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夜籠の鳥(よごめのとり)  作者: 児島らせつ
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十一月二十七日 午後二時


 田所たちが、池袋にある莉子の事務所に向かっていたちょうどその頃、京介は新宿駅から八王子駅へと向かう京王電鉄の特急の中にいた。

 調布駅に着くと、取り引き場所である稲城駅に向かうために、京王相模原線の各駅停車に乗り換える。間もなく、電車は多摩川を越えて神奈川県川崎市に入った。

 ――いよいよだ。

 京介は、決意を新たにした。


          *


 ほどなくして、電車は稲城駅に到着した。電車を降りた京介は、階段を上って改札口を抜ける。チャージ式の交通系ICカードを上着のポケットに仕舞うと、腕時計を見た。

 午後二時三十分。

 時間通りだった。

 犯人のメッセージでは、午後二時三十分に稲城駅にいる京介に対してメッセージが来る予定になっていた。単に、午後二時三十分になったらメッセージを送信するという意味なのか。それとも、何らかの方法で京介の行動を逐一観察していて、駅に到着したときにメッセージを送信するという意味なのだろうか。もし後者なら、近くに潜んでいるのかもしれない。

 ――犯人は、この周辺にいるのか?

 京介は、駅前のロータリーへと続く通路の中央に立ち、前後左右を注意深く見渡した。しかし、目に入るのは、老夫婦や買い物袋をぶら下げた主婦、学校帰りの学生など、そのまま駅前の景色に溶け込んでしまいそうなほどに違和感のない人々ばかりだった。

 通路を挟んで改札の向かいにある、喫茶店の店内に視線を移動させた、そのときだった。スマートフォンが、メッセージの受信を告げた。京介は、視線を喫茶店からスマートフォンに移動させると、画面に見入った。


到着したか。今から地図を送る。


 単純明快な内容だった。画面を開いたままで、返信するべきか考えていると、すぐに地図が送られてきた。地図には、駅から一キロあまり離れた地点が示されていた。

「ここは……」

 京介が呟く間もなく、再びメッセージが届いた。


ここに午後三時だ。


 やはり、簡潔な文面だった。

 午後三時といえば、あと三十分弱だ。指定の場所までは、恐らく歩いて二十分ほどだろう。あまり時間がない。いろいろと疑問はあったが、京介は、深く考えることをやめて、取り敢えず歩きはじめた。


          *


 京介は、稲城駅の南側に広がるロータリーを抜けて、駅前の通りを南東に向かった。

 歩きながら、スマートフォンの地図アプリを立ち上げて、周辺の立体画像を表示する。指定された現場には、工場らしき無機質な建物が建っていた。

 スマートフォンを片手に駅前の小規模なビル街を歩いていると、街並みはすぐに住宅街に変わった。道の両側には、まだ築数年と思われる新しいマンションや、小綺麗な一戸建てが立ち並んでいる。建物から出てきた親子連れが、幸せそうな笑みを浮かべて駅の方向へと歩きながら、京介と擦れ違った。

 ――幸せそうで、何よりだ。

 皮肉ではない。本心から、そう思う。しかし、彼らは今の京介とは、別次元の世界を生きている。京介は、これから起こるであろうできごとに意識を集中するため、彼らから敢えて目を逸らした。

 道を十分ほど歩くと、左手に目的の建物が姿を現した。つい先ほど、地図アプリを使って確認した立体画像と、寸分違わない外観だ。かつて食品会社の工場だった建物に違いなかった。

 通りを渡ると、建物に向かって延びている脇道に入る。脇道の両側では、土が山のように盛り上げられた造成地が、薄茶色の山肌を晒していた。

 周囲には、誰もいなかった。京介は、今にも崩れかかってきそうな山肌の間を進んで、廃工場前の平地に入った。

 平地の数十メートル先には、コンクリートの壁が立ちはだかっている。その中央にある入口と思しき場所には、鉄条網が何重にも張られていた。

 鉄条網の前には、かつて立ち入り禁止を告げていたと思われる看板が立っている。「  なので、立ち入りを  します」と読めた。

 恐らく「危険なので、立ち入りを禁止します」と書かれていたに違いない。赤い塗料で書かれた「危険」と「禁止」の文字が、この数年間、風雨に晒され続けたことで色褪せて、判別不能になったのだろう。

 鉄条網に近づくと、一ヶ所だけ、切り開かれている部分があった。切られた部分は捲れ上がって、小さなトンネルのようになっている。物好きが「廃墟巡り」などと称して入り込んだことは、容易に想像がついた。

 切り開かれた隙間は、一人ならば問題なく通り抜けられそうな広さだった。京介は、錆びた鉄条網の鋭い棘に引っかからないように気をつけながら、腰を屈めて足を進めた。注意深く進み、ようやく通り抜けると、顔を上げて工場の敷地を見渡す。

 遠目に見た限り、建物はそれほど傷んでいないように見えた。つい先日まで、何かしらの製品を計画的に製造し続けていたと言われれば、信じてしまったかもしれない。

 しかし、いざ近づいてみると細部は薄汚れ、予想以上に劣化していた。外階段は上るのが危険と思えるほどに錆びついて、所々、すでに崩れ落ちている。コンクリートの外壁にはひびが入って、金属製のドアは流れ落ちた雨の雫の形に錆が浮き上がっている。

 人間の欲望や情熱が醸し出す熱量は、もはやそこにはない。不気味なまでに腐食したその姿は、まさに廃墟と表現するにふさわしかった。廃墟として以外の存在意義を、とうの昔に失ったコンクリート製の工場を左手に見ながら、京介は敷地の裏側に回り込む。工場よりもはるかに小さな、薄汚れた建物が視界に入った。

 取り引き場所に指定された倉庫だ。

 倉庫の正面の開口部には、大きなシャッターが取りつけられていた。京介はシャッターに近づくと、最下部から数センチほど上にある取っ手に手をかけて、力いっぱい引き上げようと試みた。しかし、恐らく内側からロックされているのだろう。シャッターはびくともしなかった。

 どうするべきか思案していると、巨大なシャッターの右横に小さなドアがある事実に気がついた。歩み寄って、ドアノブに手をかけたとき、再びメッセージが来た。


倉庫に着いたら、中から見えるように窓の外側の窓枠の上に百二十万円を置け。

そのまま、中で待て。


 ――ずいぶん奇妙な要求だな。

 京介は、不思議に思いながら顔を上げる。ドアの右側、五メートルほど離れた位置に、明かり取りと思われる小さなガラス窓があった。ガラス窓に近づいて、そっと覗いてみたが、薄暗いために中の様子を伺い知ることはできなかった。

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