20.神の意思が宿る炎
「本編」の撮影も無事進んだ。
前作では色々突っかかって来て時にケンカ寸前までいったリっちゃん監督と暴れ馬マイちゃんの掛け合いは本作では、ほぼなかった。
リック監督はマイトが機嫌よく演技できる様に配慮し、マイちゃんもそれに応えていたのだ。
そして次々仕上がってくるフィルム、特に合成シーンを一同でチェックした。
オプチカルプリンターの特性にも慣れ、無茶苦茶熱い光魔法で感度ギリギリまで明るくした映像と、洪水や曇天の特撮背景が合成される。
本編、特撮、マスク作画の三者がラッシュフィルムの出来に安堵した。
そして一同が完成作品に贈られるであろう声援を楽しみにしつつ、撮影は最後を迎えた。
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善良な民を率いた大預言者が、堕落した民が溺死し果てた濁流を見下ろす。
神の声が響く。
「我が力で人を裁く事は二度と無い。
もう二度と人を滅ぼす事は無い。
これからはお前達、人と人とが己の明日を歩むのだ。
愛し合い、助け合い、子を産み、増やし、地に満ちるのだ」
王国内の高地でのロケ撮影。
高く組んだ櫓から大預言者役のマイトをやや低い櫓の上に立たせ、エキストラの群衆をその周辺に。
濁流となる部分と雲間から光が差す空に当たる部分は、グラスワークで黒く塗って撮影。
パイロットフィルムで一度やった特撮技法だ。
黒塗りされた場面には、ミニチュアで地平まで渦巻く海原と、曇天が徐々に晴れて光が差し込む空が合成された。
これも大プールに渦を生じる機械を沈め、その表面を風魔法で飛沫を起たせて撮影した。
曇天が晴れる様も、プールとカメラの間、グラスワークで複数のガラスを動かして照明を強めて表現した。
両者はワンショット、1つのフィルムで撮影された。
「やっぱ『〇叉ケ池』みたいな凄いのはチート生産力でも簡単に行かないよな~。
これも4~5本のフィルムを合成できればなあ~」
「リックきゅんそれムリー!!」
「アイディーさんを地獄に突き落とさないで下さい!!」
珍しくアイラ嬢とアイディーが叫んだという。
妥協の産物とは思えないほど、この場面は神々しい場面に仕上がったのだった。
この映画最後のクライマックスは、無事完成を迎えつつあった
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しかし、意外な問題が撮影にブレーキを掛けた。
「最初の殺人」を犯した罪の子が神に問い詰められる場面。
逃げようとする罪の子を炎が追い詰め、罪の子が嘘の上に嘘を重ねる場面。
「熱っちいー!!」
「カーット!火を止めろ!!バカタレ!何やってんだ!」
デシアスが激怒した。
油を塗った地面に火をつけるタイミングが遅かった。
危うく俳優さんに火傷させるところだった。
迫力を求めようとした本編撮影の助手が勇み足を踏んだせいだ。
「申し訳ありません!」
別の場面を撮影していて、それを聞いたリック監督は全力で俳優さんを治療し、頭を地面に叩きつけて詫びた。
「すまないリック!俺の責任だ!」
更にデシアスがリック監督と俳優に向けて頭を地面に叩きつけた。
俳優は恐縮してしまった。
「な!なんで監督がそんなに詫びるんですか?!」
「当たり前です!あなたに火傷を負わせ、俳優人生に傷を付けてしまったら詫びても詫びきれない!」
「いやこれはカメラマンである俺の責任だ!申し訳ない事をした!」
リックは呼吸を整え、宣言した。
「いいえ。これは会社全体の責任です!」
勇み足を踏んだ連中は、事の重大さに漸く気が付き、遅れて頭を地面に叩きつけた。
「監督!今度はタイミングを合わせて…」
「バカタレがー!!」
デシアスの鉄拳が助手に炸裂した!
「わ、私は大丈夫ですよ。もう一度撮影しましょう」
俳優が宥めるがデシアスの鉄拳が次々と助手たちをぶっ飛ばした。
「やめろデシアス!責任は監督の俺にある!
危険な真似は二度としないし、させない!
このシーン、作画合成で行く!」
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早速、暗幕をバックに油を噴き出す装置、火炎噴射機の炎が撮影された。
そのフィルムを元に炎の輪郭が描かれ、オプチカルプリンターのマスクになったが、不自然であった。
炎が真直ぐにしか飛ばず、罪の子の行く手を遮る様にはならない。
「畜生!!」
そう叫んだのは、炎のマスクを書いた作画チームだった。
「雷の時は一瞬で済んだ、でも数秒延びただけの炎の動きでこのありさまだ!
俺達はヘタクソだ!」
「動く影絵を書ける人」という、前代未聞の求人に応えたのが、このアラク・ウッコなる作画班長。
画家を志しながら「動きを求めたい」と難しい事を言い出し、中々モノにならなかった変わり者だ。
「ホントにそうか?」
と疑問を口にしたリック監督。
「いっそ、炎そのものを書いてみないか?
火炎放射の映像をマスクするんじゃなくて、
罪の子をとり囲む様に。炎の柱が立ちふさがる様に、見た事のない炎をウッコさんの手で、神様の代りに。
逃げる罪の子を許さず、問い詰める、意思をもった炎を」
「意思を持った炎?」
聞いたことも無い提案に、ウッコは唖然とした。
「物は試しだ。神の意志を持った炎を描いてみてくれませんか?」
それから数日後。
罪の子が逃げ惑う演技の合成素材、そして過去に撮った炎のフィルムをウッコは凝視し、コマを止め、1/24秒の炎の姿を、いやそれ以上の姿を追って炎を描いた。
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「…リックきゅんは、手書きの表現を鍛えたいの?」
「ははは。バレたか」
アイディーの指摘は、流石リック少年を慕い続けた彼女ならのものだった。
「迫力を犠牲にすれば、いくらでも安全な撮り方はあるものだが。
我々の先を見ているリックに従おう」
先の火傷事件を自分の失敗と激しく後悔したデシアスがリック監督の意思を全面的に肯定した。
アックスがスタンド・イン(アクション場面などの代役)を意識してか言いかけた。
「俺だったら…いや、それはダメだな。
俺じゃない奴になにか怪我でもあったら、それこそリックの言う通り、会社全体の責任だ」
「誰でも何かあっちゃ駄目なんだよ!
ましてや兄貴!あんたに何かあったら俺は生きていけない!」
リック少年は怒った。
彼を王国軍に受け入れ親しく接してくれた英雄アックスは、今でも兄貴分なのだ。
彼の安全第一の考えは、翌日セシリア社長に上申され、撮影所の鉄則と厳命された。
「名場面より安全、興行成績より無事、締切より健康」
この標語に多くの社員は不満を口にした。
しかし、
「人の安全や健康、無事を犠牲にした瞬間、この世の中のモラルは消え去るんだ!」
セシリア社長を制して叫び、顔を真っ赤にしたリック監督の気迫に逆らえるものはいなかった。
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「という訳なんで寝て下さい!」
ウッコは寝ずに炎を描いていた、炎のフィルムとニラメッコしながら。
「今いい所なんだ!俺は監督の期待に応える!」
「網膜が焼けるー!失明するー!いーから寝ろー!!」
と、アイディーが睡眠魔法を放った。
「この仕事、気分が乗ると楽しくてこうなっちゃうよね~」
呆れた様にリック監督が言うと。
「あなたも同じですよ?夜更かししないで下さいね?」
アイラに怒られた。
これからもこの撮影所で終生繰り返される定番のやりとりである。
そして、炎の作画=アニメーションは完成した。
「ふおおお!これは凄い!」
紙に描かれた炎の作画をペラペラとめくり、リック監督はその執念の作画を讃えた。
炎は、光の濃淡を再現して、実写さながらに描かれていた。
そして、合成された炎のシーンの試写は驚きをもって迎えられた。
罪の子が逃げる、しかしその先に横殴りに炎が先回りし、そのままつむじを上げる!
罪の子が怯え、神の言葉が入る場面は、炎が様々な表情を成して罪の子に迫る!
それは、炎と言う形の無いものを見事にとらえた、絵描きの執念が乗り移った、まさに神の意思が宿る炎だった。
「炎が意思を持っている様だ!」
絶賛する関係者の遥か後ろにいたウッコは、爆睡していた。
結局リック監督が注意した後も寝れずに、寝床で炎の動きを試し描きしていたのだった。
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この超大作はクランクアップを迎えた。
そして編集、録音を残すのみとなった。
見せ場である光学合成、作画合成シーンは既に終えている。
仕上がったラッシュフィルムに、エクリス師が作曲した荘厳な音楽が演奏される。
る。
神殿の楽団が協力を申し出てげ、演奏に40人以上、これに合唱隊が無償で参加するという大盤振る舞いだった。
既存の宗教音楽ではなく、彼がパイロットフィルム用に作曲したものを編曲し、それを映画音楽として時間に合わせて再編曲するという手間をかけた音楽。
リック監督の主張する、主題…テーマの旋律が明らかな、覚えやすく印象に残る曲であった。
創世を讃える主題、傲慢にして裁かれる人々の主題、苦境の中で神に救いを求めて祈る賛歌、幾つかの、作品の骨子となる主題が生み出され、それらが場面に合わせて編曲された。
創世の部分は大聖堂のパイプオルガンを主とし、そこに高音の管楽器が重なり、神秘の世界を歌い上げた。
陸上の、古代龍の場面では低音の弦楽器と打楽器が重厚感と躍動感を奏で、古代生物の破滅を全楽器が壮絶に歌い上げた。
人間の誕生は合唱団が聖典を歌い上げ、最初は男声、続いて女声、最後は混成合唱で神への感謝を歌い上げた。
最後の大洪水の場面は傲慢の主題が大編成と大合唱で10分近く演奏された。
リック監督はこっそり録音機器2台を左右に置いて録音し、ちょっとした立体音響、ステレオ効果を楽しみつつひそかに鑑賞したそうだ。
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「やっぱり、特撮は音楽あってこそだねえ~。
その日こそ怒りの日ー!世は海に沈められたー!
堕ちたる民を神の洪水が襲いー、男も女も幼子さえも沈められー、神を信じる者のみが喇叭の音に守られたー!」
以来、リック監督は自宅の温泉に浸って酒を飲んでは大洪水の場面の合唱部分をご機嫌で歌っていたそうだ。
隣にいたアイラ嬢や魔導士アイディーは、くつろぎの場にそぐわない禍々しい歌を、さぞ苦笑して聞いていた事だろう。
こうしてヨーホー特殊撮影部と豪華俳優陣を主力とした第二作、「聖典」が完成した。




