17
自分の心の奥底には、一番手でなければならないという強迫観念が、鋭い棘となって食い込んでいる。
だからと言って、自分が一番手か二番手かを周囲の人に直接、聞くのは気が引ける。恐らく、自分の立ち位置を点数で確認するという莉子の癖は、そのような遠慮から生まれたのに違いなかった。
――九十点以上なら、おおよそ一番手。
莉子の意識下にある物差しは、莉子自身にいつもそう告げていた。
胸が重くなった。
「ところで、莉子は恋愛をしないの?」
自分の特異な思考傾向に思いを馳せていると、紗英の声が耳に響いた。
――恋愛?
コウ君の顔が、条件反射的に頭に浮かんだ。が、いくら相手が紗英とはいえ、コウ君との秘密の関係を打ち明ける訳にはいかない。
「恋愛は……、してる暇、ないかなあ」
上手く誤魔化せただろうか。紗英の次の一言が怖くて、機先を制して聞き返してみた。
「紗英こそ、恋愛はしないの? 紗英って、もてそうだけど」
「恋愛なんてしないよ。アイドルの私たちは、夢を見せなきゃ。ファンにとって、私たちは神様みたいなもんだからさ」
紗英は、当然といった様子で言い放った。
耳が痛い。莉子は、黙って頷くしかなかった。
「ただ、何を勘違いしてるのか、最近は恋愛スクープ狙いの出版関係者らしき男に、ストーカーまがいの方法で追いかけられてるんだけどね」
初耳だった。
「どうして? 何かしたの?」
「何にもしてないよ。兄貴の友だちから、新規事業についての相談をときどき受けてるだけ。若い女性としての意見を聞きたいっていう話なんだけど、その人との食事を男女の密会と勘違いしてるみたい」
「そのストーカーの事務所か出版社に乗り込んじゃえば?」
もちろん、冗談のつもりだった。ところが紗英は、真面目な顔で呟いた。
「そうだなあ……。兄貴がいつもお世話になってる探偵事務所の人たちに、お願いしちゃおっかな」
本当にやりかねない口調だった。
紗英の意外性には、いつも戸惑わされる。でも、そのような部分こそが紗英の魅力であり、憎めない部分だ。
ワインの魔力で思考が緩慢になった頭で考えていると、紗英が「そうだ」と声を上げながら、膝の上に置いたセカンドバッグを手に取った。
「忘れてた。今日はお祝いだったね」と言いながらバッグの中から取り出したのは、淡いブルーの可愛い包装紙に包まれた小さな立方体だった。
「はい。これ、プレゼント」
莉子は、予想もしていなかった突然の展開に驚きながらも、促されるままに紗英の手から包みを受け取った。
「ここで、開けていい?」
紗英は、いたずらっ子のような目で莉子の目を見つめ返して、黙ったまま頷いた。莉子はリボンをほどいて、包装紙を丁寧に広げる。中から現れた小箱を開けると、金色に輝くブローチが姿を現した。
小さな鳥籠を象ったブローチだった。中央の止まり木には、小鳥が止まっている。紗英は、ほっそりとした右手をテーブル越しに伸ばした。輝く瞳を莉子に向けながら、細く白い人差指でブローチの右端を指さす。
「籠、開けてみて」
よく見ると、右側には小さな蝶番が取りつけられていて、籠が開く仕組みになっている。左側の小さな出っ張りを指に引っかけてゆっくり開くと、中からもう一羽の小鳥が現れた。翼を広げて、今にも飛び立とうとしている小鳥だった。
「私のお父さん、輸入雑貨も手がけててね。扱ってる商品の中から見つけたの。莉子に似合うと思って選んだんだけど、どうかな?」
紗英が不安そうに、莉子の様子を窺った。
「うん、とっても可愛い。嬉しい。有り難う」
お世辞ではない。本心だった。莉子は、さっそく胸につけると、満面の笑みを返した。
――素敵。
その日、莉子と紗英は、時間を忘れて語り合った。
幼い頃の思い出、初恋のエピソード、そしてグループの将来……。
束の間だったが、兄のことも忘れた。
莉子にとって、人生最高の一日だった。