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夜籠の鳥(よごめのとり)  作者: 児島らせつ
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 迷いや遠慮が一切感じられない、冷たい声だった。まるで、電話に出たのが京介だと端から信じ、まったく疑っていないようだった。しかし、それ以上に京介を戸惑わせたのが、声の低さと不明瞭さだった。

 最初は奇妙な声だと思ったが、すぐに気づいた。ボイスチェンジャーによってつくられた声だった。テレビの報道番組ではよく耳にするが、実際の会話で耳にするのは初めての経験だった。籠った音が、聞く者の不安を必要以上にかき立てる。

 京介は、本能的に身構えた。周囲の雑踏から離れて、左手で口元を覆う仕草をしながら小声で問いかける。

「どなた、ですか?」

 電話の向こうで、機械のように不自然な声が答える。

「あの日、事務所を訪れた者と言えば、おわかりいただけるでしょうか?」

「何だって!」

 京介は、人目を憚るのも忘れて、思わず大声を上げた。京介の大声を聞き流して、機械のような声は話し続ける。

「そのときに拾った財布の中から、面白いものを見つけたんです。そこで、こうしてご連絡させてもらいました」

 財布は、やはり警察の手には渡っていなかった。京介は、ほんの少し安堵した。

 しかし、そんな京介の安堵をよそに、次の瞬間、受話器の向こうから信じられない言葉が響いた。

「ところで、この財布と中身が、もし警察の手に渡ったら、どうなると思いますか?」

 京介は、思わず眉間に皺を寄せた。

「警察に……、渡す気なのか?」

「渡すか渡さないかは、あなた次第です。財布の中身を見て閃いたんですが、取り引きをしませんか?」

 嫌な予感しかしなかった。恐る恐る尋ねる。

「……どんな取り引きだ」

「六日後の二十七日までに百二十万円を用意してください。財布は、その百二十万円と交換です」

「それは……、いくら何でも無理だ」

「大事なものと引き換えですから、百二十万円なんて安いものでしょう」

 相手の口調が、やや強くなった。その声を聞いた京介は、自分が何を言ったとしても相手が譲歩する結果にはならないだろうことを悟った。

「それにしても、なぜ今さら取り引きなどと……」

「私も最初は、取り引きなんてするつもりはありませんでした。でも、考え直したんです。せっかくいいものが手に入ったわけですから、有効に使わせてもらおうと」

 心の中で、舌打ちをした。

「お前は何者なんだ。そもそも……」

「取り引きの概要はおわかりいただけたと思うので、今こうしておかけしている電話番号に、後ほどショートメールを送り、あなたをSNSにご招待します。そのうえで、取り引き日の前日である二十六日、新しく開通したSNSで取り引き場所などの詳細をご連絡します」

 京介の質問を無視して今後の手順を説明した後、電話は一方的に切れた。

 通話終了を告げる無機的な電子音が、耳の中で冷たく反響した。京介は、スマートフォンの画面を呆然と見つめた。頭の中が、混乱していた。

 しかし一つだけ、頭にはっきりと浮かんでいる考えがあった。

 取り引きを拒否すれば、財布の中身は警察の手に渡ってしまう。

 ――まずい展開になったな。


          *


 五反田駅に向かう予定を取りやめた京介は、重い足取りで薄暗い路地を抜けて、インターネットカフェに戻った。

 とても、取材に行くことができる心理状態ではなかった。

 ――取材の日程は、後日に変更してもらおう。

 受付の前を無言で通り抜けて、自分が泊まっている部屋に入ると、座り慣れた椅子にドサリと腰かける。

 現実感はない。しかし、確かに京介は今、大きな危機の中にいた。人生最大級ともいえる危機に違いなかった。

 とにかく打開策を考えなければ。頭ではそう思うのだが、考えをなかなか整理することができない。まるで、全身の血液が大脳に集まるだけ集まり、そのまま循環をやめてしまったかのようだ。

 答を見つけられないまま、ふとドアの方向に目を向けた。ドアノブのちょうど下付近にあたる床の上に、小さな紙片が落ちているのが目に入った。

 ――何だ、これは。

 半ば本能的に拾い上げると、両手で広げてみる。紙片には、小学生のようにつたない字で、こう書かれていた。


くれぐれも私の正体を探ろうなどと考えないことだ


 京介は椅子から慌てて立ち上がると、乱暴にドアを開ける。開け放たれたドアが壁に激しくぶつかって、けたたましい衝突音が通路に響いた。京介は、通路に仁王立ちになったまま、左右を見渡す。

 誰もいなかった。

 すぐに受付まで走ると、たまたま居合わせた男性従業員に大声で尋ねる。

「俺の部屋に、怪しい奴が近づかなかったか!」

「い、いえ、誰も……」

 受付の男性は、京介の剣幕に驚いて、怯えたような表情で否定するばかりだった。

 受付の男性が怯える様子を見た京介は、我に返った。同時に、気まずさが込み上げてきた。思わず「すまない……」と小さな声で謝罪すると、重い足取りで部屋に戻った。

 椅子に力なく身を沈めながら、何を見るでもなく傍らに視線を送る。パソコンの横に置いているスマートフォンの画面が光っていた。京介は、恐る恐る顔を近づける。

 ショートメールの受信を告げる通知バーが表示されていた。

 早速、招待に応じてSNSを開通させる。すぐに、返信があった。

 画像だった。

 板張りの床の上に置かれた、黒く四角い物体。

 紛れもない。京介の財布、そのものだった。

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