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夜籠の鳥(よごめのとり)  作者: 児島らせつ
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 幸いにして、人通りはなかった。機材が入ったバッグを足下に置いた京介は、バードウォッチング用の小さな双眼鏡を取り出して、接眼レンズを目に当てた。レストランの方角を向いて、ピント調節ねじを右手の人差し指で回すと、ぼやけていた景色が徐々にはっきりとした像へと変化していく。ピントが合うと、今度は窓の左端から右方向へ、少しずつ視界を移動させる。

 ――いた!

 京介は、心の中で叫んだ。

 栃ヶ谷紗英だった。

 京介が覗くレンズの中央には、窓際の右端から二つめのテーブルで、紺色のスーツに身を包んだ若い男性と向き合いながら、楽しそうに談笑する紗英の姿があった。

 彼女は、池袋を本拠地に活動する、アイドルグループの一員だ。

 彼女が所属しているグループ自体は、今はまだ、数多あるマイナーアイドルグループの一つに過ぎない。しかし、群雄割拠する多くのマイナーグループの中から、次に抜け出すのはこのグループではないかと噂されていた。

 新曲の売り上げ次第では、NPNテレビの深夜枠で冠番組をスタートさせる計画も、水面下で進んでいるらしい。

 そんなグループの中で、トップ五を差し置いて最初にブレークするのはこの娘に違いない。多くのファンたちが密かにそう睨んでいる女性が、他ならぬ紗英だった。

 京介の周辺にいる自称“情報通”たちの間でも、次のファン投票で紗英がトップ五に入るのは間違いないだろうと目されていた。

 京介の耳に「栃ヶ谷紗英がIT系ベンチャー企業の社長と密会している」という情報が入ったのは、二ヶ月ほど前だった。聞くところによると、どうやらグループ内のライバルから、ファンを通じて青戸出版に情報が入ったらしい。

「京介、これ、追っかけてみるか?」

 編集長の遠山から、声をかけられた。

 当然の話だが、有名になれば、本人たちや事務所のガードもそれだけ堅くなる。スキャンダルを押さえておくなら、売れる一歩手前の今こそがチャンスだ。

 ――今から追いかけておけば、他の雑誌のライターやカメラマンを出し抜ける。

 京介は、そう確信して一ヶ月ほど前から、密かに紗英をマークしていた。

 紗英と社長をレンズの向こうに捕捉した京介は、双眼鏡を無造作にバッグの中に捻じ込むと、代わりに一眼レフのデジタルカメラを取り出した。長さが十五センチはあろうかという望遠レンズを手際よくカメラに装着して、桜の木の陰に立てた小型の三脚に固定する。

 スイッチを入れてモニター画面を覗くと、屈託のない紗英の笑顔が、画面の中でアップになった。

 どうやら、デザートを食べているようだった。テーブルを挟んで向かい合う男性の顔が切れないように構図を調節して、シャッターを押す。

 シャッター音は無音に設定してある。静寂の中、京介はシャッターを切り続けた。念のため、男性の顔のアップも押さえておいた。

 ――それにしても、窓際の席で堂々とデートとは、無防備にもほどがあるな。

 とくに不穏な動きもなく、十五分ほどの時間が過ぎた、そのときだった。

 何の前触れもなく、二人が席を立った。そのまま窓際を離れて、店の入口の方へと歩を進めていく。どうやら、店を出るようだった。

 ――第二ステージのはじまりだ。

 京介は呟くと、車の中で待機しているはずの祐真に、すかさず電話をかけた。

「もしもし、俺だ。敵さんが、動きはじめた。今からそっちに向かうから、いつでも動けるように準備しておけ」

「ラジャーっす!」

 京介はスマートフォンをポケットに捻じ込むと、カメラが入ったバッグを抱えて小走りで車に向かった。


          *


 車に戻ると、祐真がエンジンをかけたままで待っていた。「お疲れ様っす」と軽く挨拶の言葉を口にしたが、視線は前を向いたままだ。

「どうした」

 京介が訝しむと、祐真はハンドルを握ったまま、顎で前方を指した。

「お二人さん、どうやらタクシーに乗るみたいっすね」

 前方に目を遣ると、すでにビルを出ていた二人が、道路脇に佇んでいた。男性は、車がやって来る方角を見ながら、右手を挙げている。

「よし、後をつけるぞ」

 二人に向けてシャッターを切りながら、京介が抑えた口調で言った。

「了解っす」

 張り切った祐真の声が、車内に響いた。

 間もなく、通りかかったタクシーが目の前に止まると、二人は吸い込まれるように乗り込んだ。二人を乗せたタクシーがゆっくりと出発するのに合わせて、祐真が運転する車も静かに出発した。間に車を一台挟んだ状態で、気づかれないように慎重に後を追う。

 タクシーは、中央寄りに車線を変更した。こちらも倣って、中央寄りの車線に移動する。二台は、そのまま六本木交差点を右折すると、渋谷方面に向かった。

 二つめの交差点を過ぎた辺りだった。タクシーの後部座席の左側に座っていた紗英が不意に右を向き、男性の顔に自分の顔を近づけた。男性も、紗英の方向に首を傾けながら、頭部を紗英に近づける。

「あれ、キスしてるんじゃないですか?」

 ハンドルを握りながら、祐真が興奮した声で叫んだ。祐真の叫びを聞くよりも早く、京介は助手席ですかさずカメラを構え、シャッターを切った。ほんの一瞬、重なったように見えた二人の顔は、すぐに離れた。その後、何事もなかったように前に向き直った二人を乗せたまま、タクシーは走り続ける。

 京介は、撮影したばかりの写真をモニターで確認しながら、上気した声で呟いた。

「決定的瞬間、とまでは行かないが、十分に使えそうだ」

 しっかりと撮れていた。ピントも問題ない。

「決定的瞬間っていうのは、どんな写真なんすか?」

 助手席の京介に向けて瞳だけを動かしながら、祐真が尋ねた。

「そりゃ、二人してホテルにしけ込むとか、マンションに入るとかの決定的瞬間だよ」

「なるほど。渋谷近辺でホテルにしけ込むとしたら、円山町あたりのラブホテル街っすかね」

「馬鹿野郎。お前と一緒にするな。アイドル歌手とIT系ベンチャー企業の若社長だぞ。もっと高級なホテルに決まってるだろう」

「例えば?」

「そうだなあ……。ここら辺だと、駅前の東急REIホテルとか……」

 しかし、渋谷駅前の明治通り交差点に差しかかったとき、タクシーは東急REIホテルの方向に右折することなく、交差点を通過した。

「別のホテルか。ということは、この先のセルリアンタワー東急ホテル……」

 呟いたとき、タクシーがブレーキランプを点灯させて停車した。同時に、ハザードランプがオレンジ色に点滅する。京介が予想したセルリアンタワー東急ホテルよりも遥か手前、渋谷を代表する商業ビルである渋谷スクランブルスクエアの前だった。

 慌てた京介は、祐真に合図して車を左に寄せさせると、停車した車の中から目を凝らす。

 ドアが開いて、まず出てきたのは紗英だった。

「料金を払ったら、今度は社長さんが降りる番だ」

 京介は、半ば独り言のように声を漏らしながら、固唾を飲んで見守った。しかし、社長はなかなか出てくる気配を示さない。

「遅いな」

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