118.映画か宗教か
リック監督は再び瞬間移動でボウ帝国へ飛んだ。
先ず鉄道駅へ向かい、次いでスタジオへ。
そしてチョウ兄弟社を訪れ、ショーウェイからの書状を渡して社長に面会を申し込んだが…出て来たのは代理人。
『社長以外とは話さない』
『ならネガ渡さないネ』
『では通商条約の破棄をキリエリア王へ進言しよう。
大陸横断鉄道も撤去する。俺が作ったのだからその権利は俺にあるぞ』
『そもそも社長いないネ』『では会長を』『いないネ』
『宜しい、この作品のショーウェイ関与部分を、軍を動員してでも回収させて貰おう!』
『そんな大口叩くんじゃないネ、小僧』
『警告はしましたよ』
彼は一瞬で姿を消した。
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続いて、帝都の大寺院へ。
『この映画、ムチャクチャである』
大僧正という、高位の僧侶、大僧正が指摘した。
『少年よ、お前がこの映画を撮った訳ではなかろうが、チョウ商会に言った事を繰り返す』
無常教団体の意見としては…
・開祖の出家を嘆く妃を、宿敵が強姦し我がものとするが妃は抗って自害する。
これは経典の記述と矛盾し、経典を侮辱するものである。
・宿敵の描写が事実に反しすぎている
・義母の横恋慕に応えなかった王子が失明させられ、経典への信仰で救われる話は別の時代の話である
・親殺しの王子の部分、経典にある世界観が無視され、世俗の物語になっている
・奇跡や天変地異ばかり描かれ、経典の思想である無常観が無視されている
以上により、無常教への冒涜と見做し、上映禁止を要請する。
(正論しかないなあ)
リック監督はそう思いつつ、反駁した。
本作の脚本家、監督と既に会話しており、それを代弁する形となる。
『この映画は、前半は一人の人間が悟りを開くまでの苦悩を観客に理解頂くため、後半は救済に重きを置いて描いています。
解り易さ、登場人物への感情移入を重視し、いわば俗っぽいものになっています』
これに大僧正は眉をひそめた。
『それはあまりに経典を侮辱していまいか?』
『経典は悟りを得ていない、俗世間に生きる人間のためにあるかと思います。
生々しい男女の過ち、親子の相克はこの世に満ちています。
宿敵が史実通り、修行観の違いで破門されただけであれば、観客は、そういう考えもあるのだなあ~、と納得してしまう人もいるでしょう。
彼には世俗の欲望の権化を演じてもらい、人の世の悪、災厄を具現化してもらう必要があったのです』
『それは経典の拡大解釈ではないか?』
『南方の国には、地獄の恐ろしさを伝えんとする余り、残酷というよりいかがわしくも珍奇な血塗れ人形を羅列している寺院もあると聞きます。
そういう解釈や布教もあるのです』
少年の様な青年にここまで言われるとは思っていなかった大僧正、少々分が悪そうである。
作戦タイムとばかりに、周囲の僧侶と話し始めた。
そして宣言した。
『所詮は経典を元にした、創作物である。大衆向け娯楽作品である。
それは理解した。
しかし、歴史的事実として、出家し息子共々名を成した王子妃が。
よりによって凌辱され自害、というのは。
いくらなんでも許されなかろう』
ここは、脚本家からは譲って欲しくないと言われた部分だ。
人間として愛する者が凌辱され自害してしまっても、心乱れる事無き境地に至ってこそ悟りである。脚本家はそう訴えたかった。
(でも、やっぱり無茶だよなあ)
そしてリック監督は妥協案を出した。
『では、凌辱されかかったところを振りほどいて妃も出家した、と史実によせましょう』
『それであれば、侮辱とまでは言われもしまい』
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実は、この点は既に危惧していて、先にクランクアップする前に既に王子妃役のコーラン嬢とグウ監督に頼んで撮り直していた。
『苦渋の選択ではあったが』といいつつ、抑えとして撮影してもらっていたのだ。
『貸しは高くつきますわよ?』
とコーラン嬢から迫られたものの、
『チョウ兄弟社へどうぞ』
あっさりいなすリック監督。
『また、あの楽しかった御宅へお邪魔できないかしら?』
『それならどうぞ。あ、出来ればアックスの子が生まれた後に』
今回後半の準主役である親殺しの王子を演じたアックス家の懐妊の話を伝えると
『まあ素敵!』
と喜んで協力してくれたのだった。
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そして大僧正は
『後、最後の天変地異、これは経典には全くありえない話である』
と、ブチ込んで来た。
『これは先程言った通りです。
経典では、自分が生んだ子に夫を殺された妻が、開祖に八つ当たりをする。
これに開祖が宇宙の果てしない構造を説き、人の小ささを説く。
それでは観客は何がありがたいのかわかりづらいと考えます。
驕り高ぶり、信仰を貫く人達を虐げる外道が滅びる。
映画は一目瞭然、より分かりやすくあるべきではないか、そう思います』
確かに経典にはとってもわかりにくい部分が山ほどある。
無量の宇宙を語る部分は、『宇宙迎撃戦』よりも難解だ。
『それを解り易くするのが地獄絵図や涅槃図であり、まあ、この創作の娯楽作品なのですが。
まずは見て頂けないでしょうか?』
『経典を尊ぶ寺院の中での上映は断る』
『では、南大門の外で』
既に陽は傾いていた。
リック監督は門にスクリーンと映写機、拡声器を設置。
寺院は椅子を並べる。
門前町からは何事かと人々がワラワラと。
『門前の信徒は信仰心が篤い。
映画の内容によっては袋叩きにあうと思いなさい』
脅しともとれる大僧正の言葉。
『映画は所詮娯楽です。
信仰心を傷つけない範囲でお楽しみ頂ければと思います』
自信ありげに応えるリック監督。
流石に大僧正は呆れて言い放った。
『お主が撮った映画でもなかろうに、何故そこまで肩を持つか…』
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そして始まる突然上映会。
「アチンティヤ、ゴーダ。
アチンティエス、パナンナナム、ヴィパコーティ、アチンティヨ」
古代語による経典原典の、荘厳な混声合唱。
懐疑的であった僧侶たちも、この開幕には見入った様である。
ゴーダ誕生の前に、王城内で花開く奇跡、多くの鳥たちが集まる。
『『『ほおお~~~』』』
家々から椅子を持ち出した信徒たちから歓声が上がる。
冒頭は開祖ゴーダの、豪勢な城の暮らしと相反する人の世の理不尽に悩む姿が描かれる。
遂に出家する開祖。残された王子妃に迫る宿敵。
『デーバは門下でなかったか?』
『しかし脂ぎってるなあ。カツシンはこういう役は天下一品だ』
『近寄られただけで子供が出来そうよ!』
『ははは!』
なんだか門徒にはウケてる。
そして宿敵に迫られる様になり、ついに王子妃は城を出る。
息子も嫁も失った王は、宿敵を追放する。
『あれ?凌辱するんじゃないのか?』
『やっぱり変更したんだなあ』
そして、失踪した筈の王子妃…の姿を真似た悪魔が、多くの美女の姿の悪魔を率い開祖を誘惑。
色欲を表す踊りと半裸の衣装で開祖にまとわりつくも、
『立ち去れ悪魔!』
一喝。
変わって現れる、不気味な悪鬼の軍団。
『修行者よ立ち去れ!ならば数々の楽しみを与えよう!』
口々に開祖に修行を止め還俗を勧めるが。
『あらゆる欲望の皮を着たもの達、醜き者達悪魔よ。
お前達の持つ欲望には用は無い。
正しき則と深い勇気で、お前達の軍を打ち破ろうぞ!』
槍や槌を投げる悪魔、しかし開祖の前に壁がある様にはらはらと落ちていく。
今度は矢を射る悪鬼たち、これも開祖の前で力を失い落ちていく。
『悪魔よ!去れ!』
悪鬼たちは飛び降りる動作を逆回転で編集して去って行き、マントや絹が巻き上げられる様な残照を残して消える。
翌朝、スジャータ…ではなく、何故かシナリオでは当時の宗教の雷帝の化身とされる娘に乳粥を与えられるが映画で名前が出てないのでそこまでわからない。
兎に角、命を繋ぎ悟りを得た開祖。
『諸行は無常である。
全て我欲を去り、心を清めて悪しきことをせず、良い事を実践しなければならない。
我は、悟りを得た!』
悟りを開いた開祖は、ここからは影のみで表現され、その顔を表す事は無い。
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そして干ばつに苦しむ町に雨を降らせ、我が子達のため他人の子を攫って喰らう魔女の子の一人を隠し、子を失う母の悲痛を悟らせ、改心させる。
それからも説話の映画化が綴られる。
義母の懸想を拒んだ恨みで失明させられるも、開祖の説話を受け恨みを捨てた王子の逸話を挟む。己が罪を知った義母は身投げして死に、人の業を悲しむ曲が静かに流れて一部終わり。休憩を挟む。
『あれ?なんか良くない?』
『思ったほど無茶苦茶じゃないな』
『開祖の妃を凌辱するって話は止めたのか』『賢明だなあ』
『開祖様の顔や姿が映らないのは、古代の教えに従ったからか?』
『結構考えているなあ』
小用を足しに行った僧侶たちや、家々から酒肴を持って来た信徒たちの反応は悪くない。
そして終盤へ。ボウ帝国では有名な、親殺し王の悲劇。
英雄アックスが、父母と打ち解けられない悩みの中、邪教の法術を得た宿敵にそそのかされ、父を前世の仇と見做し幽閉してしまう。
嘆く王妃の下に現れる開祖。王妃は嘆きを捨て父殺しの子の下へ。
我が子の膿を口で吸い出し癒す王子を見て、王妃は真実を話す。
王子の父は王ではなく、王妃の死んだ前夫だと、王はそれを知って王子を慈しみ、王子と同じ様に膿を口で吸い出して癒したのだと。
その罪を悔いた王子だか、王は既に息絶えていた。
宿敵は邪教の大神殿と巨像を建設し、王子を父殺しの罪人とののしり国の支配を目論んでていた。
世界最大のセットに建造された、大陸中央の古代様式の大神殿と、当時の宗教の30mに及ぶ神像である。
無常教の僧侶は炎の中に投げ入れられ、奴隷は過酷な建設を強いられる。
『我々は未だ悟りを得ていません!どうかお救いを!』
僧侶たちは悲痛な叫びをあげ、祈りを捧げる。
そこに開祖の影が現れ、タイトル曲同様の主題曲が流れる。
大地が揺れ神殿は崩れ、巨像に皹が入った!
『『『おおおー!!!』』』
これには一同大いに驚いた。
巨像の真ん中に皹が入り、神殿群が崩れ、ついに巨像は真っ二つに割れて倒れ、神殿は跡形もなく潰え去った!
悪行の限りを尽くした宿敵も、遂に己の最期を悟る。
開祖はこれをも許し、大地の底に呑まれた宿敵に救いの糸を垂らし、宿敵は祈るように細い糸に身をゆだね、救われた。
最後、荘厳なゴーダの死、涅槃と言うのだが、この場面。
目を取り戻した王子と妃が、魔女が子を引きつれ、アックス演じる親殺しの王が集まる。宿敵も一修行者として列に加わる。
開祖の死を惜しむ弟子。
菩提樹に囲まれ、光に包まれる中、開祖が横たわりながら語る。
『私が涅槃に入ったと聞けば、人は正しい法が絶え果てたと思うかもしれぬ。
しかし決してそうではない。
私がこれまで説いて来た法こそ、お前達の大きな先生である。
法を見る物は私を見る。
私は死んでも、皆と一緒に、皆の中で生きていると思うがよい』
地平線の果てまで人々が集まり、無論それは半分以上作画だが、手前の人々が座して天を崇め、作画合成らしさを感じさせなかった。
タイトル曲同様、古代語の経典の合唱の中、映画は幕を閉じた。
『『『うおおおおー!!!』』』
僧侶以外の観衆から拍手喝采が巻き起こった。
僧侶たちは頭を下げつつも、経典と随分異なるこの映画をどう評価するか悩んでいた。
だが、気持ちとしては喝采を上げたかったのも事実である。
その空気を感じて、リック監督は『通じた!』と確信を得た。
すると大僧正がスクリーンの前に立った。
サっとリック監督が風魔法で周囲に声を伝えた。
『これは、映画である。娯楽である。
経典でも説話でもない。あくまで、作られた、オハナシに過ぎぬ』
しかしその言葉に否定的な感じは無かった。
『尊いみ教えを理解する助け程度にはなろう。
悪しき欲に溺れたものの行く末を見せ、正しく在ろうとする心の一助にはなろう。
信徒においては、あくまで経典に書かれた真理と悟りを求め、研鑽を怠らぬ様願う』
そう語り、宿坊に向かった。
信徒たちは合掌し、暫くその場で飲み食いし映画の感想を語った。
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無言で宿坊に向かう大僧正をリック監督は追った。
『事前に相談が欲しかったなあ』
大僧正はそう呟いた。
『しかし、ウソである映画としては、まあ悪くない。
最悪の場面も仏典の通りになっていた』
リック監督は黙って次の言葉を待った。
『無常教としては、公認や推奨はせぬ。
宗派によっては上映を禁じるかも知れぬ。
それも、知った事ではない。
願わくば映画の冒頭に、経典や伝承を、制作者が再構成して想像を加えたものである、と記して上映して欲しい』
そう語り、大僧正はリック監督の顔を見つめた。
『西国の善良なる民に、悟りの道、救いの道の開かれん事を』
そう言って、リック監督に一礼して僧房へ去って行った。
リック監督も、深く礼を捧げて応じた。




