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君たちの逃避行について  作者: 黒江 司
7/10

その7 バスケ部 クルスの場合

いつも君は冷たい、って、言われるでしょ?


そう声を掛けてきたのは、お前の方からだったな。初めは何を言われたのかと、頭が働かなかったよ。だってお前は虫も殺せないような人の良い顔をして、初対面の人間に対して余りにも不躾だったから。


…は?


と掠れた声が自分の喉元を揺らして出て、真っ白なお前を見下ろす様にして見た。階段の上から降りてきたらしいお前は音もなく現れて、俺が顔を上げるとすぐ側にいた。それでも俺の方がほんの少し目線が上だったのが、やけに印象深い。

どんな風に印象深かったかっていうと、胸が撃ち抜かれたような衝撃。ぐらつく足元を支える右手が掴んだ手すりがギシ、と音をたて、くりんとした眼球が俺を写している。凛々しい眉に筋の通った鼻、白く透明な肌に映える桃色の唇。その綺麗な顔を綻ばせながら俺を少しだけ見上げて、高めの澄んだ声で言った。


笑えば良いよ


どこかで聞いたような台詞だと思った。けれどそれがなんだったか思い出す前にお前が耳元で囁いたんだ。


そうすれば、誰にも気付かれない


ぐわりと心を鷲掴みにされた。

去っていくお前は爽やかな良い香りがして、清潔感が服を着て歩いているみたいな。けれど、一瞬だけ見せた深い闇が俺の心臓をもぎ取るように抉って、お前がいなくなった後の残り香が今でも鼻先に感じられるくらいだ。


瑞樹は、そういう奴だった。


間違いなく良い奴だった。だけど、どこか影があった。透き通るように白く透明なその肌と、くりんとした大きな目が美しい弧を描けば誰がどう見ても好青年で、口角が上がり眉が下がれば彼を疑う者などいなかった。瑞樹は太鳳と仲が良かった。仲が良い、というよりはもう太鳳は彼を兄の様に慕っていて、俺に何度も瑞樹の話をした。

優しくて完璧な兄だと、無邪気に笑って。

本当にそうだったに違いない。太鳳に見せていた彼の姿は、太鳳の望む彼の姿だ。


瑞樹は頭が良かった。そしてそれを自分ではなく他人のために使った。他人の望む自分であることに徹底した。そういう奴だった。


太鳳はバスケ部に入ってすぐ、もう一人勧誘したい新入生がいると楓と共に掛け合ってきた。俺としては新入部員が多い方が良いから連れてこいと快諾したけれど、何日か経って淋しそうに太鳳が言ってた。


『部長、瞬はバスケしないって』


瞬というのは、瑞樹と消えたあの男の子だろう。楓も仲が良い様だった。

時々、一人でいる彼を見たことがあった。ジョンインはその見た目からはあまり想像出来ない物静かな性格の様で、体育館の向かいにある教室でよく本を読んでいた。

どうしてそんなところで?見かける度に思った。あの教室は数学準備室で、彼がいる理由が思い当たらなかった。それがこんなことになってから、わかるなんて。


俺達の校舎はグラウンドをコの字で囲むように位置付けられていて、体育館はA棟を通りB棟へ曲がって、更に曲がった先にある。A棟の真向かいは体育館だ。体育館の横に武道館が続き、剣道部と弓道部はそこで練習をしている。

瑞樹は生徒会長だったから時々校務に追われて生徒会室に入り浸りになってた。特に行事の前やテスト前、各部活の大会前なんかは本当に色々やらされてた。


俺はそれを知っていたんだ。校長と同じようにあの広い舞台に立たされ、マイクを持ち、大きな声でもっともらしいことを言う。

それを見る度あの日のジュンミョンを思い出していた。あの時は、そんな顔で笑ってなかったじゃないか。誰にも気付かれない。そう言ってたお前は、どうして俺にそれを知らせるような真似をしたんだ?誰かの欲しがる自分であろうとするお前に、俺が出来たことってなんだったんだ?

瑞樹、もしかしてお前は、俺が誰かに頼って欲しかったのを、必要とされたがってた事を知ってて、あんな風に言って見せたんじゃないのか?


太鳳が、また外した。


悔しそうな顔をしたのは、楓の方で。太鳳はずっと浮かない顔をしている。

エアボール、あり得ないミス。太鳳、お前はクラッチシューターだろ?俺達の希望だ、エースなんだ。格下相手との練習試合で、まさか。

そんな風に落ち込んで、側にいて支える楓に気が付かないのか?

やっぱりお前は知っていたのか。熊谷瞬があの場所にいた理由を、最初から。あの数学準備室から見える景色を、知っていたのか。


二人が消えたと知ってから、何となく足を運んだそこで見たものは、いつも俺たちがシュートを放つ体育館。サッカー部と野球部が半分ずつ譲り合って使うグラウンド。武道館と、B棟の隅。

そこに答えがあった。あぁ、そういうこと。


B棟の角には、生徒会室があったじゃないか。


そしてそこはちょうどどちらも2階であって、生徒会室の黒板がここからよく見える。


つまり熊谷瞬は、ここからあいつを、瑞樹を見ていたんだ。


太鳳はそれに、どうしてそんなことをするのか、気が付いていたに違いない。

そしてこうなる何かに気が付いていたのに、止められなかった。だからあんな風に酷く、落ち込んで。


『部長、僕何も出来なかった』


そうしてあんなに、泣いていたのか。


『大事だから、踏み込めなかったんだ』


ポスン、とネットを揺らすだけの綺麗なシュートが決まっても、勢いが増す様子はない。染み付いたフォームと感覚だけが与えてくれた2点だ。


俺はこの体育館で、ずっと見てきたんだ。

数学準備室にいる後輩達の友人も。忙しそうに会長を勤める友人も。体育館の前に立って、あの教室にいる友人に気が付いていた、太鳳の姿も。でも全然意に介さなかった。毎日何も考えず、ヘラヘラ過ごしてた。

瑞樹、俺はまたお前に心臓を抉られそうだよ。こんなにもあちこちにヒントが散らばっていたのにさ。


部長失格だ、そうだろ?


あぁ、俺にもう少し他を見る余裕があれば…いや、見ようという気持ちがあれば。

お前はまだここにいたのか。太鳳は元気に笑っていたのか。


試合終了のブザーが鳴る。悔しそうに顔を歪めたのは、楓の方だ。コートで握手を交わし、背を向ける。俺は二人に何も言えなくて、コーチの教えもまともに耳に入らない。

来栖、と呼びかける顧問の声から逃げるように体育館を出て、B棟の階段をかけ上がった。息が切れて、汗が冷える。頭が痛いんだ。

ふらつく体を支えるように手すりに手をかけて顔をあげれば、



いつも君は冷たい、って、言われるでしょ?



今はもういない、あの日の瑞樹が、笑ってた。






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