22.立体音響の第一歩は音盤から
ヨーホー特撮超大作第二段「聖典」は封切り前から王都の、各領都の、そして村々の、周辺諸国の話題をさらった。
なにせ前作「キリエリア沖海戦」。
映画というものを、今までの劇場中継レベルから、まるで自分がその場に居合わせるかの様な迫力を感じる別次元のものへと進化させた革命的映画。
それをしのぐ高評価だ。
しかも大陸の人々が生まれてこの方ずっと教えられた聖典が映画に。
しかもしかも、総本山の高位神官たちがこぞって讃えたという話題作。
果たして封切りの動員数は前作以上であり、初回上映が終わってもだれもが席を起たずもう一度見ようとする始末。
やむなく「1回見たら劇場を出ろ」と劇場主が命じる騒ぎに。
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ヨーホー本社の試写室。
「残念ね…」
この盛況の報告を受けつつ、神殿で使われた立体音響システムを眺めつつセシリア社長は呟いた。
「あの準備期間じゃアレが限界ですって」
「でも大神殿では素晴らしい音響効果だったじゃない」
「巨大な石造空間と劇場じゃ残響音が違いますって。
本当の立体音響のためには左右だけじゃなくて前後、4とか6つの別の音が必要ですって」
当時としては左右から別の音が出て、それが立体空間を感じさせるという発想自体が存在しなかった。
それを前世の知識でリック少年は再現して見せた。
更に、多チャンネルの概念を模索し始めていたのだ。
「リックちゃんは本当にすごい事考えつくのねえ~」
セシリア社長はリック少年を金の卵の様にありがたがり、同時に物凄い事を思いつく天才と恐れ、更にやりたい事に必死にかじりつく愛嬌ある少年としてかわいがった。
「あの~俺には婚約者がいますので~」
抱きしめてなでなでされていたリックは社長の熱い抱擁から逃げた。
「でもいつかは立体音響、モノにするわよ!」
「へいへいー」
「研究費出すから」
「毎度あり~!」
神殿で試写された立体音響版「聖典」はヨーホー社の倉庫に厳重に保管された。
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「光~あれ~」「神は始めに仰せられた~」
「「産めよー増やせよ、地にー満ーちーよー!」」
「聖典」の第一主題、ライトモチーフが、畑仕事の農夫から、野原で遊ぶ子供から、街の居酒屋からまで聞えて来る。
「民が聖典に親しむのは良い事とは言え、野良仕事や遊び歌、酒場まで歌われるというのは如何な物か?」
レイソン大神殿ではそう疑問視する神官がいた。
「何を言うか!賛歌は祈りだ!祈りが民の間に満ちる、こんな素晴らしい事があるか!」
そう捲し立てるのは、例によってミゼレ祭司。
パクス枢機卿も同意する。
「私も良い事だと思いますよ。
民が聖典の言葉を何気ない日々に口ずさむ。これは世に祈りが満ちる、よい事だと思います。ええ」
「いっそあの音楽を音盤にして世に広めてはいかがでしょう?
貴族でも映画フィルムそのものを買えるのは上位に限られます。
音盤であれば全ての貴族に、平民でも豊かな商人などなら買えるでしょう」
ノリノリでミゼレ祭司は意見を述べた。
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「音盤?映画の劇伴を?」
今迄、有名な演劇を素のまま撮影していた幼稚な映画界では初めての衝撃だった。
と言うか、初めての衝撃の連続波状攻撃であった。
神殿の要望に、頭が付いていけないセシリア社長は唖然とした。
「アリだと思いますよ、社長。
これを機に立体音響、ステレオフォニックを世に広めるもよし、単一音声でも売るもよし」
リック少年がそう話すと、アイラ嬢が蓄音機本体の左右に布張りの箱を付け、喇叭の様な発音部の無い機器を準備した。
「個人的に左右別々に録音した音源なので、音声や楽器編成バランスがよくありませんが…」
そう言って再生した音盤。
「「「ほ、ほあああ~!!!」」」
40人編成のオーケストラが奏でる『聖典』のタイトルファンファーレと、大合唱。
しかしそれは左右から別の音が迫って来る、大聖堂の立体音響を再現したものだった。
「か、買う!この音盤と立体音響、というのか?この蓄音機を買う!買わせて頂きたい!」
「毎度あり~」
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かくして、『聖典』の音楽が立体音響、リック少年の言うステレオ=固い、立像の音響として発売されることになった。
世界で初めての試みであり、音盤だけでなくステレオ蓄音機を含め、何と数十万デナリという非常に贅沢な商品となった。
だが新し物好きな貴族はこれを求めた。
そして「これからの音楽はステレオが主流になる!そうなれば蓄音機も大量に作られ、値も下がる」と見越した者はステレオ音盤だけ買った。
この発明のため、リックと英雄チームはしばらくは蓄音機工場として稼働し、数か月後にセシリア社長が立ち上げた新会社「ヨーホー音盤公社」に事業を譲渡するまで工場の様に働くのであった。
「しまったなあ~、こんなバカ高いものに飛びつくバカがこんなにいるたぁなあ~」
「お前の作る物だよ!誰もが飛びつくに決まってんじゃんよ!」
時に肉体労働まで手伝いつつ、リックは嘆きアックスは励ました。
この発明と数か月の働きで、彼らは膨大な利益を得たのだが、そんなものを気にしている余裕は彼等には無かった。
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思わぬ利益を手にしたのはリックとゆかいな仲間達だけではなかった。
「映画の劇伴は、純粋な音楽ではありません。
俳優のセリフ、効果音と合わさって初めて完成する場面の、一つの部品でしかありません。
そんな部品の様なものを商品にするのは、正直気が進みません」
と言ったのは、他ならぬ『聖典』の作曲家、ユピトル・エクリス師。
「エクリス先生、それは違います。人間はそんな低能ではありませんよ」
「リック監督、どういう事です?」
「人間の記憶力は大したものです。
音楽が流れれば、それを聞いた人はあの映画を思い出します。
いえ、映画を越えて、聖典の世界の中に自分が立っているかの様に感じる事が出来るんです。
先生はそのための音楽を作曲されたのでしょう?」
リック少年の反論に、大作曲家のエクリス師はたじろいだ。
「それは君、買いかぶり過ぎじゃないか?」
「人間だれでも持っている力ですよ。
子守歌を聞けば母親を思い出す。
大祭日の聖典合唱を聞けば敬虔な気持ちになる。
祭りの歌を聞けば酒を飲みたくなる。
エクリス先生はそれらと肩を並べる音楽を二作も世に送り出したのです!」
「ははは。君は稀代のペテン師だねえ」
賛同したのか皮肉なのか解らない答えと共に、エクリス師は商品化に条件を出した。
「映画の時間の枠を意識しない演奏にしたい。
立体音響にするなら、その効果を試したい」
「じゃあ、いっそ『キリエリア沖海戦』も再演奏して立体音響で売りましょう!
何より俺が買いたいですよ!」
「はは。やっぱり君は凄いペテン師だな!」
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こうしてこの世界で初のステレオ音盤が二枚。
『交響的叙事詩 キリエリア沖海戦』『故郷的幻想曲 聖典』。
無論、今まで普及した単一音声の蓄音機向けの音盤も販売された。
消えた。
販売と同時に消える様に完売した。
「「「重版してくれー!!!」」」「毎度ありー」
新会社「ヨーホー音盤公社」は好調な船出をできた様だ。
ステレオ音盤の特許も利益も向こう数十年はリック少年達の懐を潤す。
そして、エクリス師にとっては仰天する様な利益を生み出し、彼は嘆いた。
「映画音楽という物は恐ろしく世間に染みわたる物だ。決しておろそかにしてはいけない。
一生己の目の前にぶら下げられる以上、十年後でも百年後でも恥じる事なき様魂を込めねばならない。
しかし締め切りが厳しい劇伴では中々そうも言ってられないのも事実だ」
と、自戒するかの様に語った。
何しろその十年後。
音声放送技術が充実した頃には、大商店、大食堂などで館内に高名な映画音楽が放送される様になるのを、師は何度も聞いて複雑な気持ちになったと言っている。
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映画『聖典』は前作相当の3億デナリを稼いだ。海外や延長興行を加えた最終予想は4億デナリ以上と期待された。
ただヨーホー社は同業者や他国からのやっかみを懸念し
『じゃあ総本山に寄付しましょうか』
とのリック監督のヒトコトで総本山とキリエリア神殿にそれぞれ1千万デナリをポンと寄付した。
この大盤振る舞いに感激した総本山、キリエリア神殿がヨーホー社に赴きそうになったのをセシリア社長とザナク公爵が必死に止めた。
以来、各国各地の神殿では大祭日には『聖典』が無償で上映される様になり、大陸の人々にとって基礎教養として広く共有されるまでになった。
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「俺が特撮ファンになったのは、子供の頃に見た映画もあるけど、やっぱり音楽なんですよ」
とリック少年が話す。
「見たことも無い、古い怪獣映画。でもしっかりと揺るがない壮大な音楽。
音盤から流れる迫力ある音楽が、俺を怪獣、いや特撮ファンにしちゃったんですよね」
そんな事があるものだろうか?
いや、演劇そのものを見るより演劇の主題歌で物語を思い出すものも多い。
「だから俺も音楽は大事にしたい。
劇伴に理解を示してくれたエクリス先生には感謝しかないです。
でも、俺はこの世界に、もっと違う音楽を!
激しい映像と一緒に再現したかったんです!」
雑多な仕事を片付け、薬物と油の様な臭いが充満する倉庫で、人形とその後ろに荒っぽく書かれた、何者かの姿を後ろにリック少年は息巻いた。




