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夜籠の鳥(よごめのとり)  作者: 児島らせつ
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十一月二十七日 午後三時十五分


 冷たい床に倒れ込んでいた莉子は、思い通りに動かない体をようやくのことで反転させると、目の前に横たわる男をぼんやりと眺めた。

 明かり取りの窓から差し込む光が、男の上半身を弱々しく照らし出している。

 大の字になった男は、天井の方向に顔を向け、光を失った目を薄く見開いたたままで微動だにしない。

 ただ、左のこめかみに近い場所から流れ落ちる鮮やかな赤色の液体が、光を反射しながら一匹の生物のように弱々しく脈動していた。

 脈動が止まるのは、恐らく時間の問題だろう。そのとき、男の穢れた魂はこの世を離れ、地獄へと堕ちていくのだ。

 ――仇を取ったよ、お兄ちゃん。

 莉子は、男のこめかみに浮き出る脈動を、意味もなく数えた。

 ――一、二、三、四……。

 数が増えるごとに、脈動が少しずつ弱くなっていく気がした。

 十数回まで数えたときに、回数がわからなくなった。不思議だ。思考が徐々に緩慢になっているのだろうか。なぜだろう。

 ――あ、私も、刺されたんだっけ。

 莉子は、頭をゆっくりと下半身の方向に向けてみる。頭が、いつも以上に重く感じる。ようやくのことで視線を下半身に向けると、左脇腹の下側付近から大量の血液が流れ出て、床の上に大きな血だまりをつくっていた。

 ――私も、もうすぐ死ぬのかな?

 不思議なことに、痛みはなかった。恐怖感もなかった。感じるのは、むしろ歓びに近い感情だった。

 目的は達成した。たとえ死んだとしても、“向こう”で兄に会えるのだ。

 兄に会ったら「仇を討ったよ」と、胸を張って報告しよう。きっと兄は、かつてのように優しく微笑んでくれるだろう。

 二列目かその他大勢か、一番手か二番手か。そのような問題は、もはやどうでもよくなっていた。

 床に体温を奪われつつあるはずの莉子の心の奥から、温かいものがゆっくりと沸き上がってきた。同時に、心が急速に軽くなっていく感覚を覚えた。

 自分の人生が最高だったかどうかはわからない。しかし、少なくとも悔いの残らない最期を迎えることはできそうだ。

 ――お兄ちゃん……。

 懐かしさのあまり、莉子の頬を温かい涙が流れた。心の中の温度が、そのまま乗り移ったかのような温かい涙だった。

 思えば、今まで流してきた涙は、冷たい涙ばかりだった。最後に、兄のおかげで、そして神様のおかげで、温かい涙を流すことができた。

 ――もういいよね。目を瞑るよ。

 一度瞑ったら、もう二度と、目を開けることはないだろう。目覚めたときは、きっと兄が傍らにいるのだ。

 そんなことを考えながら、半分ほど目を瞑ったときだった。

 突然、大きな音を立てて倉庫の入口のドアが開いた。

 ――誰? お兄ちゃん?

 莉子は、夢と現実の間を彷徨いながら、入口の方向に顔を向ける。

 立ち竦んでいる人物のシルエットが、光の中にぼんやりと浮かび上がっていた。

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