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18.聖典に捧げる祝杯

 その夜、リック監督はセシリア社長に熱い抱擁を受けていた。

「私の子供になってー!」

 ザナク公爵家には既に4人の兄弟姉妹がいるのにこの発言。

「無理です」

 と、笑顔のまま首根っこを引っ張って引きはがすのはアイラ嬢と魔導士アイディー。


 その場はリック邸の集会場。試写成功後の宴会にセシリア社長まで来て、羽目を外してしまった。

「あ…あ~、おほん。ちょっと欲望が先走りましたわね」

「先走り過ぎではございませんか?公爵夫人」

 アイラ嬢は冷静に遇した。


「でもね!神殿のエラいさんが!『私は世の始まりを見た!』ですって!

 こんなのリック君じゃなきゃできないわよお!

 あ~!ステ…」

「素敵なのは解りますが!」

 また抱き着かれそうになったリック監督を、またもアイラ嬢が遮った。


「公爵夫人、畏れながら羽目を外し過ぎかと存じます」


 リック監督は世間の注目を徐々に集めていた。

 わずか12歳で海軍が敬意を表する映画を製作した。

 あまり王国では喧伝されていなかったが、魔王討伐戦を終わらせた英雄。

 そして王国のみならず周辺国へ復興の恩恵をもたらした、神が遣わしたかの様な、謎の少年。


「ホント、なんであなたは何も望まないのかしらねえ?」

 またまた社長は抱き寄せようとする。

「これこれセシリア、小さい子に無理を迫るでないぞ?」

 そこに現れたのは、財務卿ザナク公爵だった!

 使用人達がいそいそと差し入れの高級ワインを運び込んでいる。


 一同、跪いて礼を向けた。

「うむ、今日は一個人として、そして妻の友人の皆に会いに来ただけだ。

 ダニエルと呼んで欲しい」

 そう言われてはそう呼ぶしかない。


「今宵はなあ」

 少し溜めて公爵はリックの仲間達を見つめて話した。


「救国の英雄アックス殿。

 美の女神にして聖女セワーシャ殿。

 剣聖デシアス男爵令息。

 最強の魔導士にして映画界の陰の立役者アイディー殿。


 そしてリック監督、婚約者アイラ殿。


 改めてあなたたちに会いたかった。

 どうか、迎えて欲しい」


「そこまで言われちゃあなあ」と、盃を公爵、いやダニエルに渡すリック少年。

「この場所、映画の殿堂はセシリア社長が作って下さったので、感謝を込めまして…」

「何ってんの!作ったのはリック君でしょうが!」

「「「そうだそうだ」」よ」


「そんじゃあ、ヨーホー特殊技術部第二作『聖典』の成功と、そしてこの映画を見た人達が心正しく生きていく事を祈って!」


「やっぱリックだなあ」「そうよねえ」

 乾杯の前に合いの手が入ったそうだ。

「これがリック君なのよ!」「ああ、養子に迎えたいものだ」中にはトンデモない発言もあったが彼は無視した。

「カンパーイ!!」

「「「カンパーイ!!!」」」


 社長に続いて公爵、公爵に続いて最初にセワーシャの場面に文句を付けたミゼレ祭司がやって来た。

「己が不明を詫びたい!」

「いえいえ、ナレーションの朗読は初めての録音とは思えませんでした」

 神殿に良き理解者(使い勝手の良いコマ)を得たとばかりにリック監督は彼を迎えた。

 前作のスタッフもリック邸の賑わいを見て、撮影所からワラワラとやって来た。

 しかも手料理とワインを手に。


 結構な人数に膨れ上がったリック邸の宴会は、綺麗な花畑を汚さない様に撮影所の敷地に広がって大宴会となった。


「撮影前でこんなんなら、公開したらどんなになるんだろうなあ!」

「と、初めの男が申しております」

「やめろよ!畏れ多いよ!」


「いやいや!」

 と声を掛けたのは初めの女の場面にケチをつけた祭司。

「英雄アックス殿は見事に始めの男を演じられた!聖女殿もこの上なく美しかった!」

「「「おー!!!」」」

 膨れ上がった呑み助どもが歓声を上げた。


「思えば私が神職を志したのも神殿の初めの女のお姿ゆえ…」

 なんか猥談方面に行きそうか?そう思われた時。


「人の誘惑に対する弱さと、それだけではない、生きる活力がにじみ出る様に演じられたお二人にこそ、神の言葉が宿ると私は信じる!」

 多少酔った感じのパクス枢機卿が、猥談を遮った。

 千客万来もいいとこである。


 よく見れば宴会場の周囲は護衛の騎士や神職が立ち並んでいる。

 なにせ財務卿公爵夫婦に国の神殿の最高位だ。フラリとお忍びというわけには行かない。


「アックス殿。セワーシャ殿。

 厳しい条件での撮影であったと思うが、見事な場面であった。

 神殿に仕える者として、神の祝福があらん事を祈る」


 この社会では、国ごとに枢機卿が派遣されている。

 キリエリア王国の神殿の、最高権威が二人を祝福…実は何もしてないのだけど、そういう言葉を掛けるというのは、ゼネシス教徒にとっては大層ありがたい物であった。

 ただ、この二人、英雄チームに対し魔王軍討伐の際にも同じ様に祝福されていたので、今回は実に二度目の祝福を掛けられたこととなる。


「また、祝福を頂けたなあ~!」

「ええ。あなたといっしょにね!」

 セワーシャはうっとりしているが、果たしてこの時アックスに伝わっていただろうか?いや、無い。


「だだだ!だったら、リックきゅんにも!映画成功を祈って!しゅ、祝福を~!」

 アイディーが訴えた。

 アイラはモノホーリ派の強い帝国育ちのせいか、神職者にそんな物言いは出来なかった。


「ええ、ええ。

 もとよりそのつもりでお邪魔しました。

 リックさん。奥様とお友達、チームの皆様が怪我する事なく、無事撮影を終わられます様に」


 それまで飲んで盛り上がっていた一同が、枢機卿の祝詞を唱える声を前に跪いて祈った。


 こんな前日譚があって、ヨーホー特撮映画第二段「聖典」の製作が開始された。


******


 後日、ヨーホー本社。

 脚本会議に集まった面々の内、真っ先に声を上げたのが、ミゼレ祭司だった。

 一瞬一同が身構えたが、彼の口から出た言葉は意外だった。

「これは神学者からも意見が分かれるのだが…

 傲慢なるバベル王、という一般的な評価に異を唱える者がいたという記録があるのだ」


 聖典では王都民全てが堕落し、悉く水没したかの様に書かれていたが。


「善なる民を救った大預言者ブラムにも、王の下、少しでも民を救わんとする協力者がいた筈だ。

 あの映像のままではあまりに神は無慈悲すぎる!」


 権威主義者らしく思われた祭司とは思えぬ爆弾発言。


「大洪水の前に、いかにして王都から善良なる民が離れていったか、それをバベル王がどう見ていたかを描けないか?」


 これにはゼネシス教徒の役員達も恐れをなした。

「それは、聖典を改変する事になならいでしょうか?」

 別の役員は反論する。

「しかし、一部いとはいえ記録に基づく考察があるのであれば、改変とまでは言えないのでは?」

 リック監督にとって意外な展開だった。

 彼が歴史資料から感じ取った私見を、あろうことか神殿が後押ししてくれたのだ。


 傲慢なバベル王は、王立学院から齎された資料と神殿の監修を経て、その評価が変わりつつあった。


 周辺諸国との戦乱があった事、他宗教の台頭を抑えきれなかった事。

 ゼネシス教徒を弾圧したと言われていたが、他の宗教であろうと声高に王国の統治に口を出そうとした者を処刑していた事。


 それらが遺跡から読み取られ、神殿も歴史学者への反論が出来なかった状況である。


 彼は、この意見に乗った。


「私も疑問に思っていた問題です。

 膨れ上がる大都会、治安が悪化する王都、それらを統治しきれぬ無念を抱え、その一部を大預言者に託した、王の内心。民心の同様。

 この場面を急ぎ追加しましょう。

 祭司、ご助言に感謝します!」


 こうして終盤のドラマは一つのうねりを見せた。


******


 全体のシナリオの再調整が行われた。

 当初との想定が違ったのは、終盤のバベル王宮殿の手前。

 大預言者ブラムの預言に対し王都が割れ、忠臣が王を諫める描写が加わった。


 当所は単純に天空宮殿が破壊される予定だったが、堕落しきった宮殿内、是非に割れる王都、更には忠臣の勧告で大預言者と共に王都を離れる群衆の描写が加えられた。


 追加予算は5百万デナリ。普通の舞台撮影映画が撮影できる規模だ。


「言い出したのは私だ。責任を持って出資しよう」

「いいえ、私も不満があった場面です。折半しましょう」

 とリック監督とミゼレ祭司が揉めた末、

「神殿が出資します」

 とパクス枢機卿が決断した。


******


 脚本の修正や追加部分のピクトリアルスケッチを深夜まで書きながらリック監督は思った。

「果たして、神に裁かれたと言われる者達は悪なのか?

 いや、繰り返し現れては裁かれて行く者達は、人間の悪い面だけを固めた様な者とは限らない。

 人間である以上、どうしても右に左にバランスを取らざるを得なかった者だったんじゃないだろうか。

 それは、明日の俺の姿でもあるかも知れないなあ」


「あまり根を詰めないで下さいね?」

 夜更かしが過ぎるとアイラ夫人がやんわりと休む様言葉を掛ける。


「ありがとう。

 ねえ、俺は強欲だろうか?」

 彼は時折不安にかられたそうだ。

 色々な事が上手く行っているせいだ。


「ええ」

 リック少年は否定して欲しかったのだろう。

 しかしアイラ夫人は笑顔で彼が強欲である事を認めた。


「あなたは思う存分人を助け、美味しいごちそうをみんなに振舞いました。

 無駄な争いを止めて、焼け落ちた村々を立て直し、私を救って下さいました。

 英雄のあなたが私を拾って下さり、莫大な富を得て、今は大好きな特撮映画を撮っています。


 本当に、やりたい放題。

 こんな欲深くて、情け深く、多くの人を幸せに導く人は、リックさんだけですよ」


 豊かな彼女の胸の中で、愛溢れるささやきに包まれて、リック少年は深い眠りに落ちた。


 こんな幸福な夜に包まれ、自問自答を繰り返す彼こそ、謙虚にして強欲という物であろう。


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