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夜籠の鳥(よごめのとり)  作者: 児島らせつ
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十一月二十三日 午後六時


 田所と小山内は、被害者のごく個人的なトラブルにまで捜査対象を広げて、歌舞伎町界隈で懸命の聞き込みを続けていた。

 捜査の代表的な手法には、犯行があった地域周辺で聞き取りをおこなう「地取り」、被害者の交友関係などを中心に捜査する「鑑取り」などがあり、基本的にはそれぞれ担当が異なる。しかし、内容的には線引きがはっきりとしていない場合も少なくなく、ときには捜査の内容が両者に跨る事態もある。

 もともと地取りが担当であるはずの田所たちが現在おこなっている聞き込みも、両者に跨る捜査の類といえた。

「情報、なかなか集まりませんね」

 新宿駅東口から新宿通りを歌舞伎町方面へと歩く道すがら、小山内が短く呟いた。田所は、不機嫌に反応する。

「当たり前だ。だからと言って、本部でじっとパソコンを見ていても、勝手に情報が転がり込んでくるわけじゃない」

「今や情報社会ですから、そうなってくれると嬉しいんですけどねえ」

 田所の反応に悪びれる風でもなく、小山内は長い手を頭の後ろで組み、空を見上げた。

 ことさら不機嫌な田所の態度には、理由があった。聞き込みの成果が、思うように上がっていなかった。

 新宿の街を歩き回ることに疲れて無意識に腕時計に目を遣ると、すでに午後六時を回っていた。しかし、靴が擦り切れるまで歩き回る捜査を身上とする田所だ。立場上、音を上げるわけにはいかなかった。思案の末、歌舞伎町の外れにあるゴールデン街に店を構えるバーに向かう決意を固めた。今日は、ここが最後だと心に決めた。

 実を言うと、今朝からの聞き込みで、被害者がそのバーに足繁く通っていたらしいという情報を得ていた。

 ――その店が駄目なら、厳しいかもしれんな。

 藁にもすがる思いだった。

 靖国通りを進んで、歌舞伎町側からゴールデン街に入る。

 木造の小さな店舗が軒を連ねるゴールデン街は、終戦直後に開かれた闇市をルーツとする街で、昭和二十年代から三十年代にかけて飲み屋街として発展した。その当時は、いわゆる娼婦街としての機能を兼ね備えていたため、一階は飲み屋なのだが、店の奥にある狭く急な階段を上ると、二階や三階は連れ込み宿的な機能を果たすという構造の建物が多かった。

 もちろん、二十一世紀になってほぼ二十年がたった現在、連れ込み宿として機能している店舗は、皆無と言って間違いない。しかし、建物の構造に限定すれば、当時の連れ込み宿としての構造を残したままの木造建築が、今も少なからず残っている。

 そして今、田所の目の前にある建物も紛れもなく、そのような昭和時代の遺産の一つだった。令和の喧騒から離れ、時代から取り残されたようにひっそりと佇む姿は、むしろ人々の目に留まることを拒絶しているかのようだった。

 目の前のドアに目を遣る。塗装が剥げた木製のドアの上に、小さな看板が申し訳程度に掲げられていた。建物そのものと同様に、存在感のないドアと看板だった。あらかじめ店の存在を知らない人は、この扉の向こうに店舗としての営みがある事実にさえ気づかないだろう。

「ここの二階だ」

 念のために外から二階を見上げてみると、やはり塗装が剥げた木製雨戸のスリットから、微かな明かりが漏れていた。どうやら、営業中である事実は、間違いないようだった。目の前のドアノブに手をかけて、ゆっくりと引いてみた。木が軋む音とともにドアが開いて、薄暗い空間に木製の階段が姿を現した。

「ここ、営業してるんですか? そもそも、本当に店なんですか?」

 明かり一つない階段を覗き込みながら、小山内が心配そうに呟いた。

 田所は小山内の疑問に答える代わりに、暗闇に足を踏み出すと、階段を一歩一歩、用心深く上る。二階に辿り着くと、そこにも古びた木製ドアがあった。

 ドアを開いて、中に入る。

 時刻が早いせいもあるのだろう。客はいない。ボブ・マーリーの曲が、無人の店内に寂しく響いていた。

 カウンターの陰から、一人の男が顔を覗かせた。三十歳代前半だろうか。十一月も後半だというのに半袖のTシャツを着た、身長が高い痩せぎすの男だった。

「いらっしゃいませ」

 怪訝そうな表情だった。田所と小山内の張りつめた雰囲気が、店に似合わないと感じたのかもしれない。

「こういう者です」

 田所が、カウンターに歩み寄りながら、警察手帳を見せる。続いて「吉田(よしだ)さんですよね。この人物に見覚えがありませんか」と、被害者の写真を差し出した。

 吉田と呼ばれた男の顔から、さっと血の気が引いた。

「何の用ですか。あの人の話なら、俺は何も知りませんよ」

 吉田は、目を泳がせながら、唇を震わせた。

 ――どこからどう見ても、何かを知ってるって挙動だな。

 機を逃さず、田所は鋭い眼光を飛ばしながら、ドスの効いた声で吉田に詰め寄る。

「何も知らない? 笑わせるな」

「俺が犯人だって言うんですか。そりゃ、あの人とは以前、金銭トラブルもありましたけど。でも、だからって、いくら何でも……」

 吉田は、必死に弁明した。自分の潔白を、一刻も早く証明したいようだった。

 ――金銭トラブル、だと?

 もちろん、初耳だった。しかし、悪い展開ではない。こちらが知っているふりをしながら話を進めれば、新しい情報が手に入るかもしれない。

「金銭トラブルの話は知っている。だからこうして、わざわざやって来たんだ。で、それは解決したんだよな?」

「ええ、夏前には解決しましたよ。借りた金は、全額ちゃんと返しました。あと、事件当日は、アリバイもあります。明け方に閉店した後、朝からやってる居酒屋に常連客と行って、その店で……」

「その店で、どうしたんだ?」

「……夕方まで寝ちまったんです。嘘だと思ったら、常連客やその居酒屋の店員に聞いてみてくださいよ」

 ――こいつ自身は、シロだ。だが、何かを隠している。

 刑事としての長年の勘が、田所に囁いた。もう少し、話を聞いてみる必要がありそうだと判断した。カウンターの手前にあった椅子を引くと、威圧的な態度で座り込む。そのまま、吉田に対して無言で鋭い視線を送った。

 根負けしたのか、やがて吉田は小さく息を吐くと、目を伏せながら静かに口を開いた。

「それに、あの人とのトラブルなんて、俺だけじゃないですよ……」

「他にもいるのか」

 田所は、思わず身を乗り出した。

「あの人、いろんな人の世話を焼いてたんですよ。面倒見がよ過ぎるんですよね。だから、変な奴まで寄ってくるっていうか……。とにかく、俺は……」

「お前さん以外で、トラブルのある奴や恨みをもってる奴について、何か知らねえか?」

「……知りません」

 吉田は言ったが、その視線は宙を泳いでいた。

 ――ちょっと背中を押せば、こいつは喋る。

 田所は、カウンターに肘をついたままで店内を見回すと、思い出したように小さな声で呟いた。

「例えばの話だが……」

 上目遣いにチラリと吉田を睨めつけて、一呼吸を置いた後、続ける。

「数年前、自らが経営していた飲み屋で、食中毒事件を起こした男がいた。もちろん、その店は営業許可を取り消されて、そいつは飲食店経営に関する人的欠格事由の対象者になっちまった。ところが、そいつは知人名義で、とある飲み屋街に店を開いた。いわゆる、名義貸しって方法だ。おまけに、知人は最近そいつと仲違いして、経営から退いた。その時点で、その店に事実上、食品衛生責任者はいなくなった。その店は、どうなると思う?」

 田所は、カウンターに肘をついて一段と身を乗り出すと、刃物のような冷たい視線で吉田の目を射止めた。

「本当は、知ってるんだろう?」

 吉田は、観念したようだった。

 自分を守ろうとする人間は、得てして饒舌になる。吉田は、田所がさらに新たな手段を講じる前に、三人の名を次々と口にした。


          *


 店の急な階段を下りながら、小山内が満足そうに声を上げた。

「予想通り、収穫ありでしたね。田所さん」

 田所は、「どこがどう、誰の予想通りなんだ」と問い詰めたい気持ちを抑える。いらない行為で余分なエネルギーを使うのは御免だ。

「それにしても、いつの間にあそこまで調べたんですか」

 吉田の過去についての話だ。

「伊達に長年、刑事をやってるわけじゃない。朝、情報を仕入れた時点で、保安課の奴に店と店主の情報を調べさせた。人間なんてものは、叩けば大抵、埃の一つや二つは出るもんだ。この界隈の人間は、特にな」

 小山内は立ち止まると、驚いた表情で田所の横顔を見つめた。田所は小山内の驚きを無視して、獲物を捕らえる獣のような低い声で命じた。

「そんな話より、名前が挙がった三人と至急、連絡を取るんだ」

 田所の声に我に返った小山内は「わかりました!」と叫ぶなり、背筋を伸ばす。小山内の返事を確認した田所は、顎に生えた無精髭を思わず撫でた。

 ――待ってろよ、犯人め。

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