その6 剣道部 ダイチの場合
精神統一を図るのに一番大事な事は、まず自身の扉を一旦閉める事。俺なりのやり方。一切を遮断して集中する。眼を瞑り見えるもの全て、触れるもの全て、この五感に関わろうとするもの一切を切り捨てる。
そうして自分の中の自分を見つめ直して、やっと目を開ける。例えその時に目の前にどんな残酷なものが写っていようと、可笑しな出来事が転がっていようと、この心を震わせてはならない。
集中しろ。目の前に何があっても。
相手を気圧すための奇声に近い叫びをあげて、自身を奮い立たせる。
一瞬、たった一瞬なんだ。一瞬の隙を見つけて、殺す。
狙いは定まっている。どこでも良い訳じゃない。頭上に降り下ろすか、胴を抜くか、手首を打つか。俺が好きなのは胴。面も悪くない。小手は一番得意。でもやっぱり相手から一本とるなら胴を抜くのが一番良い。本当に切り捨ててるみたいだから。
俺の中にある下らない悩みも全部、真っ二つに、切り裂く。そうして白星を上げたときの恍惚さは俺にしかわからない。俺だけにしか。
面を打つ竜の声がする。一本じゃない、技ありだった。珍しい話だ。竜は面が一番得意なのに。精神を乱してる。それはもしかして、少なからず瞬が関係してるのか。
瞬は今何をしてるだろう。通ってたダンススタジオにも少し前から顔を出してないらしい。
直接電話を、してみようか?いや、ダンススタジオに聞きに行けるのに電話はかけられないなんて可笑しな話だ。
瞬、お前どうして、居なくなったんだ?
どうして?
『大地』と呼ぶ声がして振り返る。
いつの間にか面を外した竜が俺の顔を見ながら外を指した。
武道館の中は多分体育館の中と同じくらい暑くて、道着を着て防具をつける俺たちはちょくちょく休みを取らなければいつか死ぬだろう。
竜の指す方を見れば虎徹が開ききった戸口に寄りかかるように腕を組んで立っていて、俺に何かしら文句がある顔付きをしてた。明らかに面倒臭そうなそれを回避したいけれど、背中を竜にとられているのでそれも難しい。
仕方なく足を運ぶ。こんな事ならさっさと防具を着けて誰かと試合してれば良かった。虎徹が来るとろくな事がない。
『大地』
戸口にたどり着く手前で呼び掛けられる。
「…なんだよ」
出来る限りの表情筋を動かして面倒臭そうに答える。
『熊谷瞬と知り合いだったんだって?』
「…だったらどうだって言うんだよ」
『何で言わないんだよ』
「何で言う必要があるんだ?」
『何でって…友達だろ!』
ほら、やっぱりこうなる。
「虎徹…俺はな、お前のそういうところが-」
『面倒臭いってか』
先回りして鼻をならす虎徹に苛立って、
「嫌いなんだよ」
わざと、傷付けた。
一瞬、顔を歪めた虎徹を俺は、見逃さない。
『…へぇ、そうかよ』
虎徹はそれ以上何も言わずに戸口から背中を離して、背を向けその長い脚で地面を踏み潰すように去っていく。
『あの言い方はないだろ?』
ため息混じりの竜の声がして、
「じゃあ何て言えば良いんだよ」
そうぶっきらぼうに返すと、
『心配してるんだよ』
彼のハの字の眉が更に下がった。
良いんだよ、俺は。余計なものは持ちたくないんだ。後で持て余してどうせ失くしてしまうから。それがどんなに大事なものであっても、俺は俺自身のためになら容赦なく捨てることが出来る。虎徹が持つ優しさに釣り合うだけのものを俺は、持ち合わせていないんだ。
瞬、お前は、それをわかってた。それでも俺の近くにいて、色々話したな。先輩は優しいよ、なんて、本当に思ってたのか?
ダンススタジオの前でお前の友達に会ったよ。背が高くて猫みたいな顔した子だ。名前はタオと言ったっけ。
笑うだろ、俺が、他人と関わるのが面倒なこの俺が、その子と何時間も話をしたんだ。凄いな、お前は。
良い子だったよ。お前の話をたくさんしてた。生徒会長とも知り合いなんだって?
二人の事、気が付いていたよ。純粋な子なんだな。嘘や偽り、虚栄と見栄、そういうのが感じられない子だったよ。
だからかな、お前が俺に話してくれた想いにも、やっぱり気が付いていた。
支えたい人がいる。そう言ってたな。
だけど他にもっとやり方なかったのかよ?
…なんて、俺が言えることじゃないな。
お前は他人の気持ちに敏感で、優しくて、暖かくて。人を傷付けることを恐れてた。傷付くことは、恐れないのに。
俺とは真逆だった。
真逆なんだよ。
俺がどうして、お前に電話出来ないでいるかわかるか?
もし電話に出てくれなかったらって、思ってるんだ。怖いんだよ。
突然姿を消したお前に、優しかったお前に、切り捨てられたんだとしたら。
そうだったとしたら。
俺が今までしてきたことの報い。そうなのかも知れない。
居心地の良かったお前との時間は泡のように消えて、現実が俺を突き放す。お前のしてきた事の顛末がこれだと、俺はまざまざと見せ付けられる。それが怖いんだ。
どこからかギターをかき鳴らす音がした。コードもへったくれもない、適当にかき鳴らすだけの雑な演奏。演奏とも言えるかどうか。
ああ、あいつもそうなんだ。
俺が竹刀を持って敵を打つのと一緒だ。嫌な事を好きな事で打ち消して、どうにか均衡を保とうとする。だけどあんなにふざけたかき鳴らし方じゃ、さすがの光も合わせて歌えないだろ?
なぁ瞬。俺が今しなくちゃいけない事って、何だろうな。
『っおい、』
大地、と呼ぶ竜の声を背中に受けて、ロッカーへと歩く。鞄からおもむろに取り出した携帯電話は、誰からの着信もなくて、
「お前はもう、見付けたんだよな」
アドレス帳の"熊谷 瞬"の文字にそう呟く。
「自分の有り方、自分の居場所を」
俺はそれがきっと、羨ましいんだな。そして瞬が、きっともう電話に出ない事もわかってる。答えがもうわかるのに、知らないふりをして怖がってる。
…まさか俺がお前に感化されるとはね。対極にいたお前に。
傷付ける事を恐れていたお前が、それを押しきってまでした愛の逃避行とやらに、俺も自分の居場所を探せって、言われた気分だよ。
防具を着けて対峙した敵を真っ二つに裂いて、自分を落ち着けても良かった。そうすれば俺はきっとこんな真似はしなかっただろう。
携帯電話の通話をタッチして、電話を掛ける。ビープ音が響いて、それが回数を重ねる度に心臓が跳ねる。
『…はい』
しばらくして、低くてぶっきらぼうな声が対応した。
俺はゆっくりと息を吸って声を出す。
「虎徹、さっきはごめん。もう一度俺と話をしてくれないか?」