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夜籠の鳥(よごめのとり)  作者: 児島らせつ
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 仕方なく、百二十万円が入った封筒を上着のポケットから取り出すと、指示された通り、ガラスに立てかけるように窓枠の上に置く。

 封筒が落ちないことを確かめた京介は、ドアの場所まで戻って再びドアノブを握る。時計回りに軽く力を入れると、ドアは音もなく開いた。まるで、今も日常的に使われているかのように自然な、いや、ある意味では不自然なほどにスムーズな開き方だった。京介は、開いたドアの隙間から、ゆっくりと足を踏み入れる。

 百二十万円を置いた明かり取りの窓から差し込む光が、倉庫内を薄暗く照らしていた。暗さに慣れていない京介の目には、ただの広い空間がぼんやりと見えるだけだった。

 体育館とまでは言えないが、学校の教室の数個分ほどの広さの空間だった。ただし、天井は教室と比べ物にならないほどに高い。かつてはこの空間の隅から隅まで立錐の余地もなく、大量の原料や商品がうずたかく積み上げられていたのだろう。しかし、それらの品がなくなってしまった今となっては、その広さがあだとなって、殺風景という他に表現のしようがない、空虚な空間となっていた。

 少しずつ、薄暗さに目が慣れてきた。

 空間の右の壁に、古びたパイプ椅子が数脚、立てかけられているのが目に入った。さらに奥には、錆びついて動きそうにないフォークリフトが放置されていた。

 室内を進んだ京介は、一番手前のパイプ椅子に手をかけると、広げて埃を払う。他に出入口がないのを確認すると、椅子をドアのほうに向けて腰かけた。

 何気なく、窓を見る。ガラスに立てかけられた封筒が見えた。

 続いて、腕時計を見る。

 時刻は午後二時五十三分。約束の時刻まで、あと七分だ。

 この姿勢のまま、犯人が現れるのを待とうと決めた。恐怖心がないわけではない。しかし、犯人の目的は金だ。大人しく渡せば、問題はないだろう。

 そして、もし可能なら……。

 ――そう、隙を見て、金を取り返す。

 京介は、祈るような気持ちでズボンの後ろに手を伸ばすと、ベルトの間に忍ばせているサバイバルナイフの柄を握り締めた。

 決して、使うつもりはなかった。ただ、持っているだけで心の支えになる気がした。


          *


 しばらく待ち続けた後、京介は再び腕時計を見た。

 午後三時。

 ――約束の時間だ。

 そう思ったとき、軽い金属音が耳に入った。ドアノブが回転する音だった。京介は、音がした方向に視線を送った。

 ドアがゆっくりと開き、一人の人物が姿を現した。明るい屋外を背にしているので、確認できるのはシルエットだけだった。

 ――どんな男だ?

 京介は、目を細める。黒いシルエットが、次第に人間の姿を帯びはじめる。

 立っていたのは、一人の女だった。

 女は、京介の姿を確かめると、倉庫の中に足を進めて、後ろ手にドアを閉めた。まだ幼さが残るが、冷たい表情をした女だった。冷たさの中に燃えるような感情を秘めた鋭い視線が、京介の姿を捉えていた。

 思えば「やって来るのは男に違いない」と勝手に考えていた。しかし、その考えに根拠などなかった事実に、京介は今、気づいた。

「小柳京介ね」

 想像もしていなかった展開に我を忘れていた京介は、女の声に促されるように、たどたどしく返事をした。

「ああ、俺が小柳京介だが……」

 恐らく、言葉にも驚きの色が現れていただろう。自分の名を名乗りながら、京介はおもむろに椅子から立ち上がる。倉庫の入口付近に立っている女と、空間の奥で腰を上げた京介が、向き合う形になった。

「お前が、財布を持っている張本人か?」

 京介は半信半疑で、探るように尋ねる。

「まずは、財布を返してもらいたいんだが……」

「ああ、これね。ほら」

 女はポケットから財布を取り出すと、京介に向かって無造作に投げてよこした。財布はコンクリートの床を滑って、京介の足下で止まった。京介はすかさず、足下の財布を拾い上げた。取り敢えず外観を目視して、真贋を確かめる。

 紛れもない。

 あの日、紛失してしまった、京介自身の財布だった。

 注意深く広げて、今度は中を観察する。免許証が入っていた。

 ついでに、内側の隠しポケットの部分を指でなぞってみた。膨らみ具合から、どうやらマイクロSDカードも抜き取られていないようだった。

 財布を奪い返したことで冷静さを取り戻した京介は、女に悟られないように、横目で窓の外をちらりと見る。百二十万円が入った封筒は、そのままだった。

 財布をポケットに捻じ込みながら、改めて女を観察する。

 そもそも祐真の証言では、犯人は背の高い男のはずだった。男装したうえで、祐真に暴力を振るったという可能性も頭をよぎったが、目の前の女は、どう見ても大柄ではない。体つきから考えても、祐真を拉致監禁して暴行を働くなど、とてもできそうには思えなかった。

 ――仲間に襲わせたという話か。

「それにしても、祐真を襲わせるなんてのは、フェアじゃないな」

「ゆうま? 誰の話?」

 祐真の名前も知らなかったのか。それとも、しらばっくれているだけなのか。

 そう考えたとき、女は肩に下げていたバッグから、素早く何かを取り出した。

「これは取り引きよ。わかってるわね!」

 京介は、女が持っているものの正体を確認しようと、逆光になっている女の手元を凝視する。

 拳銃だった。

 女は拳銃のグリップを右手で持ち、その手に左手を添えると、京介に銃口を向けた。

「財布と引き換えに私が望むのは、お前の命よ!」

 京介は驚愕し、混乱した。

「どういう意味だ!」

 女は、照準をピタリと京介に合わせたまま、怒りに満ちた表情で眉間に皺を寄せる。


「私は、朝霧莉子。本名は佐藤莉子。歌舞伎町の事務所でお前に刺殺された、佐藤企画の社長である佐藤賢人の妹よ!」


「何だって!」

 京介は、思わず叫んだ。

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