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夜籠の鳥(よごめのとり)  作者: 児島らせつ
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 祐真は、ここ半年ほど京介の事務所に出入りしている、いわばアルバイトのような存在だった。フルネームを、高見沢(たかみざわ)祐真という。

 とはいうものの、京介自身、従業員に対してまともな給料など払える身分ではない。そこで、雑用などをやってもらう代わりに、ときどき交通費程度の金を渡したり、飯を奢ったりしていた。

 年齢は今年、二十五歳になるという。本人の話によると、かつて歌舞伎町でホストをしていたらしい。何でも、まったく罪のないうら若き女性たちを言いくるめては、高級シャンパンとの誉れ高いドン・ペリニヨンを毎夜のように注文させて、ときには一日に数百万円を売り上げた経験もあるとの話だった。

 爽やかな風になびくサラサラの茶髪、一八〇センチを超える長身、羨ましいばかりにスリムな体型などを見ると、ホストをやっていたという話もまんざら嘘ではなさそうに思える。

 ただ、服装はいつも決まって、安物のトレーナーとくたびれたジャンパー、そしてボトムスは色褪せたワークパンツである。お世辞にも、女性にもてそうなファッションではない。総合的な判断から、京介は祐真の“自称”元ホストという肩書を、心の底からは信用していなかった。

 祐真との出会いは、五月のある日のことだった。

 夜の十時過ぎ頃、打ち合わせ先から歌舞伎町の事務所に戻ったときに、事務所前のゴミ捨て場の中に、ほぼ瀕死の状態で倒れ込んでいたのだ。

 その数日前、すぐ近くでバラバラ死体の一部が発見されたばかりだった。

 発見した瞬間は、その事件を思い出して恐怖した。しかし、生きている事実がわかり、さらに胸元に小さな子猫を抱いていることに気づいたため、思案の末、柄にもなく事務所で介抱してやった。

 目を覚ましたときの自己紹介で、京介は若者が祐真という名であることを知った。

 話によると、子猫を蹴飛ばした若者グループを咎めたのが原因で口論になり、トラブルになったらしかった。運の悪いことに、相手のグループは揃いも揃って空手だか柔道だかの経験者だったらしく、散々殴られて子猫を抱えたままゴミ捨て場に倒れ込んだという話だった。

 話の内容には同情したものの、所詮は他人だ。夜が明けたら子猫とともにお引き取り願おうと思っていた。

 しかし本人は、恩返しのために事務所で手伝いをしたいと言い張った。

 そこで、試しに電話番や使い走りなどの雑用を任せてみたところ、思った以上に周囲の評判がよかった。しかも、広い交友関係を駆使して、ちょっとした調査もそつなくこなす。なし崩しでアルバイトのような真似をさせるようになって、気がついたときには半年がたっていた。

 祐真は、恐らく天性の人たらしなのだろう。多くの人々が、そんな祐真の人間性に、いとも簡単に絡め取られた。かくいう京介自身も、そんな彼に絡め取られてしまった人物の一人に他ならなかった。

 入院した翌日、病院から祐真に電話をかけたのも、今にして思えば祐真の声が聞きたくなったからだった。受話器の向こうで、驚きながらも心の底から心配してくれている祐真の反応の一つ一つに、心が救われた思いがした。


          *


 そして現在(いま)

 京介と祐真は、駅前通りを挟んで五反田駅の向かい側にある、小さな定食屋にいた。

 メニューのバリエーションの豊富さとサラリーマン向けの良心的な価格設定に加え、味のよさにも定評があるという、知る人ぞ知る店だ。小耳に挟んだ話では、某グルメサイトでも星四つを獲得しているらしい。

 そんな評判のよさを裏づけるように、午後四時を過ぎた今でも、店の中は多くのサラリーマンで賑わっていた。恐らく、外回りの営業マンたちが、遅めの昼食をとるために訪れるのだろう。

 しかし、京介には星の数などは、どうでもよかった。安くて、しかも量が多いというのが、最大の魅力だった。

「焼き肉定食でも、いいすか?」

 メニューを広げながら、祐真が聞いた。

「ああ、いいぞ」

「京介さんは、何にしますか?」

「俺は、唐揚げ定食にしよう」

 祐真はすかさず手を上げ、よく通る声で唐揚げ定食と焼き肉定食を注文した。ものの五分とたたないうちに、注文した定食がテーブルの上に置かれた。

 祐真が、目の前に置かれた料理を前にして、嬉しそうに割り箸を割った。まず焼き肉に箸を延ばすと、白飯を掻き込みながら口を開く。

「傷の調子は、どうなんすか?」

「ああ、痛み止めを飲んだら、途端に調子よくなったよ。おかげで、こうして外出することができた」

「それにしても、二週間前の電話には、びっくりしましたよ」

 祐真が突然、茶碗を持ったまま、右手の箸を振り回した。

「久々に京介さんから電話がかかってきたと思って出てみたら、入院してるって言うんすから」

 そういえば、入院二日目に祐真にかけた電話は、一週間ぶりぐらいの連絡だったか。

「ところで、財布は見つかったんすか?」

 事件の当日、紛失した財布の話だ。思い出したくもない。痛いところを突かれた。京介は、無意識に脇腹を押さえた。

「いや、結局、見つかっていないんだ。あの日にどこかで落としたのは、ほぼ間違いないんだが、あれからもう半月だからな。いったいどこに行ったのやら」

「クレジットカードや免許証は?」

「免許証が入っていたが、とっくに紛失届を出した。その他のカード類は、運がいいことに財布とは別のカードケースにまとめて入れてたんで、難を逃れたよ」

「現金は?」

 興味津々だ。

「現金は、確か四万円ほど入っていた。あとは……、マイクロSDカードだ」

 祐真が「えっ」と驚きの声を上げた。

「マイクロSDカードって、例の取材の音声が保存されてるやつっすか?」

「ああ、それだ。財布の内側の隠しポケットに入れていた」

「あーあ。免許証や現金はともかく、マイクロSDカードは、まずいっすよね」

 祐真が、眉間に皺を寄せ、大袈裟に心配そうな顔をした。

「警察という公権力の腐敗に鋭く切り込む、トップシークレットの取材内容っすよね。しかも、一部には盗聴まで含まれてるから取材方法もグレーゾーン、いや、完全に非合法。警察の手に渡ったとしたら、全力で揉み消そうと動きはじめる可能性も……。しかも、相手は警察だから、交渉の余地もなし。京介さん、本当にまずいかもしれませんよ」

 祐真が、ご飯を口に頬張ったまま、大声で捲し立てる。顎の右側についていた飯粒が、テーブルの上に跳んだ。

「うるさい。声がでかいぞ。場所をわきまえろ」

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