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夜籠の鳥(よごめのとり)  作者: 児島らせつ
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「彼女はまだまだ脇が甘いというか、アイドルとしての自覚がちょっと足りないと感じる部分もありまして……。その辺りで成長してもらえると、大化けする可能性があるんですが。まだこれからの子って感じで」

「そうですか。それは将来が楽しみだ」

 田所は、大袈裟な笑顔を浮かべた。

「ところで、もしよろしければ、莉子さんの連絡先をお教えいただきたいんですが」

「ああ、電話番号なら、すぐにわかります。ちょっと待ってください」

 坂上は、机の上から自分のスマートフォンを取り上げて、アドレス帳を呼び出すと、画面を田所に向けた。

「これです」

 リストの下のほうに、莉子の電話番号が見えた。恐縮そうな表情をつくって頭を下げる田所の横で、素早く手帳を取り出した小山内が、スマートフォンの画面に映る十一桁の数字を書き写した。

「お忙しいところ、有り難うございました」

 二人は丁寧に礼を言うと、事務所を後にした。小山内が、エレベーターのドア横にある下向きのボタンを押しながら呟いた。

「朝霧莉子は、どうして兄の事件について、事務所の人に詳しく話さなかったんでしょうね」

「ああ。アイドルと言えば、スキャンダルはご法度だ。歌舞伎町で働いている兄が事件に巻き込まれたとは話しにくかったのかもしれんな」

 エレベーターに乗り込もうとした、まさにそのときだった。事務所のドアが開き、一人の女性が顔を出した。

 先ほどの女性よりは、明らかに若かった。ゆったりとしたシルエットのベージュのセーターに身を包み、憂いを含んだ瞳をこちらに向けている。

「刑事さんたち、莉子を探してるんですか?」

 女性は、後ろ手にドアを閉めながら、田所の顔を心配そうに覗き込んだ。

「あなたは?」

 小山内が、不思議そうに尋ねる。

「莉子の友人で、栃ヶ谷紗英といいます」

 どうやら、莉子が所属するグループの一員らしかった。

 当然の話だが、田所はアイドルや芸能界などという世界にはまったく縁がない。名前と顔が一致しないというレベルではなく、一般人とアイドルの区別さえつかない。しかし、今、目の前にいる紗英という女性は、確かにアイドルらしい華やかさを身につけていた。

 少々疲れている様子なのが気にならないでもなかったが、田所が感じるそんな微かな違和感に、紗英は気づいていないようだった。

「実は今日、グループを卒業する先輩の個人的な送別会があるので、夕方に莉子と合流する予定だったんです。その件で二十分ほど前にSNSを送ったら『送別会の前に用事があるから、一時間ぐらい遅れるかも』って返事が来たんです」

「どこに行ったかわかる?」と、小山内が細身の上体を乗り出した。

「確か、野球の……。ちょっと待ってください」

 紗英は、ポケットからスマートフォンを出して、電源を入れる。SNSアプリケーションを起動させると、画面を見ながら呟くように言った。

「ジャイアンツの球場の近くだそうです……」

 田所は、思わず画面を覗き込んだ。確かに、紗英の言葉通り「ジャイアンツの球場の近く」という文字が表示されていた。

「有り難う。助かりました」

 田所が丁寧に礼を言うと、紗英はやや力のない声で尋ねた。

「莉子、大丈夫ですよね?」

 莉子に何かあったら、自分もどうにかなってしまいそう。そう思えるほどの深刻さを秘めた声だった。

「莉子さんのお兄さんについて、ちょっと話を聞きたかっただけですから。莉子さんは大丈夫です。でも、なぜそんなに心配を?」

 刑事が友人に話を聞きたがっていると知り、漠然とした不安に、いてもたってもいられなくなったのだろう。そう考えた。しかし、紗英の回答は、予想とは少々異なっていた。

「実は莉子、人捜しをしてるらしくて……。何でも、行方をくらましたとか何とか……」

「人捜し?」

 田所の心に、小さな漣が立った。注意深く観察していなければ、気づかないまま通り過ぎてしまいそうな、ほんの僅かな水面の揺らぎだった。

「相手はいったい誰です?」

「さあ、会話の中でちらっと話が出ただけだったんで、詳しくは聞けなかったんですが……。凄く真剣そうな表情だったんで、ずっと心に引っかかってたんです」

 眉間に軽く皺を寄せながら水面を凝視する田所を前に、紗英は同じ言葉を今一度繰り返した。

「莉子、大丈夫ですよね?」

 田所は、紗英の不安を可能な限り払拭しようとして、つくり笑顔で返した。

「ええ、大丈夫です。心配はいりません」


          *


 車に戻って座席に座った、まさにそのときだった。

 二人の警察専用スマートフォンが、同時に鳴った。田所が反応するよりも早く、小山内がすかさずポケットに手を突っ込んで、スマートフォンを取り上げた。

「午後二時四十分頃、事件の容疑者によく似た人物を目撃したという通報が入ったようです」

「何だって!」

 田所は思わず大声を上げた。

「場所はどこだ!」

「えーと。稲城駅周辺だそうです」

「稲城駅だと?」

 次の瞬間、小山内は画面に視線を落としたまま、残念そうな表情になった。

「最寄りの交番の警察官がすぐに駆けつけたそうですが、見失ったみたいですね」

 田所は、思わず額に手を当て、低い声で唸った。

「くそっ。馬鹿野郎が」

 厳しい表情で顎を撫で回していた田所が、突然、小山内に向かって声を張り上げた。

「おい、すぐに稲城に向かうぞ!」

 小山内が、驚いた様子で田所を振り向いた。

「稲城、ですか? 管轄外ですよ」

 表情には、明らかに戸惑いの色が浮かんでいた。

「構わん。俺が責任を取る。場合によっては、稲城署に応援を頼むことになるかもしれんがな」

 一瞬の間を置いたのち、小山内は静かに目を瞑って、溜め息を吐いた。車のサイドブレーキをゆっくりと下ろすと、アクセルを踏み込みながら小さく呟く。

「どうなっても知りませんよ」

 勢いよく動き出した車の中で、田所は小山内の横顔を見る。諦めたような言葉の抑揚とは裏腹に、笑っていた。妙に愉快そうだった。

 実は、田所と稲城警察署の署長は、お互いに知らない仲ではなかった。というより、署長は田所にとって、昔から懇意にしてもらっている先輩だった。まだ田所が駆け出しだった頃には、よく可愛がってもらったものだ。

 ――あとで、先輩に詫びの電話でも入れておかなきゃな。

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