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夜籠の鳥(よごめのとり)  作者: 児島らせつ
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十一月二十六日 午後五時


 ホテルのベッド上に座り込んだ京介は、ノートパソコンを膝の上に広げて、インターネットで呟かれているメッセージの数々を眺めていた。

 栃ヶ谷紗英のスキャンダルに関する呟きメッセージだ。

 京介の記事は、予想通りの、いや予想を超えた反響を呼んでいた。

 秒単位で次々と書き込まれていく新しいメッセージを、画面をスクロールさせながら斜め読みする。京介自身がなるほどと納得するほど的確な分析もあれば、ただ他人の悪口を垂れ流したいという欲求を紗英に向けただけの無責任な誹謗中傷もある。まさに玉石混交の大炎上状態だった。

 ごく稀にだが、記事の内容を信じられないというユーザーによる、京介に対する非難も見受けられる。だが、そのような呟きは想定内だ。自分の原稿が社会に与えている影響を目の当たりにする瞬間は、大きな仕事の原稿料の振り込みを確認したときと同様に、至福を感じる時間だった。

 画面を見ながら、京介は第二弾の記事の構想を練っていた。天然キャラと思わせておいて実は計算高いと噂される紗英の性格、家庭や会社でのIT社長の素顔などのエピソードを絡めながら、二人の関係を刺激的に描き出す。

 ――このネタをうまく引っ張って、二、三ヶ月ほど食い繋げればいいんだが。

 頭の中で、捕らぬ狸の皮を数えた。

 ――そういえば、IT社長のインタビュー記事が掲載されている雑誌を一週間ほど前に買って、バッグに入れていたはずだ。

 念のために、読み直しておこうと思い立った。

 早速、バッグに手を突っ込んだ。だが、荷物に紛れて底のほうに移動してしまったのか、なかなか見つからない。それらしきものを探り当てて引っ張り出してみると、雑誌ではなく、一冊のファイルだった。

 一年ほど前、営業用のサンプルとして、過去に執筆した記事を集めてつくったファイルだった。つくったはいいものの、結局、営業活動に使うことはほとんどなく、バッグの底に長く入れっ放しになっていた。

 探していたものではなかったが、懐かしく思えて、何気なく開いてみた。

 最初の数ページは、珍しく大手出版社に依頼されて週刊誌に執筆した「歌舞伎町で夢を追い求める若者たち」というミニ特集だった。六年ぐらい前に書いた記事だ。

 取材した相手は、当時キャバクラの従業員だった佐藤賢人という若者。この記事のために密着取材したときには、まだ夜の街に足を踏み入れたばかりの新人だった。

 しかし、もともと機を見るに敏といった性格だった賢人は、ここぞというときの決断力と商才に恵まれていた。取材後、瞬く間に頭角を現して、数年後に独立すると、歌舞伎町に事務所を構える小さな人材斡旋会社「佐藤企画」の社長になった。京介も取材以来、賢人とは親しくさせてもらっていた。

 だが、会社の業績がよくなるのと同時に、上の立場から見下ろすような物言いが多くなった。その結果、ここ数ヶ月は以前ほど親しい関係ではなくなり、今では会って話すこともできなくなってしまった。

 賢人を思い出しながらページを捲っていると、傍らのスマートフォンが震えた。手に取ると、祐真の名が表示されていた。

 賢人に関する回想を中断した京介は、受話器マークを押して、耳に当てる。

「……もしもし……、俺っす」

 力のない、途切れ途切れの声だった。

「どうした、元気がないな」

「実は……」

 言いかけて、咳き込む音が聞こえた。嫌な予感が背中を走った。

「おい、大丈夫か。何かあったのか」

「知らない奴に拉致されて、しこたま殴られました。今も、縛られて身動きが取れないっす」

「何だって!」

 京介は、スマートフォンを両手で握り締めた。無意識のうちに、声が大きくなっていた。

「今、どこにいる? 場所はわかるか?」

「西武新宿駅の東側にある古い雑居ビルの、今は使われてない地下街っす。その地下街の突き当りにある部屋っす」

 その場所には、心当たりがあった。一年ほど前に閉鎖されて、今は入口にロープが張られたまま立ち入り禁止になっている小さな地下街だ。

「相手は誰だ?」

 祐真は再び咳き込んだ。苦しそうな喘ぎ声を挟んで、言葉を続ける。

「帽子にマスクで……。振り向かせてもらえなかったんで誰かはわかんないすけど、一人でした……。背の高い痩せた男っす」

「何でまた……」

「理由も、よくはわかんないっすけど……。ただ、『お前に恨みはない。恨むなら犯人捜しなどと言いながら姑息な真似をしている奴を恨むんだな』って……」

 京介は、電話口で思わず息を飲んだ。

 ――俺が原因、なのか?

 苦しそうに話し続ける祐真に対して自責の念を感じながら、静かに語りかける。

「男は、まだそこにいるのか?」

「さっき、どっかに行って……。今は、いないっす」

「すぐに行くから、大人しく待ってろ!」

「……申し訳ないっす……」

 弱々しい声が耳に残った。

 電話を切った京介は、上着を羽織ると急いで靴を履き、部屋を走り出た。


          *


 新宿駅に着いたとき、祐真に電話をかけたが、繋がらなかった。電源が切られているのか、あるいは再び出られない状態になったのだろうか。理由は不明だった。

 京介はスマートフォンをしまうと、西武新宿駅の東側を南北に走る駅前通りを小走りで北上する。

 仕事上、かなり危険な取材もこなしてきた経験をもつ京介だったが、さすがに緊張していた。走りながら上着の内ポケットに右手を入れて、硬く細長い物体の存在を確認する。

 護身用のサバイバルナイフだった。

 普通に考えると、一人で現場に乗り込むのではなく、警察に通報するべき状況なのだろう。しかし、警察に通報するということは、京介自身が警察に事情を聞かれることを意味する。当然、脅迫の材料である財布の中身についても、知られることになる。

 それだけは避けたかった。

 ――大丈夫だ。きっとナイフなどを使うこともなく、祐真を助け出せる。

 京介は、自分に対して必死に言い聞かせた。

 間もなく、目的地の雑居ビルが姿を現した。ビルに走り寄ると、地下に続く階段の前で立ち止まる。多くの人々が通りを行き交うなかで、階段の周辺だけは、ひっそりと静まり返っていた。

 京介は、道往く人々に背を向けながら、階段の奥に広がる暗闇に視線を凝らす。場違いなまでに不気味な漆黒は、現実世界から隔絶された、異世界への入口のようにも思えた。人々は、まさか二十一世紀の歌舞伎町に、このような前時代的な正体不明の空間が存在していて、そこで今も一人の若者が捕われているなどとは、夢にも思っていないのだろう。

 京介は、左右を軽く確認すると、両側の手すりの間に張られたテープを跨いで、階段を降りた。段差を踏み締めるコツコツという靴音が、暗闇に反響して一際大きく感じられる。

 階段が終わると、地下街に出た。地下街もまた階段と同じく、一切の照明が消えて、真っ暗な空間になっている。京介は、階段の前を左右に伸びているらしい地下街の通路を右に進んだ。まるで砂利道のように、足下に散乱する無数のコンクリート片。その破片を踏み締める感触が、靴を通じて伝わってきた。

 京介はスマートフォンを取り出して、LEDライトを点けた。犯人が戻ってきている事態を想定して、できるだけ音を立てないように注意深く歩く。突き当たりまで来ると、床を照らしていた照明を壁に向けた。

 壁には、茶色い木製ドアが嵌め込まれていた。ドアの上には、そこがもともとスナックバーであった事実を示す看板が掲げられている。薄汚れているので、店名は判然としない。

 ドアの隙間から、微かにオレンジ色の光が漏れていた。

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