに入りますよ」
「間に合うの?」
「今の5分のフィルムを3分に縮め、音楽とセリフをかぶせて予告編にします。
発表は撮影所、白蛇姫の屋敷のセットで。
この予告編を上映して行いたいと思います」
「コーラン使節殿、如何でしょう?」
コーランは涙をぬぐいながら答えた。
「大変結構です。全て、リック監督の構想で進めて下さい」
万雷の拍手が沸き起こった!
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ボウ帝国使節団到着まで後1ケ月。
先ずは音楽を決めなければと、エクリス師の下へ。
「待っていましたよ」と、師の背後には、東洋の弦楽器や打楽器。
「よろしくお願いします!」とリック監督が差し出し合のは、王立学院の文献から書き起こしたボウ帝国の音階とグランデラ大陸の音階の対比表。
「あなたは映画に専念しなさいって。ホントに多才だねえ」
呆れつつ、自分の構想とリック監督の注文のすり合わせに入るエクリス師だった。
白蛇姫の主題は少々両者で異なった。
エクリス師は東国の楽器でのオーケストレーションを訴えたが、リック監督は東国の楽器、しかもビブラートを効かした幽玄の曲調で主題を奏で、その後にオーケストラが主題を返す対話的な協奏曲を主張した。
そして全体にはコーラン嬢の独唱コーラスと、それに呼応するかの様な女声合唱がかぶさる。
「そう来ましたか」
二人、いや譜面起こしを行う助手を含めた人数で試写を鑑賞し…
「これは…凄い!」
エリクス師はリック案に従うことにした。
エクリス師の作曲した主旋律の前半分を東国の弦楽器でリック監督が演奏し、それに応える様に後半分がオーケストラが続き、間奏部を東洋の打楽器を含め続ける。
時間がないため女声合唱はオミットされ、コーラン嬢の独唱が録音された。
一転して大洪水のクライマックス。白蛇姫が妖術を振るう場面の不穏な主題を強く発展させた、壮大なオーケストラ。
「主題歌も欲しいですね」
「コーラン使節の歌声も素晴らしかったですからね!」
「お願いします」
「じゃあ歌詞は監督にお願いします」
「え?」
白蛇姫の主題の前半分を女声コーラスに、後半部を加え、青年との愛に包まれる幸福を短い詩に纏め、コーランに意見を求め…全部書き直された。
語感がおかしかった様だ。
ボウ帝国語を正とし、これをグランテラ語に訳した物を書いて微調整し、二か国語で主題歌が録音された。
物凄く高く澄んだ声だった。
今の音盤でこの美しい歌声を記録しきれるか、リック監督は心配する程だった。
音楽は劇伴も主題歌も全て単音と立体音響とで録音された。
こうして映像が完成する前に録音された音源、プレスコ=プレ・スコアが録音されフィルムに焼き込まれた。
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ボウ帝国の使節団は王国の港から王家用の鉄道で王都に招かれた。
道中は国民が歓迎し、社内では食事やリック特製の発泡ワインが供され、使節団は王都に到着。駅からは迎えの魔道車、天蓋の無いオープンカーが国民の歓迎する中行進し、王城に到着した。
オープンカーは陸軍の軍楽隊、実はヨーホー映画の楽団が一日限定で軍の身分を与えられてヨウ帝国の軍楽を演奏して先導した。
これも外交の戦いだ、とリック少年が入れ知恵して実行させたのであった。
お王城では国王・王妃達が歓迎し、王城内の迎賓館に招いた。
この様子は天然色フィルムで撮影され、白黒フィルムでプリントされて劇場に配られた。
ニュースフィルムをカラーでプリントするには高価過ぎたからである。
数年前までは国交があったとは言え、その使節団の姿や歓迎行列を劇場で改めて見ると、それはまるで新たな国と新たな時代が始まる様な期待を観客に抱かせた。
だが、本当の使節団の歓迎はこれからであった。
国王カンゲース5世は憂いた。
「君の言う通りにならなければいいのだがなあ、リック君」




