16.人間が見た事のない世界
最初の数分、水槽とインクを駆使した、この世界では前代未聞の特撮シーンの撮影だけで1ケ月が過ぎた。
天地が生まれ、生き物が、人間が生まれる場面は、それこそ未だかつて人間が見た事のないシーンだった。
古代から歴史を重ねる神殿では、様々な画家や彫刻家がその場面に思いをはせ、祈りを捧げつつ形にしていった。
優れた先人の創意工夫に敬意を示しつつ、リック監督は前世の知識を武器にこの場面を映画で再現した。
命が生まれる場面には前世の知識、進化論を挿入した。
この世界でも化石は発掘され、それら異形の古代生物は「神が良しとされずに滅びた生き物」と位置付けられていた。
今でも生きているプランクトンなどはフィルムと同じ素材の油脂を使って作った。
出来上がった半透明の生き物を極細の鉄の糸で操作=操演した。
最初水中で撮影したが、やはりというか半透明な素材が水の中で変化し、只の白い塊になってしまうので、水槽を手前に置いて、その向こうでの撮影となった。
古代の魚などは、王立学院に資料協力を頼み、化石の記録を元に金属で骨を組み、南で採れる樹脂、「ゴム」製の皮で外皮を作ってこれも操演した。
水槽の水面を風魔法で波立たせ、ゆらぐ光の中で模型の魚は生きている様に泳く。
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そして陸上。
荒涼とした大地が命に満ちる場面は、スタジオのセットと現実の風景の組み合わせで再現された。
緑が芽吹く場面、これは実際の青葉が芽吹く様子を撮影した。超低速撮影で。
これは高速度撮影の逆で、葉が育つ姿を何分間に1コマという超低速で撮影し、時間を縮めて再生してみせる技だ。
森が育つ場面はミニチュアの樹木を用意し、内部に仕込んだ枝を金属線で引っ張り出し、伸びていく様に見せた。
しかしそれだけでは作り物に見えてしまう。
途中、風魔法で木々がそよぐ場面をセットと実写を交え、更に花が咲く様子をも低速撮影で挿入し、更には草原に花が咲き乱れる様子を、グラスワークで再現した。
実写の草原とカメラの間にガラスを立て、1秒24コマ毎、1コマ毎にガラスに花々が白い塗料で徐々に増えていく様を作画したのだ。
オプチカル合成のマスクを除けば、この世界でのアニメーションの初めて…いや、昔の勇者が失敗して以来二度目でもあった。
そして水辺で海から魚がヒレを使って這い上がって来る。
これも操演だ。
そして化石に残された古代両生類、背中に巨大な放熱用の背びれを持った四つ足の生物。
これは、ヌイグルミだ。
全身を包む布の服の上に、プラスチックを発泡させ軽くした素材を生き物の形に彫刻した物を取り付け、その上にゴムを塗り色を付けたものだ。
「おう!俺がやるぜ!」と古代生物役をアックスが興味津々で引き受けた。
本気か?と仲間が怪訝そうな顔で見ていたが、彼の体格に合わせた、巨大な背びれを付けたトカゲのヌイグルミは…
まさにトカゲであった。
「流石だ。
敵の動きを観察し、その動きに合わせて弱点を突く攻撃に優れた奴の観察力ならではだ!」
と、ヘンなところでデシアスが感心してる。同じ戦士としての着眼点なのだろう。
更には身の丈7~8mはあろうかという、巨大な竜。
これもヌイグルミだ。
実はこれはリック少年念願の、ドラゴン映画のためのテスト的な要素もあった。
高い木々から体を持ち上げ闊歩する巨大な竜、それは後年、特撮の代名詞ともなる怪獣映画の先駆けでもあった。
そして太古の生命の絶滅を招いた大爆発。
神が良しとしなかった獣を滅ぼしたという火、リック監督はこれを巨大隕石の墜落として撮影した。
ここでも水槽にインクを流す技術が使われた。
しかし今度は黒インクではなく、赤や茶色、灰色のインクが使われ、その注がれたインクはまるでキノコを逆さにした様に底部で膨らんでいった。
強烈な光魔法と風魔法でミニチュアの木々がなぎ倒され、巨竜も吹き飛ばされた。
中で演じるアックスが爆風を堪え、ついに吹き飛ぶ芝居をしたのだが中々のものだった。
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地に満ちる命、動物たちの場面は、実写で草原や小動物、鹿、牛、馬、鳥の群れなどを撮影した。
最初リック監督は、王都から遠く離れた、動物が豊かに暮らす草原のフィルムがないか探した。
だが、そんなものに興味を示す者はおらず、当然そんなフィルムも無かった。
リック監督一行は鉄道と魔道馬車を駆使して撮影に向かった。
彼等は数分の場面とは思えない量のフィルムを用意し、時に野営し、大草原の雨、蝶や蜂といった虫なども撮影した。
これらフィルムは後に自然描写を必要とする映画に提供され、撮影の時間と費用を大幅に短縮させる「ライブラリフィルム」と呼ばれ重宝された。
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そして、人間誕生。
「神は土から人間を造られた」
という記述をそのまま映像化する事にした。
後に「恐竜の絶滅」そして「進化論」と言われる様になった、学術的研究では否定される様になる記述だが、
「皆が子供の頃からそう信じて育った以上、聖典に忠実であるべき」
とのリック監督の判断だ。
聖典の記述と、神殿の壁画を再現するために、土の中に俳優…アックスを埋めて出現させる事とした。
最初に、彼をかたどった人形=アックスそっくりなものからもっと粗っぽい土人形までを幾つか作り、それを埋め、その上を土替わりの麦わらで埋め、アイディーが風魔法で吹き飛ばす。
それを繰り返して段々人の形を表す様に見せた。
そして最後の段階で、アックスを麦わらの中に浅く埋め、同じ様に風魔法で吹き飛ばし、土から人間が生まれる様を再現した。
なお、彼はピクトリアルスケッチの通り、全裸であった。
同様に女が作られる場面も、セワーシャが演じた。
神殿から最初の男女の場面は局部を映さない様に厳命されていたので、局部には肌色の布を張り付けての撮影だった。
とは言えセワーシャの豊満な胸は中々隠し難く、何度か取り直しとなった。
最後は自慢の長髪を肌に張り付け、それが強風で飛ばされない様風向きを変え、やっとOKとなった。
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本作最大のクライマックスは、前半が開幕の創世の場面。
後半が傲慢な王が築いた点にも届く大宮殿が破壊され、大洪水で世界が破滅する場面だ。
これは前作で培ったミニチュア破壊技術が物を言う。
古代遺跡の発掘調査報告書を元に設計された神殿のミニチュアが屋外と屋内に建設された。
王の一行が天空神殿の前に着くと、カメラは彼らを背後から撮る。彼らの手前には真っ黒い幕。
しかし、後にオプチカルプリンターによってミニチュアの巨大な宮殿が下から上へと映す=パンアップされる様がはめ込まれた。
更に、その巨大な搭状の宮殿の背景がかき曇り…これも水槽にインクを溶かしたものを合成している。
そして、爆破され、倒れ込む宮殿の塔!
これは晴天を背景に、塔の部分だけを大きめに作ったミニチュアの基部を爆破し、あおり(下から)で撮影された。
後に晴天の背景に、インクで再現された曇天が合成された。
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それに続く大洪水の場面。
しかしこの場面は、崩壊するミニチュアの王都、道路を逃げる群衆、そして覆いかぶさる水、この三つのフィルムを合成する必要がある。
三本のフィルムを二度に分けて合成するとなると、画面が汚くなって鑑賞に堪えなくなる。
今の二本合成、ツーヘッドでは対応できない。
そのため、まずはパイロット版の反響次第でスリーヘッドオプチカルプリンターを作るか、画質を犠牲にツーヘッドプリンタで我慢するか、リック監督は様子を見る事とした。
どちらに転んでも良い様に、リック監督は暴れまわる水の場面、古代の王都を洪水がなぎ倒す場面を撮影した。
それぞれが合成素材に回せる様、各部を暗幕で覆い、最悪ツーヘッド合成でも絵になる様に仕上げた。
綿を黒く染めて表現した曇天から大量の雨、というか水を撒いて撮影し、その合間に合成による落雷を挿入。
そして丘を再現したミニチュアに大量の水を…大きな樽に満たした水をミニチュアの丘の奥から流した。
古代の王都に凄まじい怒涛が迫った!
これは最大10樽の水をスタジオの外から作ったスロープの上から一気に流し、王都のミニチュアの手前で跳ね上がる段差を作り、まるで王都の上から怒涛が押し寄せる様に水を操って撮影したのだった。
大洪水、現実であればそれは徐々に水かさを増して足を覆い腰を覆い、その頃には恐るべき力で建物を引きずり倒す。
しかしリック監督は激しい水しぶきが建物をなぎ倒す、ウソの絵を作った。
神の怒りを表現するための、ミニチュアと水を演技させる、「特撮のための絵」を作ったのだ。
この場面、波というか水飛沫が来るタイミングと模型を鉄の糸を引っ張って引き摺り倒すタイミングを計るため、そしてカメラのフィルムをどの速度で廻すのが最適かを図るため、何とかテストを重ねて本番に挑み、それでも3回失敗した。
4度目に成功。リック監督は10回の失敗を覚悟していたので、何とか予算内に収まったという。
先のパイロットフィルム「敵軍港撃砕」の時になじみになった仕出し屋=お祭りやら芝居興行などで働き手が必要になった時に人を集める商人=の協力で、逃げる人々を洪水が覆う場面が撮影され、洪水のマスク合成のテストが行われ、中々の仕上がりになったので「最悪ツーヘッド合成で行こう」という腹がリック監督の中で決まった。
なお、音楽は「キリエリア沖海戦」のエクリス師に打診されたが、彼はリック監督の自宅に訪れ、保留したいと願い出た。
「神殿の依頼で製作する映画である以上、神殿の賛美曲の楽士が内定している可能性があります。
せめて、ラッシュフィルムに沿える音楽を選ぶ事を無償で手伝いたいのです」
「俺は先生を推薦します!
先ずはラッシュフィルムで神殿の連中も感動させましょう!」
そしてリック監督とエクリス師の音盤探しが始まった。
結局、近年演奏された祈祷式典の音楽から、冒頭部分は栄光の賛歌、生誕部分は慈愛の賛歌、大洪水の場面は世の終末を謳う鎮魂歌から採用された。
「我が楽団で演奏したいのですが」
流石にそんな金はないし、タダ働きさせるブラック企業になりたくないとリック監督は断ったが、創世の書に該当する音楽は見当たらなかった。
そこで、急遽エクリス師が即興でフィルムに合わせてオルガンを演奏する事になった。
神殿では参拝者の多寡に合わせてオルガンを演奏するアドリブ演奏が一般的なので、その腕前をエクリス師が披露した。
その素晴らしい演奏に感動したリック監督は、フィルムの選曲にエクリス師の名を刻む事、固辞された演奏料を神殿にエクリス師名義で奉納する事、そして本作の音楽に師を推薦するを約束した。
かくして、リック監督による特撮映画第二作、そのパイロットフィルム「創世の書」が完成した。
それは、人間が見た事のない世界。
特撮でしか成し得ない、まさに特撮映像の真骨頂であった。




