10.マエストロ、リック?
特撮シーンも、特撮以外の本編シーンも残すところわずかとなった。
公開予定日、海軍記念日も近付き、完成したフィルムから編集が始まる。
リック監督の指導で今迄のラッシュフィルムの編集を学んだ技師達が、全編通しての編集を苦労しつつ始めている。
今迄もカット毎の出来を確認するラッシュフィルムを上映してきたが、このフィルムはもっと長く通したシーン全体を確認出来る。
そして。
音楽の録音が開始された。
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これは演劇を作曲するだけでなく、軍楽なども手掛ける高名な作曲家、ユピトス・エクリスが担当する事となり、楽曲の構想などは既に文面で発注されていた。
その最初の打ち合わせで、
「君があのフィルムの音楽を…」
と、普段物事に動じない大作曲家エクリス師は絶句し、顔を覆ったという。
曰く。
「そりゃあの勇壮な勝利の場面に、まるで死者の呪いを鎮めるかみたいな鎮魂曲を流すなんて、普通では考えられません。
それを、10歳くらいの少年がやって見せたのですよ?!」
エクリス師は興奮気味に語ったという。
「怒ってなどいません。逆に感心して…私にはあんな芸当できませんねえ!
逆説的というか、変化球というか!」
この、この国芸術界の重鎮の問いに12歳になったリック少年は
「いえ、カウンター(逆説的)ではなく、インター。直接的です」
とアッサリ応え、師はまた呆然とした。
「え~。
あの場面、俺は勝利した自軍がこの場面の中心ではなくて、両軍の、戦いで死んでいく人々こそが中心に据えられるべきだと思ったんですよ。
両軍の犠牲の上に、新しく平和な世の中が築かれて、長く続くように祈る曲を。
だから、祈りの歌を付けました。それだけです」
「戦争レクイエム(鎮魂歌)…」
エクリス師、今度は深く頷いた。
エクリス師だけでなく、同席したセシリア社長まで感動して目頭を押さえている。
そして音楽家は力強く宣言した。
「この作品に参加させて頂いた事に、感謝します!」
音楽に関する要望は既に脚本にト書き(説明文)で書かれており、作曲家はその一つ一つに頷くばかりであった。
「最終的にどう判断されるかは、まずは音楽を付けて下さい。
それとフィルムの相性を見て確認し合いましょう」
「しかし、画面に合わせるというのは?」
「仮に編集したフィルムを映写し、音楽を付ける場面の長さに合わせて演奏するんです」
音楽家は三度驚愕した。
「前代未聞の演奏だ…」
「それが、これからの映画音楽の主流になるんです」
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流石大作家だけあって、スコアが続々と書き上げられた。
しかしリック監督は楽譜を読むのが苦手だった!
「仕方ないな!」
と、主旋律を鍵盤楽器で演奏したのは、何と剣聖デシアス。
「貴族は音楽も嗜まねばならんのだ」
との事。
「こりゃ、楽譜の勉強は欠かせないなあ」
そう言いつつ、素養はあったのか、短期で楽譜を読めるように、いや、何か別の楽譜に翻訳するかの様に読める様になった。
次回作では曲想を自分で演奏できる様にまでなったのだ。
多彩の一言では説明できない万能少年であった。
奏でられた曲は、緒戦の頃は勝つと思われていた敵国を讃えた軍歌。
これをベースにした勇壮なタイトル曲。その背景は戦争準備を進め、集結する敵軍。
「敵の賛歌から始まるなんて、随分敵の肩を持つわねえ」
と不思議がるセワーシャ。
「そこから反攻が進んで、キリエリアの軍歌に替わってくんだろ?」
アックスの言う通り、デシアスは黙々と反攻出撃の、キリエリアの戦勝賛歌を奏でた。
しかし、その終盤は彼らの予想を超えるものだった。
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後日。
一同はラッシュフィルムに合わせてのサウンドトラック(=サントラ、画面に合わせた音楽。フィルムに刻まれた音声信号が語源だが、ここでは音楽のみの録音を指す)の演奏に立ち合った。
後日リック監督曰く、
「前世で、一度だけ大怪獣映画の演奏に立ち合わせてもらって涙と鼻血と汗を噴出して顰蹙を買ったこともあったな。
だが今回はこの世界で初めてのサントラ録音の立ち合いだ!
しかも関係者、じゃなかった監督としての立ち合い、責任は重いよ!」
と興奮を抑えきれない様に語った。
「第4音盤、M35!」
録音技師が集音機、マイクに向かって録音番号を記録する。
演奏された音は音盤、レコードに刻まれる。
この音楽レコードは、後から効果音、俳優の声とミックスされ、完成ネガのサウンドトラック(こっちがフィルムの横に刻まれた、トーキー用の音声再生用の光学信号)に記録される事になる。
無音ながらペルソナ男爵演じるキリエリア司令が攻撃開始を命じるシーン。
攻撃開始とともに軍歌をアレンジした激しいアレグロ(マーチよりテンポの速い曲)が、20人以上の楽師たちの全力で奏でられる。
最初のスコアでは、ここは別の主題、朴訥で慎重だった英雄の主題に切り替わる様書かれていた。
これにリック監督が
「戦いが始まったら、レクイエムまでは戦いの主題を貫きましょう」
と終始アレグロを鳴り響かせる様依頼し直したのだった。
「しかし、演技の間は主題を切り替えるべきではないかな?」
普通ならそうだろう。
「しかし、これは戦争です。敵の砲弾が飛んできて、気を許せば頭がフっ飛ばされるんです」
リック監督は常に記者や関係者に言っていた。
特撮は、いわば映画の「嘘」である、と。
この作品は、この世界では初めての試みで皆が驚くだろう。
だが、何回も繰り返して見れば、模型だとわかってしまう。
そんな「嘘」に箔を付けてくれるのが、現実を調査した現実性、迫真の演技、そして激しい音楽だ。
水がぶっ被ろうと火が服につこうと音楽は戦いの激しさを伝え続けなければならない。
しかし、演劇出身のエクリス師には、やはり芝居部分への遠慮があったのかも知れない。
エクリス師本人が、小型の時計を片手に、画面と楽譜を見ながら指揮を取る。
途中、戦いの場面から指揮官のドラマが入ると、そこで演奏のトーンが落ちた。
これは良くない、そうリック監督は判断した。
その時、演奏ミスが起きた。管楽器がバフっと音が裏返る甲高い音を上げた。
エクリス師は演奏を止めた。
「提督アップの場面から、再度演奏願います」
エクリス師の指示に対して、リック監督が意見した。
「いえ、すみませんが、冒頭部分から全シーン通しでもう一度お願いしたいと思います。
海戦部分は特撮も本編もお構いなしでぶっ通しで、全力演奏でお願いします!」
これにはエクリス師も驚いた。
「それでは演劇部分の声が届かなくならないか?」
「音楽と演技の声の大きさはこちらで調整します、ですから音楽はお構いなしでガンガン鳴らして下さい!」
これにセシリア社長が待ったをかけた。
「リック監督。大先生にあまりご無理を言う物ではありませんよ?」
「いえ、やり直しましょう!」
意外にも大先生が答えてくれた。
「しかしこの曲、5分。管も弦も、全力疾走みたいな曲です。
少々休憩を取ります」
流石に殺人的な指示だったかとリック監督は反省したと懐述したが。
「あ、先生。途中演奏が失敗しても止めないで、そのまま全力で突っ走って下さい」
「え?それはいくら何でも…」
「その必死な感じ、生々しさがいいんです」
駄目だった。殺人性に拍車がかかった。
「M35テイク2!」
再度激戦に音楽が重なる。今度は演技シーンも全力演奏、途中の演奏ミスも何のそので音楽が洋上を、引き裂かれる軍艦の上に覆いかぶさった!
終盤、最早チェンバロ奏者は鍵盤を拳で叩き壊す勢いで演奏した。
エクリス師の指揮が、まるでなにかに取り付かれた様に激しさを増していたせいである。
演奏は終わった。
演奏者の誰かが、力の抜けた拍手を贈ってくれた。
それに応じて、一人、また一人と拍手が増えて行った。
録音技師は、録音を止めるに止められなかった様で録音を続けた。
その、演奏会では許されない様なミスも、脱力した拍手も、すべて録音され、後年ずっと好事家の話題になっている。
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そして小休止を挟み、合唱隊が加わって、勝敗が決した後の惨状に激しい鎮魂歌を奏でる。
フィルムの上では艦隊が残存部隊を追跡し敵軍港に迫り、砲撃を行う。
地上では女子供も関係なく、砲弾が人間を肉片に変えていく。
炎が軍港の街を覆い尽くす。
指揮するエクリス師は、鬼の様な表情で、同時に時間を計りながらどこか冷静に演奏に全力を捧げていた。
録音ホールの窓の外で見ていた多くの見学者が泣いていた。
映像に、セリフの無い映像でも音楽が重なる事で、そのフィルムの伝えんとすることは伝わる。
戦いが終わり、演奏も終わる。録音も終わった。
エンディング音楽の終わりと共に、盛大な拍手が見学者から沸き起こった!
録音技師は録音を再開し、サントラ音盤の締めには盛大な拍手が記録された。
指揮台を降りたエクリス師はコンサートマスターとの握手の後、リック監督の元に向かい、固い握手を交わした。
更に拍手は勢いを増した。
音楽の収録は、関係者の熱気と興奮に包まれる中、無事に済んだ。
残すは編集、そして宣伝となった。
もしお楽しみ頂けたら星を増やしていただけるとヤル気が満ちます。
またご感想を頂けると鼻血出る程嬉しく思います。




